湯川れい子と長渕剛の関係!山本五十六は親戚なのに反日思想?

湯川れい子と長渕剛の関係!山本五十六は親戚なのに反日思想?

湯川れい子を「お母さん」と慕う長渕剛との関係!

湯川れい子は、音楽評論家、作詞家として有名ですが、エルビス・プレスリーのファンとしても知られている一方、日本のアーティストでは、長渕剛が好きだと話しています。

長渕剛のことを「稀有な短篇作家」と評価する湯川れい子。対する長渕剛は、湯川れい子のことを「お母さん」と呼んで慕っています。2015年8月に行われた長渕剛の「10万人オールナイト・ライヴ」も、湯川れい子からアドバイスを受けたことで実現したのだとか。

湯川れい子の「生誕80年、音楽評論家55年、作詞家50年を祝う会」が、2016年6月17日に行われた時も、親交の深いアーティストたちが歌を披露した中で、ラストステージを飾ったのは長渕剛でした。長渕剛は「乾杯」を熱唱し、自らの歌声で湯川れい子を祝福しました。

湯川れい子は山本五十六の親戚なのに反日思想って本当?

湯川れい子の父親は、元海軍大佐の湯野川忠一です。その従姉妹が山本五十六の妻ということで、山本五十六は、湯川れい子の親戚になります。山本五十六とは、周知の通り、第二次世界大戦で真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官です。しかし、最後まで戦争に反対していたのもまた山本五十六でした。日本の実力がよく分かっていた山本五十六は、右翼などの脅迫にも屈せず、ずっと戦争に反対していました。

湯川れい子は、これまでネットで、「日の丸や日章旗を振り回して威勢のいいこと言っている男たちには、心底虫唾が走ります」とツイートしたことから、反日思想といわれています。しかし、山本五十六を親戚に持つような環境に育った湯川れい子は、反日思想というより、山本五十六同様、心の底から戦争に反対しているだけではないかと思われます。

湯川れい子はまた、「戦争は人間がそれを選び、やってしまった恥ずべき行為」ということもつぶやいています。このような発言からは、世界から戦争がなくなれば……そんな思いがひしひしと伝わってくるというものです。実際、湯川れい子は、反戦平和運動や反核運動などのボランティア活動にも積極的に参加しています。

湯川れい子が作詞した偉大な名曲たち!息子と夫の波乱エピソードとは?

湯川れい子が作詞した偉大な名曲たち!その感性がすごい!

湯川れい子が作詞家になって50年経ちます。その間、作詞した曲といえば、誰もが知っているヒット曲ばかり。たとえば、小林明子の「恋に落ちて-Fall in love」は、カバー曲として歌っているアーティストもたくさんいますが、「金曜日の妻たちへ」というドラマの主題歌になった超ヒット曲です。他にも、アン・ルイスの「六本木心中」、シャネルズの「ランナウェイ」、稲垣潤一の「雨のリグレット」……その時代に青春を謳歌していた人ならば、きっと今も、懐かしい気持ちで聴いているのではないでしょうか。

湯川れい子は、ドラマであればその内容や、曲を歌うアーティストのイメージ、声の質まで、いろいろ考えながら作詞するといいますから、その感性はかなり鋭いですよね。完成までの作業も徹底しており、「恋に落ちて-Fall in love」の詞ができるまでに、8回くらいは書き直しをしたといいます。不倫がテーマのドラマだったので、不倫感漂う歌詞にしてほしいとか、いろいろ注文があったようです。そして、最終的に、あのすばらしい名曲が生まれたのです。

湯川れい子の離婚の原因となった夫の波乱エピソードとは?息子はどんな人?

湯川れい子は2度結婚しています。1度目は、湯川れい子の家に下宿していた会社員との結婚でしたが、16年で破局を迎え、子供はいなかったようです。2度目の結婚相手は、実業家の田村駿禮で、息子も生まれました。田村駿禮との出会いは、2人ともエルビス・プレスリーのファンで、ハワイアンコンサートで隣の席だったことがきっかけです。

湯川れい子のほうからプロポーズしましたが、田村駿禮の答えは「エルビス・プレスリーに会わせてくれたら結婚する」。自分からプロポーズしたというのもすごいですが、条件を出されて、本当にエルビス・プレスリーに会わせてあげたというのはさすがな湯川れい子。驚いたことに、エルビス・プレスリーは、湯川れい子と田村駿禮の結婚証明書に、証人としてサインしてくれたそうです。

湯川れい子の夫は、その後30億円という多額の借金を抱えたことで、家までも差し押さえられてしまいました。その借金を肩代わりしたのは、湯川れい子です。その上、夫に愛人がいるということが分かったことから離婚へ。結婚して26年経った時のことでした。湯川れい子の息子は、現在、キョードー東京の取締役をしている田村有宏貴で、ポール・マッカートニーの来日コンサートを実現させたすごい人です。実は、夫との離婚後、息子は夫の両親に育てられたといいます。

なぜなら、湯川れい子は当時、C型肝炎を患っていたため、病と闘いながら、仕事をしながら子育てすることは難しかったからです。しかし、絶縁状態にあったわけではなく、息子に対する愛情、元夫の父母への恩義はいつも心にあったという湯川れい子。息子の田村有宏貴からは、結婚式に両親揃って出席してほしいといわれ、元夫と一緒に出席したそうです。

湯川れい子の「生誕80年、音楽評論家55年、作詞家50年を祝う会」でわかる幅広い人脈とその実力!!

湯川れい子は、日本音楽界の母とも呼ばれていますが、これまで音楽評論家として、作詞家として、幅広く活躍してきました。その実力を見せつけてくれたのが、「生誕80年、音楽評論家55年、作詞家50年を祝う会」です。2016年6月17日に東京都内のホテルで行われた祝う会の発起人は、大手芸能プロダクションの社長をはじめ、芸能界や音楽界の大物ばかりの84名。会場運営で走り回っていたのも、業界の役員ばかりでした。出席者も、大物歌手をはじめ約1000人という、大々的なイベントとなりました。

これは、湯川れい子がこれまで音楽に捧げてきた情熱が、多くの人を惹きつけることにつながった証でしょう。祝う会では、「ヒストリーVTR」で、湯川れい子の80年の歩みが紹介された後、松本伊代などのアーティストたちが、次々と湯川れい子が作詞したヒット曲を歌いました。また、祝う会に来ることができなかったポール・マッカートニー、オリビア・ニュートンジョン、フリオ・イグレシアスなどなど、海外の超ビッグアーティストたちからのメッセージもたくさん寄せられたそうです。

湯川れい子の生誕80年、音楽評論家55年、作詞家50年を記念して、「音楽を愛して、音楽に愛されて」というCDアルバムも発売されました。「洋楽編」は、自身に関わりのある曲を集めたもの、「邦楽編」は、自身が作詞した曲の中から選んだものが収録されています。

湯川れい子の願いは、これからも好きな時に、好きな人と、好きな音楽が楽しめる日本、世界であってほしいということです。これは、もちろん、世界の平和を願う気持ちから発せられた言葉だと思います。「音楽を愛して、音楽に愛されて」も、そのような平和への願いがこもったCDなのではないでしょうか。80歳とは思えない若々しい湯川れい子ですが、これからもますます活躍の場を広げていってほしいと思います。

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