山田雅人は森脇健児との名コンビで大ブレイク!現在は「かたりの世界」で新境地を開拓
山田雅人は森脇健児との名コンビで大ブレイク!一躍人気者に!
山田雅人は、大阪府出身のお笑いタレントです。俳優としても活動しており、出演代表作には、昼ドラ「ぽっかぽか」や、TBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などがあります。山田雅人は、1988年に、関西ローカル番組の「ざまぁKANKAN!」というバラエティで、森脇健児とダブル司会を務め大ブレイクしました。
新進若手タレント2人による司会コンビが誕生したのは、山田雅人が28歳、森脇健児が21歳の時です。山田雅人も森脇健児も同じ大阪府出身で、所属も同じ松竹芸能。息のピッタリ合った言葉のかけ合いで非常に面白いと評判になり、一躍人気者になりました。
その数年後、東京に進出した山田雅人は松竹芸能を退社し、山田企画という個人事務所を設立。近年は、関東でも関西でも活躍していますが、森脇健司とは「独立して22年になりまして、お会いしてないですね」と語る通り、連絡を取ることもない様子です。
山田雅人は「かたりの世界」で誰もなしえなかった新境地を開拓!
山田雅人は、現在、「かたりの世界」という唯一無二の話芸で多くのファンをとりこにしています。「かたりの世界」とは、山田雅人が、野球などのスポーツ名場面を言葉(かたり)だけで再現していくもの。聴き手は想像を広げ、映像を見ているかのごとく世界に引き込まれていきます。
これまでに取り上げてきたのは、西鉄ライオンズの大エース「稲尾和久物語」や、「優勝請負人」の異名を持つ江夏豊の「江夏の21球」。病に散った「津田恒美物語」など、玄人好みの名場面の数々です。そんな山田雅人の「かたり」の原点は、劇場の楽屋で大好きな競馬実況のマネをしていたこと。
それを聞いていた放送作家の高田文夫から、「それを野球でやってみたら」「競馬ファン以外にも関心を呼べるぞ」とアドバイスされました。さっそく、仕事を通じて親交の深かった稲尾和久をテーマにし、「稲尾和久物語」を生み出します。熱狂的な阪神タイガースファンであることを生かし、「掛布vs.江川」の名勝負シーンなどを「かたり」の題材に。
そんな「言葉のドキュメンタリーワールド」スタイルが、「非常に面白い」と評判になりました。「かたりの世界」を支えているのは、山田雅人の声のトーンや、緊張感あふれる巧みな話術と、徹底した取材量。当事者はもちろんのこと、家族や球審にまで話を聞きに行った結果、取材対象者数は3000人を超えました。
かたる材料がそろったら後は自分流という、台本なしの山田雅人の「かたりの世界」は1回1時間近い長丁場です。「芸歴31年、先輩や親友のひと言や支えのおかげで『かたり』という新境地を見つけました」との言葉には、お笑いタレントとしての深い充足感が感じられます。
山田雅人が始球式でおこしたデッドボール事件とは?東大受験を7回も続けたワケ
始球式で珍プレー?驚きのデッドボール事件とは
山田雅人は、「始球式で死球式事件が起きた」と新聞にも取りざたされた大騒動を起こしたことがあります。それは、1992年3月に行われた、阪神タイガースVS近鉄バッファローズのオープン戦始球式でのことでした。始球式に登場した山田雅人が投じたボールが、なんとバッタ―ボックスに立っていた相手選手に当たってしまいます。
山田雅人がデッドボールを与えてしまった選手は、当時人気のあった高橋慶彦選手。彼は、自分めがけて飛んできたボールをよけた勢いで地面に手をついて倒れ、手を骨折してしまいました。思いもしないデッドボールにひたすら謝る山田雅人に対して、高橋慶彦選手は笑って許してくれたと言います。
とはいえ、収まらないのは高橋慶彦選手のファン。後年、山田雅人は、「高橋慶彦を引退に追い込んだのは山田雅人だ」と言われたこともあったと明かしています。
山田雅人が東大受験を7回も続けたワケ!嫁と娘は大迷惑?!
山田雅人は2006年に、テレビ東京の「ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」という番組のコーナー企画「東大受験プロジェクト」にチャレンジしました。東大生の家庭教師をつけて、芸人たちが東大合格を目指し必死に勉強するというこの企画。ラサール石井らと猛勉強した山田雅人ですが、残念ながら合格することはできませんでした。しかし、なぜか東大受験の魅力にどっぷりはまってしまい、その後、7回も東大受験を重ねます。
そんな山田雅人を、嫁と娘が支えていました。東大受験を何度も失敗している最中、娘は「私が就職したら、塾代を出してあげるね」との応援コメント。しかし、7回もの受験勉強に数百万円を費やし、家中に暗記ものの貼り紙をするなど、嫁や娘には迷惑をかけていたとか。家族の理解があってこその東大チャレンジでした。
山田雅人は持ち前の根性と努力で「かたりの世界」を確立!これからも声を武器にテレビやラジオなどで活躍出来る存在
山田雅人が、2018年3月16日に更新したブログが話題になっています。山田雅人によると、前日の15日は、「梅宮辰夫生誕80年・芸能生活60年を祝う会」のトーク&ディナーショーの司会とかたりを担当することになっていたそうです。しかし、その直前に、主役の梅宮辰夫が、顔面に30針も縫う大怪我を負ってしまいました。
ショーが中止になってもおかしくない中、梅宮辰夫から「怪我を笑って盛り上げてくれ」と言われた山田雅人は、ディナーショーを見事に成功させました。ここにも、山田雅人が今まで培ってきた「かたりの世界」のためのノウハウが生かされていたのでしょう。
山田雅人はマイク1本で、笑わせたり感動させたりすることができる「かたりの世界」を確立させたエンターテイナー。今まで3000人以上にインタビューをし、それを書き留めた取材ノートは、自宅の机の上に山積みになっているそうです。しかも、舞台には台本を持たずにニュートラルな状態で上がり、頭に浮かぶ順に話すとか。題材が自分の血肉になるまで追求する山田雅人は、まさに「かたりの世界」によって、何人にも追随しえない新しい芸の境地にたどり着いたと言えます。