渡辺マリは「東京ドドンパ娘」で一世風靡!生い立ちやヒットの背景!病気を告白していた?

2021年7月6日 更新

渡辺マリは「東京ドドンパ娘」で一世風靡!ドドンパって何?


渡辺マリのプロフィール
◆生年月日:1942年11月28日
◆出身:埼玉県
◆メジャーデビュー:1960年10月

渡辺マリは「東京ドドンパ娘」で彗星のようにデビュー!

1960年代を彩った歌手の1人、渡辺マリ(わたなべまり)。10代でデビューしましたが、「バナナボート」の浜村美智子に引けをとらないエキゾティックな顔立ちにダイナマイトボディで話題を呼びました。

日本のマンボブームが終焉を迎える頃、渡辺マリは彗星のように登場。1961年1月にリリースした「東京ドドンパ娘」は、渡辺マリのルックスとその歌の印象がはまり、ヒット作となりました。

その圧倒的声量で発せられる「ドドンッパッ!」の掛け声と、オフビートの「チャチャチャ」に分類されるリズムのインパクトは、当時の日本人に強烈な印象を与えたものです。

このように、新人でありながら大ヒットを飛ばした渡辺マリには、「第二の江利チエミ」と期待する声が相次ぎました。

渡辺マリは、その後もいくつか楽曲を発表しますが、「東京ドドンパ娘」を上回るヒットには恵まれず、一旦芸能界を引退。しかし時折、昭和の歌謡曲番組などに出演し、年齢を重ねても当時と変わらぬ迫力ある歌声を披露しています。

「東京ドドンパ娘」は日本のマンボブームの終焉を飾った名曲!

「ドドンパは謎に満ちている」。これは、「踊る昭和歌謡」というユニークな音楽評論を書いた輪島祐介の言葉です。戦後の日本には、アメリカ音楽が怒涛のように流れ込みました。まずジャズブームが始まり、1955年頃からは、空前のラテン・マンボブームが起こります。

「ウウー、マンボッ!」というフレーズは、ブーム全盛期を過ごした世代でなくても耳にしたことがあるのではないでしょうか。街にはダンスホールが作られ、ビックバンドの華やかなリズムが夜の巷にあふれました。

戦後10年、人々の心にやっと明るさが戻った証しともいえるこのラテンブームに乗って、さまざまなラテンのリズムが日本に入ってきます。その1つが「カリプソ」です。

1957年、「デイーオ!ディーイイオ!」の掛け声で始まる、浜村美智子の「バナナボート」が大ヒットしたのは、今でもよく知られています。

そして1960年、このマンボブームの終焉を飾ったのが「ドドンパ」です。ドドンパのリズムに乗って大ヒットしたのが、1961年の渡辺マリによる「東京ドドンパ娘」でした。

渡辺マリが歌った「ドドンパ」の名づけ親はラテンの大御所アイ・ジョージ?

渡辺マリが歌った「ドドンパ」。日本におけるドドンパは、フィリピンのバンドが演奏していたオフビートの「チャチャチャ」が日本に入り、大阪のクラブで演奏されていた時に生まれたとされています。

バンドマンが遊び心で、4拍子の2拍目にアクセントを置き、3拍目と4拍目を三連符とした「ゥン、パッ、タタタ、ドッド」という印象的なリズムが、そのルーツなのだとか。

この新しいリズムの名づけ親となったのが、そのクラブの専属歌手であり、ラテンブームの立役者でもあった歌手のアイ・ジョージであると伝えられています。

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渡辺マリの生い立ちやプロフィール!「バナナボート」の浜村美智子と同じく一発屋に

渡辺マリの生い立ち!父は医師で子供時代はやんちゃ

渡辺マリは、1942年11月28日生まれ。父は耳鼻咽喉科の開業医で、裕福な家庭で育ちました。幼少期は男勝りな性格だったようで、男の子たちを10人ほど引き連れて遊んでいたのだとか。

成長とともにジャズ音楽に興味がわき、アメリカに行って本格的に学びたいと考えたものの母親は反対。歌への情熱が「のど自慢あらし」という形になったと明かしていました。

渡辺マリが背負った「バナナボート」の浜村美智子と同じ一発屋の宿命

渡辺マリは1960年に「のど自慢」がきっかけでスカウトされ、1960年10月にラテンの「ムスタファ/ク・ク・ル・ク・ク・パロマ」でデビュー。翌1961年1月に、「東京ドドンパ娘」で、爆発的ヒットを記録します。

ドドンパブームはすさまじく、1961年4月にあの美空ひばりまでが「ひばりのドドンパ」を出すことに。映画界では沢本忠雄主演で「東京ドドンパ娘」を表題とする映画が1961年5月に公開されたほか、勝新太郎主演の「ドドンパ水滸伝」も同年6月に公開されたほどの人気ぶりでした。

しかし、「バナナボート」の浜村美智子同様、ラテンブームが去るとともに、その人気も瞬く間になくなります。そして渡辺マリは、芸能界を引退していきました。

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渡辺マリの「東京ドドンパ」は多くの歌手にカバーされる名曲!病気を告白していた?

渡辺マリの「東京ドドンパ娘」が歌った「東京ドドンパ」は多くの歌手にカバーされる名曲!

ドドンパというラテンリズムは、なかなかミュージシャンや歌手たちの心をそそるリズムらしく、時代ごとにリメークされてきています。

1976年12月には、桜たまこが「東京娘」を、1992年7月には、モダンチョキチョキズが「ティーンエイジ・ドドンパ」を、また2004年1月には、氷川きよしが「きよしのドドンパ」を出してスマッシュヒットしました。

また、ニューミュージックの大御所である井上陽水が、戦後の名曲を集めた「UNITED COVER」が2001年5月に発売され、このアルバム内でも「コーヒー・ルンバ」や「銀座カンカン娘」などとともに「東京ドドンパ娘」がカバーされています。

渡辺マリは病気を告白していた!「東京ドドンパ娘」を歌ったあの頃は青春の1ページ

渡辺マリは時々歌謡番組に出演しては、そのパワフルな歌声と元気な姿を見せていますが、実は60歳の時に肺がんと口腔がんを経験し、無事に回復したという過去があります。

2017年4月に「徹子の部屋」にゲスト出演した際、当時の闘病について語っていました。闘病後にカラオケへ行き、歌ったら声が出たと振り返っています。

あるプロダクションの人に、歌えるから歌うようにと勧められ、今でもマイペースに歌っているのだとか。「闘病生活後の今は歌っているのが楽しくてしょうがない」と、心境を明かしていました。

渡辺マリは一発屋と呼ばれることもありますが、本人は「青春の1ページで良いと思っていたので一発屋と言われても何とも思わなかった」と番組内で語っており、特に気に留めていない様子。確かに誰もが知っている、昭和を代表する「東京ドドンパ娘」があるだけで、歌手冥利に尽きるともいえるでしょう。

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