谷崎潤一郎作品「卍」「秘密」「痴人の愛」あらすじネタバレ!
谷崎潤一郎は、明治、大正、昭和を生きた耽美派の文豪
谷崎潤一郎は、川端康成と並んで、明治、大正、昭和を生きた文豪です。川端康成の作品が、教科書で数多く取り上げられるのに対して、谷崎潤一郎の作品をあまり教科書で見かけないのは、耽美で官能的な作品が多いことに他ありません。
なかでも、「卍」「秘密」「痴人の愛」は、それぞれ、レスビアン、女装・のぞき、幼児愛好やマゾヒズムと、性的倒錯をテーマとした作品です。
「卍」「秘密」「痴人の愛」で繰り広げられる耽美な倒錯の世界
谷崎潤一郎の「卍」が出版されたのは1931年。モボモガの大正ロマンが爛熟退廃化する中、日本は、満州事変へと突入し、不穏な時代を迎えていました。「卍」のあらすじは、有閑夫人の園子が、小悪魔のような娘・光子に出会い、彼女との禁断の愛欲に溺れるばかりか、園子の夫・栄次郎までが、光子の魔力に落ちて関係を持ってしまいます。
さらには、性的不能者である光子の婚約者までが介在するというスキャンダルに発展。最後には、園子、光子、栄太郎3人が心中を図りますが、結局、園子だけが残されるという、まさに男女三つ巴の愛欲とその葛藤を描いた、おぞましくも官能的な物語です。
「秘密」は、谷崎潤一郎初期の作品で、1911年に出版されています。高等遊民のような暮らしをする青年は、女装趣味が高じ、昔出会った女との謎めいた逢瀬に刺激を求めていましたが、ある日、我慢できずに、女の正体を知ってしまいました。すると男は、一気に興ざめし、最後には、「~私の心はだんだん『秘密』などと云う手ぬるい淡い快感に満足しなくなって、もっと色彩の濃い、血だらけな快楽を求めるように傾いて行った」(原文)と、さらなる倒錯と退廃を感じさせるような告白で終わる短編です。
夏目漱石や森鴎外などによる明治文学が花開いていた当時としては、かなり尖鋭で問題小説であったことでしょう。「痴人の愛」は、1925年に出版された長編。若く奔放なカフェの女給ナオミを手なずけ、自分好みの妻にしようと思った中年の男が、ナオミに振り回され、やがて破滅するという作品です。
ナオミのモデルは、当時、谷崎潤一郎の妻であった千代の妹・小林せい子で、谷崎潤一郎は、この小説を「私小説」と呼んでいます。このように、谷崎潤一郎は、自らが、生涯に渡って複雑怪異な恋愛や婚姻関係を重ね、また、それらの実体験を小説とした、私小説作家の権化ともいうべき存在でした。
谷崎潤一郎が佐藤春夫に妻を譲った!?女性遍歴が凄かった!
谷崎潤一郎「痴人の愛」は妻の妹がモデル!妻を友人作家に譲渡するという異常な女性関係
谷崎潤一郎は、一高、東大を出て、25歳で作家になり、明治から大正期へと移る文学界において、まさに時代の寵児のような存在でした。1915年、30歳を前に石川千代と結婚した谷崎潤一郎は、やがて10代半ばにもならない、千代の妹せい子に心を奪われます。このせい子が、「痴人の愛」の主人公ナオミのモデルであり、谷崎潤一郎は、自らのふしだらな欲望を小説にしたことで物議を醸しました。また、谷崎潤一郎の妻・千代に好意を抱いた小説家の佐藤春夫に対して、一度は妻を譲ると約束するも、翻して、佐藤春夫と絶交。しかし、結局離婚することになり、再度、妻が佐藤春夫の嫁になる旨の挨拶状を出すなど、女性にまつわるさまざまなスキャンダルにまみれながら、小説家としての地位を確立していきます。
谷崎潤一郎「春琴抄」は人妻に捧げる盲目の愛の証し?!
谷崎潤一郎は、妻の千代と妹のせい子に続いて、新たに運命的な出会いを果たします。大阪の名家の人妻・根津松子です。谷崎潤一郎は、彼女に理想の女性像を見出し、猛烈なラブコールを重ねました。そして、根津松子への思いを、「春琴抄」という作品に凝縮させ発表します。
しかしこの間にも、古川丁未子と結婚、離婚をしている谷崎潤一郎。根津松子の家が傾いたのを幸い、ようやく根津松子と結婚しました。1915年に千代と結婚してから、1934年の松子との再婚に至るまで20年足らず。谷崎潤一郎は、その乱脈な女性関係を糧に、多くの作品を書き続け、とうとう女神様と崇める根津松子との後半生を送ることになります。
谷崎潤一郎生誕130年!今漫画で甦る耽美と官能の世界
谷崎潤一郎生誕130年だった2016年。中央公論社は、自社サイトで、「谷崎万華鏡 谷崎潤一郎マンガアンソロジー」を展開しました。「谷崎万華鏡」には、谷崎潤一郎の半生や彼の小説をモチーフにした、近藤聡乃、高野文子、古屋兎丸、中村明日美子ら11名のアーティストの漫画を連載。年末には、それら作品が単行本としてまとめられています。
発売記念のトークイベントに出席した近藤聡乃は、現代的でありながら幻想的かつ懐古趣味的なティストのイラストで有名なアーティストです。彼女は、この企画を依頼された時、「谷崎潤一郎の作品は体に合わない」とコメントしたといいます。しかし、今回の仕事にあたって、初期の作品から順に読み返してみると、読んでいくうちに引き込まれる中毒性があると感じたそうです。
結局、近藤聡乃は、谷崎潤一郎晩年の作品である「夢の浮橋」を選びました。「夢の浮橋」は、母子相姦的なイメージが色濃い問題作ですが、初期や中期の作品のような、生々しい官能性や異常性が影をひそめ、男性が持つ、永遠の母性回帰といったテーマが、寓話的に描かれています。近藤聡乃は、その幻想的なタッチを気に入ったのかもしれません。
明治、大正、昭和という3つの時代を生き抜きながら、世の移り変わりにぶれることなく、作家として、一高等遊民として、女性と文学に一生を捧げた谷崎潤一郎。彼の生き様は、まさに文豪という呼び名にふさわしいものでしょう。