2017年3月7日 更新
石田えりは三國連太郎が愛した美人女優!「釣りバカ日誌」を降板したワケ!
石田えりの「釣りバカ日誌」みち子さんに恋い焦がれたのはスーさんの三國連太郎だった?!
石田えりは、1960年生まれで56歳。1988年から1994年まで、国民的人気映画「釣りバカ日誌」シリーズに、主人公ハマちゃんの愛しの愛妻みち子さん役で出演し、人気を博していました。
石田えりのナイスバディと愛くるしい笑顔は、映画ファンだけでなく、大御所の出演者まで魅了してしまいます。それがハマちゃんのパートナーである、社長のスーさんこと三國連太郎です。
石田えりの魔性の魅力が「釣りバカ日誌」降板の理由だった?!
石田えりは、なぜか8作目で、「釣りバカ日誌」シリーズから突如降板してしまいます。代わりにみち子さん役となったのは、演技もラブシーンも心もとない浅田美代子でした。その原因として伝えられているのが三國連太郎です。映画公開当時、すでに還暦を越えていた三國連太郎でしたが、石田えりに、かつて愛した魔性の女・太地喜和子の面影を見たのか、猛然とアプローチしたそうです。
しかし、石田えりはアッケラカンと無視。すると、三國連太郎は、可愛さあまって憎さ百倍だったのか、制作サイドに圧力をかけて、石田えりを下ろしたといいます。見方を変えれば、石田えりが、それほど肉感的で、男性を包みこむような魅力があったということでしょう。
石田えりが若き頃の映画「遠雷」が大胆すぎる!現在の女優活動は?
石田えりが映画「遠雷」でみせたナイスバディの衝撃
大手映画会社が低迷していた1970年代後半から1980年代にかけて、数々の名作や問題作を提供したのが、日本アート・シアター・ギルドでした。その名作の1本が、1981年の「遠雷」。都市化が進む宇都宮で、農業を営む青年の赤裸な日常を描いた、根岸吉太郎監督の作品です。今では実際に農業を営んでいる俳優・永島敏行の出世作であるとともに、その豊満な肉体を惜しげもなくさらした女優・石田えりの代表作でもあります。
石田えりは当時25歳。その後は、個性派女優として活躍するだけでなく、篠山紀信や、ヘルムート・ニュートンなど、著名なカメラマンによるヌード写真集が話題となりました。最近はあまりマスコミに登場しなくなった石田えりでしたが、突如ライザップのCMに登場。デビュー当時の肉体を取り戻そうと奮闘しています。
石田えりは男前の性格で、今も充実した女優生活
石田えりは、1985年に、西条秀樹や桑名正博のサポートバンドを務めたミュージシャンの吉野藤丸と結婚し、1990年に離婚しています。子供はいなかったようです。離婚後の石田えりには、三國連太郎を始め、萩原健一など、言い寄った男は数知れず。しかし、石田えり本人は、極めて男前な性格のようで、浮いた噂もあまり聞くことはありませんでした。
石田えりは、その後も女優として、自分が気に入った役ならば、メジャー、独立系に関係なく出演。映画や芝居、ドラマにとコンスタントに活動を続けてきました。ここ1、2年を見ても、「新歌舞伎座新開場五周年記念『GS近松商店』」や、映画「シネマの天使」「流れ星が消えないうちに」「うつくしいひと」など、充実した女優生活を送っています。
石田えりライザップTVCM出演で往年のナイスバディは甦るか?!
女優として充実した日々を送っている石田えりですが、さすがに50歳も半ばになると、体型の変化に戸惑うことも増えてきていた様子。努力をしてもなかなか元の体型に戻らない現実に直面し、「おばさんだから仕方ない」と、半ばあきらめていたようです。
そこへ持ちかけられたのが、今回のライザップによるシェイプアップ企画。かなり本気モードのようで、目指すは史上最強50代美ボディ!石田えりは、「(成功したら)脱ぎますよ!全部脱ぎます!」と怪気炎を上げています。しかし、石田えりがデビュー当時、あれほど注目を集めたのは、決してスタイルがよいわけではありませんでした。グラマラスでありながら、どこか日本人的な母性を感じさせる肉体の持ち主であったからといえます。
石田えりが、今はやりの6パックになってしまっては、その魅力が失われてしまうと、往年のファンは気が気でないことでしょう。成熟した肉体に、少女の天真爛漫さとふくよかな母性を秘めた石田えりは、今なお、多くの制作者や監督を刺激する女優です。
もし石田えりが今回のシェイプアップに成功したならば、高齢者の恋愛や性が話題とされる昨今、グラビアどころか、大胆な問題作への出演もあり得るかもしれません。しかし、ライザップのTVCMで、プルンと出たお腹を見て「キャー」と笑っている石田えりも、それはそれで十分可愛いとも思うのですが、さて。