北大路魯山人流納豆の食し方の極意!すき焼きレシピも粋だった!

北大路魯山人流納豆の食し方の極意!すき焼きレシピも粋だった!出典:http://matome.naver.jp

北大路魯山人流納豆の食し方の極意!すき焼きレシピも粋だった!

北大路魯山人流納豆の食し方は混ぜる回数がポイント!400回以上とする理由は?

北大路魯山人とは、類まれなる才能を持った芸術家。書や篆刻(てんこく)を手始めに、絵画や陶芸など、幅広い芸術分野において功績を残し、今なお数多くのアーティストに影響を与え続けています。そんな北大路魯山人の”納豆の拵え方”は、究極の納豆の食し方として、知る人ぞ知るところです。

納豆を、深めの鉢に移して、箸で掻き混ぜること305回、さらに醤油を2回に分けて加え119回。計424回混ぜることで、うま味の増加がピークに達し、ふわふわの泡に包まれた、濃厚な味わいの納豆を食するというのが北大路魯山人流。撹拌回数をカウントして、醤油投入のタイミングと食べごろを報せてくれる「魯山人納豆鉢」なる玩具まで発売されるほど、話題になりました。

ただし、北大路魯山人が昭和7年9月の雑誌「星岡」で紹介した”納豆の拵え方”には、先の手順は同じく記されているものの、撹拌回数は明記されていません。約400回という数字は、味覚センサーを使用した後世の研究によって後付けされたもの。北大路魯山人の場合は「納豆は不精をせず、手間を惜しまず、極力ねりかえして食べるべきもの」と、より粋な言い方をしています。

北大路魯山人流すき焼きは素材を生かした究極のレシピ!

北大路魯山人は、稀代の美食家でもありました。北大路魯山人が考案したすき焼きレシピは、材料の性質を最大限に生かし、最も旨い状態で食すという芸術論ともいえます。まず、牛脂を熱したすき焼き鍋で、牛霜降り肉に軽く焼き色をつけたら、みりん・醤油で調味し、焼き過ぎないうちに溶き卵を付けて食べます。牛肉ばかりを全て食べきった後で、肉のうま味が染みわたった鍋に、出汁を少量投入。豆腐と野菜を炒りつけるようにして仕上げるというもの。

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ちなみにロースやヒレ肉の場合は、タレを絡めてから片面のみを焼き、表面が桃色のまま食すのがベスト。北大路魯山人の場合、つけダネは、生卵の他に、大根おろしを気に入って用いることもあったそうです。食と対峙した時、寸分も食材から全身を逸らさない北大路魯山人の態度は、まさに食の芸術家。この精神性に、最も”粋”を感じされられます。

北大路魯山人はタニシの寄生虫が死因?名言からわかる価値観とは?

北大路魯山人はタニシの寄生虫で皮膚が緑色に?死因の真相は?

北大路魯山人は、1959年、肝不全により横浜医科大学病院で死去しました。死因となった肝不全の原因はさまざまですが、北大路魯山人の場合は、肝吸虫、昔でいう、肝臓ジストマと呼ばれた寄生虫のせいであったといわれています。美食家たる北大路魯山人は、生前、かなり冒険的な食生活を送っていたようで、「タニシを食べ過ぎて死んだ」「死ぬ前は全身が緑色だった」との噂が都市伝説化しています。

確かに、北大路魯山人が、生煮えのタニシを好んで食していたのは事実のようで、近年でも、中国でタニシを食べ続けた男が寄生虫によって皮膚が緑色になってしまったという事例がありました。ただ、北大路魯山人の場合は、鯉の洗いや鮎の背越しなど、生の川魚も大好物でしたから、今となっては、何の寄生虫が死因となったのかを推測するのは難しいかもしれません。

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北大路魯山人の名言!寄生虫をものともしない自然信仰が芸術家たるゆえん

北大路魯山人の名言の中に、「人はただ自然をいかに取り入れるか、天の成せるものを人の世にいかにして活かすか、ただそれだけだ」という言葉があります。これは、北大路魯山人の芸術総論であり、人生観。とりわけ料理に関しては、「どこまでも理を料ることで、不自然な無理をしてはいけない」、「味に自信なき者は料理に無駄な手数をかける」と言っており、日本人が刺身を愛する理由を「自然の味を加工の味以上に尊重しているからだ」としています。

北大路魯山人とて、76歳で死ぬまで、自分の身の中の寄生虫に気付かなかったわけではないでしょう。「自然を見る眼を養わなければ、良い芸術はできぬ」という北大路魯山人には、寄生虫による死すらも自然の結果とする、悟りの境地がうかがわれます。

北大路魯山人展の和食の美に海外も注目!稀代の美食家の原点は

北大路魯山人展「北大路魯山人の美 和食の天才」が、2015年6月から、京都、島根を巡り、2016年4月12日~6月26日には、東京三井記念美術館にて開催されました。「和食(WASHOKU)」のユネスコ無形文化遺産登録を記念して開催されたこの展覧会では、北大路魯山人の陶芸・絵画・漆芸・書作品を中心に、料理の献立資料などを展示。北大路魯山人が、「器は料理の着物」とこだわった、器と料理の関係に見られる日本の美意識、もてなしの精神、自然観は、和食に興味を抱く外国人からも注目を集めていました。

1883年、京都に生まれた北大路魯山人は、人気グルメ漫画「美味しんぼ」に登場する海原雄山のモデルにもなった美食家。書道、篆刻として頭角を現し、多彩な芸術分野で大活躍したことはいうまでもありませんが、北大路魯山人を食抜きでは語ることはできません。北大路魯山人は、知人と共同経営していた古美術店で、古陶磁器に盛った料理を常連客に提供するようになったのをきっかけに、1921年に会員制食堂「美食倶楽部」を発足。

「美味しんぼ」で、同名の会を主宰していた海原雄山と同じく、自ら厨房に立って料理の腕を振るう他、料理を盛る食器も自作していました。この4年後から始めた会員制高級料亭「星岡茶寮」は、北大路魯山人の独創的かつゆかしい美の世界を後世にわたって広く知らしめることに。大病を患った時も、好物のタニシを食べれば、たちまち元気になったというくらい、子供の頃から食いしん坊だったという北大路魯山人。食こそが、”天の成せるもの”の筆頭だったのでしょう。

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