スタン・ハンセン本人、夫人や息子の現在は?引退を決めた理由とは?

スタン・ハンセン本人、夫人や息子の現在は?引退を決めた理由とは?

スタン・ハンセン、現在は専業主夫として悠々自適?夫人が日本人で息子がメジャーリーグ入り!

スタン・ハンセンといえば、その圧倒的なパワーで、日本プロレス界でも人気レスラーとして活躍した一人です。第32代AWA世界ヘビー級王者であり、第2代PWF会長。大学卒業後は、プロフットボールでプレーするも、解雇の憂き目にあい、中学校教師になったスタン・ハンセンでしたが、大学のフットボール部の先輩であったテリー・ファンクからの誘いで、プロレスに転身。1973年1月にプロレスラーとしてデビュー後、1975年9月に日本プロレス界に初参戦しました。

以後、新日本プロレス、全日本プロレスで活躍したスタン・ハンセンは、2000年11月に引退。日本プロレス界で、長年に渡り、ヒール役として残したインパクトは強烈で、必殺技「ウエスタン・ラリアット」は彼の代名詞ともなっています。迫力満点なレスリングスタイルから、当時リングアナだった古舘伊知郎がつけたキャッチフレーズは「不沈艦」、「ブレーキの壊れたダンプカー」。引退後はPWF会長を2007年7月15日まで務め、現在の生活は、地元の少年たちにスポーツを教えつつ、専業主夫として悠々自適の人生を過ごしているそうです。

なお、スタン・ハンセンの現夫人は日本人。そのためか日本式の暮らしにも慣れ、日本語のレベルは、スポーツ新聞のプロレス担当記者の評価にクレームをつけるまでに習熟しているのだとか。スタン・ハンセンには、その夫人との間にもうけた息子が2人います。2006年夏には、2人の息子が、日米親善高校野球大会に出場するのに伴い来日しました。遊撃手の兄、外野手の弟ともに右投げ両打ちで、走攻守揃ったオールラウンダー。

父親であるスタン・ハンセン自らが指導して、両打ちを教えたそうです。2009年6月には、2人の息子のうちシェーバー・ハンセンが、アメリカメジャーリーグのシアトル・マリナーズ入りしています。

スタン・ハンセンが引退を決めた理由は、テリー・ファンクの一言?親友だったジャンボ鶴田の訃報にショック?

スタン・ハンセンが引退を決めた理由には、いろいろな背景が重なったようです。最初に挙げられるのが、テリー・ファンクの一言。学生時代から接点が多く、「近所の兄貴」的な存在のテリー・ファンクから誘われ、プロレスの世界に飛び込んだスタン・ハンセン。現役晩年にテリー・ファンクとタッグを組んだ際、「お前も歳を取ったな」という言葉を掛けられたのが、スタン・ハンセンの引退を決断させる一つの原因になったと言います。

もう一つの理由として挙げられているのが、親友だったジャンボ鶴田の死去。ジャンボ鶴田は無名時代からともにトレーニングを積み、「トミー」のニックネームで呼ぶほどの間柄でした。アメリカでの修業時代には、インスタントラーメンを2人で分け合って食べたこともあるそうです。ジャンボ鶴田が、現役引退後にアメリカ在住を検討した際には、スタン・ハンセンもその相談にも乗ったとか。

しかし、闘病生活にあったジャンボ鶴田が2000年5月に49歳で他界。その訃報に際して、スタン・ハンセンはショックを隠し切れなかったと言われています。スタン・ハンセンが引退を発表したのはそれから半年後のことでした。

スタン・ハンセンが引退を決めたワケ!プロレスに不向きの性格だった?

スタン・ハンセン、引退は天龍源一郎との一戦だった?「強いイメージのままで」と引退試合行わず

スタン・ハンセンが現役引退を決めたもう一つのワケは、好敵手の一人だった天龍源一郎との試合でした。自著の出版PRと天龍源一郎の引退試合に合わせて2015年11月に来日し、著書「日は、また昇る」の出版イベントに臨んだスタン・ハンセンは、天龍源一郎との一戦に言及。「ノックアウトされ、控え室に担ぎ込まれても、試合内容が全く記憶になかった」と試合後を振り返り、「100%のパフォーマンスを発揮できなくなったことを自覚した」と、引退を決意した経緯を語ったのです。

現役時代は試合の相手を倒すことだけを常に考えていた「不沈艦」でしたが、「引退後に、ファンが自分のことを見ていてくれたことが分かった」と語るスタン・ハンセンは、今や優しく柔和な笑みを浮かべる好々爺に変わっていました。なお、スタン・ハンセン自身の引退試合は行われていません。その理由は「強いスタン・ハンセンのイメージのまま引退したかった」から。

時は移り、天龍源一郎の引退興行において、スタン・ハンセンとテリー・ファンクが花束を渡す光景に感慨を覚えるファンも多かったことでしょう。著書「日は、また昇る」には、天龍源一郎との対談も収録されています。

スタン・ハンセンはプロレスに不向きな性格だった?「いい人」というファンの目撃談も!

スタン・ハンセンは、ヒール役に徹していましたが、本当の性格は、プロレスには不向きだったといわれています。実際、ヒール役に徹するレスラーは、リングでは粗暴な言動だが、実は紳士的な優しい人物であることは少なくありません。日本では、蝶野正洋のように、一見コワモテなのですが、ファンへの接し方も礼儀正しい「いい人」という例が知られています。

スタン・ハンセンの人物像もまた、ファンの目撃談を総括すると、やはり「いい人」。例えば、「『写真を撮らせてもらえないか』と頼んだところ快諾してくれた」、「読書が趣味で、銀縁メガネをかけて読書に夢中になっている姿は真面目そのもの。闘争心がみじんも感じられない普通のアメリカ人」、「リングとプライベートのスイッチを明確に切り替えしており、プロ意識が高い人物」などなど。

もともとは中学校で教鞭も取っていたことからも、良識が十分ある人柄であることは明白で、プロレスで縦横無尽に暴れ回る姿とはかなり大きなギャップが感じられます。代名詞にもなっている雄叫び“ウィー”は、そんな自分を奮い立たせるためのものだったのかもしれません。なお、その雄叫びですが、実は“ウィー”ではなく “ユース”(若さ)と叫んでいたとスタン・ハンセン本人の口から語られたときには、ファンに大きな衝撃を与えました。

スタン・ハンセン、WWE殿堂入り!「このような栄誉にとてもハッピー」

スタン・ハンセンは、米国のプロレス団体WWEが発表する、プロレス界に偉大な足跡を残した人物の功績を称える「WWE殿堂」(WWE Hall of Fame)入りを果たすことが決まりました。これまで殿堂入りを果たした顔ぶれには、アンドレ・ザ・ジャイアント、ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)、アブドーラ・ザ・ブッチャーなど、日本でも鮮烈な印象を残した外国人レスラー、そしてアントニオ猪木や藤波辰爾など日本人レスラーが名を連ねています。

今回、殿堂入りの栄誉を受けたスタン・ハンセンは、「このような栄誉にとてもハッピー」と喜びの一声。自分が殿堂入りするとは思っていなかったようで「率直に驚いた」とも語っています。2010年10月にアントニオ猪木が殿堂入りした際には、殿堂入りを果たした人物を紹介するインダクター役を務めたスタン・ハンセン。

その時に初めてWWEに関わり、その組織の運営規模に大きく感銘を受けたというスタン・ハンセンは、WWEのニュースを世界に発信するなど、殿堂入りに対して、何か恩返しができればとの意向も持っているようです。長年のプロレス生活で身体を酷使したこともあって、現在は夫人を支える専業主夫としての生活が続いているというスタン・ハンセン。しかし、今もその存在は、数々のエピソードと共に輝きを失うことはありません。

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