渡瀬マキの旦那は同じリンドバークメンバー!機能性発声障害治療に専念も活動再開が待たれる

渡瀬マキの旦那はリンドバークメンバー!妊娠中に子宮頸がんが発覚

渡瀬マキの旦那は同じリンドバークメンバーの平川達也!

渡瀬マキは、1990年代後半に大人気を博したバンド・リンドバーク(LINDBERG)のボーカルです。渡瀬マキの旦那は、同じリンドバークでギターを担当している平川達也です。2人が知り合ったのは、リンドバーク結成前で、渡瀬マキがアイドルだった頃。アイドル時代の瀬マキのバッグバンドを務めていた1人が平川達也でした。

リンドバークが結成されたのも、平川達也が、音楽仲間の川添智久と小柳昌法に声を掛けたから実現したと言いますから、出会った当初から強い絆で結ばれていたのでしょう。リンドバーグが大人気だった1997年に結婚を発表した渡瀬マキと平川達也の間には、2人の子供がいます。

1999年に長男を出産した渡瀬マキは、2002年にリンドバークを解散。翌2003年には長女が生まれました。リンドバーク解散後は、子育てをしながら作詞活動などをしていたという渡瀬マキ。この他にも、自身がプロデュースした子供服ブランド「Ontembaar(オンテンバール)」を立ち上げるなど、歌以外のことにも挑戦しています。

よほど音楽的な嗜好が似ているのか、旦那の平川達也とは、2010年に「タツマキ」というユニットも結成。夫婦仲良く音楽活動をしながら、2011年には「タツマキ」のグッズの収益金から東日本大震災に義援金を送るなどの社会貢献にも参加しました。

渡瀬マキは妊娠中に子宮頸がんが発覚……ステージ2と診断されていた

渡瀬マキは、1999年の第一子の妊娠中に初期の子宮頸がんと診断されていたことを、後年明かしています。この時点ではステージ2で、子宮頸がんは進行が遅いと言われていることから、安定期に入ってから手術することになったそうです。渡瀬マキは、「子供が心配で毎日不安と戦っていた。メソメソ泣いている日も多かった」と当時を振り返っています。

安定期に入った渡瀬マキは、手術でがんの部分を切除した後に出産。あれほど心配した息子も、まもなく成人する年齢です。その後は特に報道もないので、渡瀬マキの子宮頸がんは治癒へ向かったのでしょう。

渡瀬マキの髪型変化はリンドバーグの歴史!アイドル時代の同期は森高千里

渡瀬マキの髪型の変化はリンドバーグの歴史!ショートからロングまで

ショートヘアのイメージが強い渡瀬マキですが、デビューから現在に至るまでには、髪型もいろいろと変化してきました。本名名義のアイドル時代は、憧れの松田聖子のように肩よりも長い髪型だった渡瀬マキ。リンドバークとしてデビューした際には、長かった髪をバッサリと切ってショートカットに。

この頃のショートヘアは、髪が立ち上がるようにセットしたボーイッシュな髪型でした。リンドバークとしての活動期間が長くなっていくと、渡瀬マキの髪型も自然に大人っぽく変化していきます。パツパツに立たせたショートヘアだった渡瀬マキですが、1992年に「恋をしようよ Yeah! Yeah!」で出場した紅白歌合戦ではポニーテールを披露。1996年にリリースした、これまでの元気路線とは異なるポップな曲調の「もっと愛しあいましょ」の時にはゆるくパーマをかけたロングヘアになっていました。

この時期あたりから、元気な曲ばかりでなく、バラード曲を出すなど、少しずつ路線が変わっていったリンドバーグ。2002年のバンド解散以降、出産などでテレビから離れた時期を経た渡瀬マキは、2014年のバンド再結成を発表した時にはすっかり大人の女性となっていました。近年は、再びショートヘアが定着している様子で、肩より長い髪型を見せることはほぼないようです。渡瀬マキの髪型の変遷は、まさにリンドバークの歴史と共にあるといっても過言ではありません。

渡瀬マキのアイドル時代とは?同期は森高千里や石田ひかり

「今すぐKISS ME」や「BELIEVE IN LOVE」など数々のヒット曲を世に生み出しました。しかし、惜しまれながらも2002年に解散。2014年に発表された再結成を喜んだファンも多かったことでしょう。そんな渡瀬マキの芸能界デビューは、実はリンドバークではなく、アイドルとしてでした。

1986年に、週刊ヤングジャンプ「ヤングジャンプクィーン」でグランプリを受賞した渡瀬マキは、本名である渡瀬麻紀名義で活動を開始。同期デビューには、森高千里や石田ひかりなどがいました。翌1987年6月1日に「パールモンド・Kiss」という曲でアイドル歌手としてデビュー。「真珠のような女の子」というキャッチフレーズそのままに清楚で可愛いらしく、歌唱力は抜群ながら、三重県鳥羽市出身で方言丸出しというギャップも魅力的でした。

1987年9月に「I Love You」、1988年4月に「ノーカウント」と、アイドル時代には合計3枚のCDをリリース。1989年に、アイドル時代のバックバンドのメンバーたちと結成したリンドバーグで再デビューを果たします。

渡瀬マキが声が出にくくなる「機能性発声障害」に

渡瀬マキが、2018年4月11日に、公式サイトで「機能性発声障害」を患っていることを発表しました。リンドバークの結成から25年目となった2014年に再始動が発表され、これからというタイミングでの発表には、多くのファンがショックを受けたことでしょう。

病気の兆候は以前からあったと明かした渡瀬マキは、2017年頃から体調不良が続き、公表はしないまま治療を続けていたと言います。しかし、病状は少しずつ悪化していき、眠れなくなったり、頭痛や吐き気が続く日が続いたりしたそうです。ついには喉にも異変が現れ、しゃべり続けると声が出なくなる状態に。そこで病院で詳しく見てもらったところ、「機能性発声障害」と診断されました。

最近は、渡瀬マキの体の不調を心配の声がファンの間でも多くなってきたことから、公式に発表したと綴っています。今後は、「治療に専念ししっかりと治していくことを第一に考えている」と語った渡瀬マキ。とはいえ、もちろんリンドバークとして活動する意欲が消えたわけではありません。

渡瀬マキを含めたメンバー全員が前向きな気持ちとのことなので、環境が整えば、活動再開となるに違いありません。渡瀬マキのブログの最後は、「体からのサインは重要。皆さんも自分を大切にしてあげてください」とファンの体を気遣う言葉で締めくくられていました。これまでにも子宮頸がんという大変な病気と闘ってきた渡瀬マキ。今回も元気に復活する日を楽しみに待っています!

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