辰吉丈一郎に懸念されるパンチドランカー説!現在も現役ボクサーなの?
辰吉丈一郎「浪速のジョー」にパンチドランカー説が!舌がもつれるなど懸念される深刻な症状とは
辰吉丈一郎は、「浪速のジョー」のニックネームで親しまれるプロボクサーです。史上最速で世界王座を奪取した当時は、ファンを熱狂させました。一時は引退を勧告されたものの、劇的KOで復活を果たした辰吉丈一郎は、今なお現役ボクサーであることにこだわり続けています。
しかし、現在の辰吉丈一郎に懸念されているのが、パンチドランカーによる深刻な症状。パンチドランカーとは、ボクシングで強いパンチを頭部に受けた結果、脳障害を起こし、動作や言語に影響を受けた状態をいいます。ある番組へゲスト出演した際、辰吉丈一郎は、テロップなしでは、話す内容が分からないほど、舌がもつれていました。
また、自分の話している内容が分からなくなったと言い出したことも。これらは、まさにパンチドランカーらしき症状といえます。さらには、ボクシングのゲスト解説をした際にも、辰吉丈一郎の呂律の回らないしゃべり方が話題となりました。昔から、辰吉丈一郎の滑舌がよくなかったのは確かですが、最近は、さらに聞き取りにくさが増しているのは事実。パンチドランカーの症状は、より深刻になっているかも知れません。
辰吉丈一郎は、1970年5月15日生まれの46歳。岡山県倉敷市出身で、大阪帝拳ジム所属です。第50代日本バンタム級、第18代・第24代WBC世界バンタム級王者であり、次男の辰吉寿以輝も、大阪帝拳所属のプロボクサーとして活動しています。
幼少期にはいじめられっ子だった辰吉丈一郎ですが、ボクシングファンだった父親からボクシングの手ほどきを受け、中学卒業と同時に大阪帝拳ジムに入門。一時期は、大阪帝拳を離れて、放浪の日々を送っていたものの、大阪帝拳ジムに復帰し、アマチュアとして数試合をこなした後、1989年9月プロデビューしました。
関西地区では、スポーツ新聞に試合写真付きで取り上げられるなど、辰吉丈一郎の前評判は高く、日本人ランカーからオファーを拒否されるほどでした。1991年9月には、8戦目でWBC世界バンタム級王座をものにしますが、これは具志堅用高の9戦を更新する、当時の国内記録です。
その後は、網膜剥離に見舞われて、引退のピンチに見舞われますが、現役を続行。1994年には、WBC世界バンタム級正規王者・薬師寺保栄との統一戦に臨み、12回判定負けを喫しますが、試合中継が視聴率37%という驚異的な数字を叩き出すなど、今もなお名勝負として語り継がれています。
辰吉丈一郎46歳の現在でも現役だった!事実上の引退にもかかわらず、トレーニングを欠かさない!
辰吉丈一郎は、波乱万丈で、破天荒な人生を送ってきましたが、46歳の現在も、ボクサーとして現役を貫いていることにはさすがに驚かされます。2003年9月のフリオ・セサール・アビラとの対戦以降、負傷した左脚の具合が芳しくないこともあり、再度のブランクが続く辰吉丈一郎。
その後、大阪帝拳からも、「もう試合を組まない」と再三通告されます。これは、事実上の引退勧告です。しかし、辰吉丈一郎は、引退を受け入れず、現役続行に対してこだわりを見せます。JBC規定によれば、37歳の誕生日をもって自動的にライセンス失効するため、国内での試合が不可能となってしまうので、事実上は「引退」状態の辰吉丈一郎。
しかし、現役への執着はすさまじく、「それならば海を渡ってでも試合をする」と、あくなき現役続行へのこだわりを見せています。そして、2008年10月には、タイ・バンコクで復帰戦を強行。5年ぶりの再起を果たしたものの、翌年3月の復帰第2戦では、7回TKO負けを喫しています。
これは、世界戦以外の試合で、辰吉丈一郎にとって初黒星となるものでした。試合終了後、「まだ終わっとらん」と、辰吉丈一郎自身は、リングに上がり続ける意思を表明しているものの、現実は厳しいもので、リングに上がることはほぼ絶望視されている今。そんな現実に抗うかのように、現役ボクサーとしてトレーニングを欠かさない辰吉丈一郎の、自分がこうと決めた道を歩み続ける一徹さには、敬意を感じます。
辰吉丈一郎伝説は少年時代から始まった!生き様が武勇伝そのもの!
辰吉丈一郎すでに始まっていた伝説の少年時代!「番長を返り討ち」などヤンチャ伝説てんこ盛り!
辰吉丈一郎は、存在そのものが伝説ともいえます。その伝説は、すでに少年時代から始まっていました。地元の倉敷では、ヤンチャぶりで名を響かせていた辰吉丈一郎には、語り継がれるエピソードがいくつもあります。
「小学5年生でバイクを乗り回していた」というものから始まり、中学入学後も、「番長からシメられたが、返り討ち」「ゲームセンターで高校の番長に喧嘩を売られたものの、返り討ち」「バイク欲しさに、暴走族を4人で襲撃し、400ccのバイクを奪い取る」「下校途中に、ヤクザにベンツを横付けされ、からまれたが、ひるまず『そんな怖い顔せんとってや』とキーを奪い取った」「修学旅行中に喧嘩を吹っ掛けてきた他県の中学の不良を、一撃でノックアウトした」など、辰吉丈一郎のヤンチャ伝説はてんこ盛り。
本人も、父親からボクシングを教わっていなかったら、むちゃくちゃな人生を過ごしていたかもしれないと振り返っています。中には面白おかしく脚色されている部分もあるでしょうが、辰吉丈一郎のヤンチャぶりは、少年時代から際立っていたということは間違いなさそうです。
辰吉丈一郎のネバーギブアップを貫く生き様は武勇伝そのもの!「自分のやりたいことをやって生きていたい」という言葉に生き様が凝縮されている!
辰吉丈一郎は、「事実上の引退」「もう辰吉は終わった」などといわれています。しかし、そんな世間の声にも左右されず、現役にこだわる自分の生き様を貫く、現実に牙をむくかのような生き様がこそが、武勇伝そのもの。辰吉丈一郎は、これまでにも、網膜剥離などで引退の危機に見舞われながらも、へこたれることなく立ち上がってきました。
2009年以降、試合は行われておらず、現在の収入はまったくないため、過去に蓄えたファイトマネーを取り崩して暮らしているそうです。そんな状態であれば、誰でも気持ちが折れそうになるもの。「ボクシングが生活の一部」だという辰吉丈一郎にとっても、試合がまったく組めない今の状況は、非常にキツいといいます。
しかし、「自分でもうダメだとあきらめてしまった時が本当の終わり。でも、あきらめなければチャンスは必ずやってくる」と、ネバーギブアップを貫いている辰吉丈一郎。「この世に生まれたからには、ボケっと生きていつか死ぬのは我慢できない。それなら自分のやりたいことをやって生きていたい」という言葉には、辰吉丈一郎の生き様が凝縮されています。
辰吉丈一郎は息子・寿以輝のTKO勝ちにも「路頭に迷う」「華がない」と辛口コメント連発!
辰吉丈一郎は、10月1日に行われたボクシング・スーパーバンタム級6回戦で、次男・寿以輝(じゅいき)の戦いぶりを観戦しました。結果は、5回で逆転TKO勝利でしたが、その内容には、不満が隠せない様子。のっけからダメ出しの辛口コメントを連発しました。
「アイツは天才型やなくて努力型やから、とにかく練習を重ねるしかない。それやのに練習量が全く足らん」と手加減ありません。ダウンを食らいながらも、打ち合いを制した試合ぶりにも、「ダウンといったって、バランスを崩した感じ。パンチも効いていないから、ショックはなさそう。相手のことを思うんなら、速攻で倒してあげないと」と、欠点だけが目につくのは、父親ならではでしょうか。
さらに、試合の印象について問われると、「寿以輝は個性がない」と一蹴。「個性がないというのは、華という武器がないということ。それにしても華がない」と、容赦のないダメ出しは続き、「こんな状態では路頭に迷う」と、次男・寿以輝を一刀両断。もちろん、一連のダメ出しは、息子の能力を認めていればこそでしょう。それゆえに、発言にも、もどかしさが募ります。「次は、どれくらい強くなってるんやろか、とワクワクさせないと客を呼べない。今の寿以輝は、金を出してまで試合を見に行きたいレベルか?」と、魅せるボクサーとしての資質にも疑問を投げかけました。
ことボクシングに関しては、誰にも真似できない姿勢で取り組んできたという自負があるため、辰吉丈一郎にとって、息子のボクシングは、まだまだ「免許皆伝」とはいかないようです。今もなお現役としてトレーニングを怠らないという辰吉丈一郎には、「見苦しい」という声もあるかも知れませんが、自分の信念を貫き通す生き様には、誰しも憧れることでしょう。