河野公平は亀田興毅を引退に追い込んだ男!弱いと言われるボクシングの実力は?

河野公平は亀田興毅を引退に追い込んだ男!弱いと言われるボクシングの実力は?

河野公平は「亀田興毅を引退に追い込んだ男」!世紀の試合の経過に迫る

プロボクサーの河野公平は、スーパーフライ級の世界タイトルを制覇した輝かしい実績を持っています。しかし、何といっても、「亀田興毅を引退に追い込んだ男」として、亀田興毅との一戦が特筆されるべきでしょう。河野公平と亀田興毅の試合は、2015年10月16日、アメリカのシカゴで実現しました。

当時、河野公平は、世界スーパーフライ級王者に返り咲きを果たした身。対する亀田興毅は、世界スーパーフライ級2位。しかし、元世界3階級制覇王者という実力と知名度もあり、試合前のオッズでは、亀田興毅が有利でした。国内専門誌では、実力は双方ほぼ互角という意見が大勢を占め、試合後半に決着とされていました。そして、試合開始のゴングが鳴ります。試合が動き始めたのは2ラウンド目でした。

河野公平の右カウンターがヒットし、亀田興毅をダウンさせます。さらに、3ラウンドでは、亀田興毅はローブローの反則により、2ポイント減点。9ラウンドでは河野公平が減点されますが、その後は、両者の激しい打ち合いが続きました。試合は判定に持ち込まれますが、115-107、116-108、113-111と、河野公平の勝利で2度目の防衛に成功。

序盤に奪ったダウンと、亀田興毅の減点が、最後まで響いた結果となりました。亀田興毅は、この河野公平との試合後に、引退を表明。「河野選手も頑張っていたし、俺も必死だった。今回は楽しかった」と語る姿は、実に清々しいものでした。

河野公平「弱い」と言われるボクシングの実力は?地道な努力で世界王座を得た実力は評価されるべき!

河野公平は、ボクシングの実力そのものは、あまり評価されていません。「弱い」「技術が欠けている」などと言われることもしばしばです。確かに、河野公平の試合運びを見ていると、打たれまくる場面も多く、この印象が「弱い」と言われる一因のようです。

しかし、相応の実力は持ちながらも、魅せる雰囲気や華やかさに欠けるため、メディアでの取り上げ方も不利な扱いを受けているとの印象も少なからずあります。本当に弱ければ、世界王座を獲得することはあり得ないはず。他の世界チャンピオンと比べれば、技術面では劣ると映るようですが、河野公平は、優るとも劣らない強いメンタルの持ち主ともいえます。それゆえ、地道な努力で這い上がってきたひたむきな姿勢が大きな共感を呼ぶのでしょう。

あきらめずに前へ前へと突き進んでいく戦いぶりは、ファンの心を強く揺り動かしてやみません。「自分は不器用。だから、他の人の2倍も3倍も練習しないといけない」と自分でも認めているところに、河野公平の強靭なメンタルが垣間見られます。

かつては一直線のファイタータイプでしたが、経験を積んで、技術にも向上が見られる現在は、その粘り強さがいっそう生かされています。「努力」と「雑草」を体現したその生き様そのものが、人々をとらえて離さない河野公平ですが、実力自体も、そろそろ正当に評価されるべきでしょう。

河野公平の結婚した嫁や子供は?身長体重、プロフィール!

河野公平が結婚した嫁の父親はシンガーソングライターのみなみらんぼうだった!

河野公平は、すでに結婚していますが、その嫁が非常に清楚な美人だと評判になっています。河野公平の嫁は、元モデルの南芽衣(みなみめい)。父親は、なんとシンガーソングライターのみなみらんぼうだとか。みなみらんぼうといえば、150万枚以上のミリオンヒットを売上げ、世代を超えて親しまれ続ける名曲「山口さんちのツトム君」で知られるシンガーソングライターです。

河野公平と嫁が知り合ったのは2013年のことで、知人の紹介がきっかけでした。それから2年の交際期間を経て、2015年3月に結婚しています。河野公平と嫁は同じ年齢ですが、まだ子供はもうけていない様子です。2013年といえば、河野公平がスーパーフライ級世界王座を失った年。再度王座に復帰するのですが、再起を果たした陰には、嫁の並々ならぬ献身があったことは言うまでもないでしょう。

実際、嫁は、ヨガトレーナーとして、ストレッチのアドバイスなどさまざまにサポートしているとか。河野公平が、嫁のことを「勝利の女神」と呼ぶなど、夫婦の絆は非常に堅固なようです。

河野公平は高校時代に陸上部だった!ボクシング未経験からプロデビューへ!

河野公平は、山梨県中巨摩郡櫛形町(現在は南アルプス市)出身で、1980年11月23日生まれの36歳。所属はワタナベボクシングジムです。身長は166.5cmで、リーチは170cm。体重のデータは公開されていません。闘争心に満ちた突進を持ち味としている河野公平のプロ戦績は、43試合で32勝(うち13KO)10敗1分け。ボクシングスタイルから、通称は「タフボーイ」ですが、マニー・パッキャオと見紛う風貌から「和製パッキャオ」とも呼ばれています。

高校時代は陸上部に所属していた河野公平。アマチュアボクシング未経験でしたが、「6カ月でプロボクサーになる」という書籍を読んでボクシングを志します。プロデビューは成人を目前にした2000年11月のこと。残念ながら、白星デビューはならなかったものの、その後は順調に勝ち星を重ねました。

当初、父親はボクシングに反対でしたが、黒星デビュー後の猛練習に励む河野公平の姿を目の当たりにし、徐々に認めるようになっていったとか。その後、自宅リビングを練習場に改修するなどして、陰から支えたのは父親でした。地道な努力を積み重ねた河野公平は、やがて世界王座をつかみ取ります。

河野公平が王者・井上尚弥にプロ入り初のTKO負け!注目される去就は「ちょっと休んで考えたい」

河野公平は、2016年12月30日に開催された世界スーパーフライ級タイトルマッチ(有明コロシアム)で、王者の井上尚弥にTKO負けを喫しました。下馬評でも、圧倒的に不利との声が根強い中でしたが、「序盤か中盤に倒すつもりでいく」とKOを口にしていた河野公平。

プロ16年のキャリアの中では、一度としてKO負けは喫していませんでした。相手に倒されることはあっても、何度も立ち上がるしぶとさが河野公平の持ち味。その自信が、KOを口にさせたのでしょう。河野陣営も、「井上はそういう(しぶとい)相手との試合経験がないはずだ」と、彼の持ち味に活路を見出していました。

しかし、満を持して臨んだ試合は、プロ入り16年目にして初のTKO負けという結果に。6回に2度目のダウンを奪われ、崩れ落ちた河野公平に、レフェリーからの試合ストップが入り、TKO負けが告げられました。試合後、会見に応じて、「もっと強いパンチと思っていた。

しかし、スピード、体力、ステップワークとも噂通りすごかった」と相手を素直に讃えた河野公平。今後については、「今はそれを話したくない。ちょっと休んで考えたい」と明言を避けました。ワタナベジムの渡辺均会長は、「やることは全部やった。(引退が)いいのではないか」と引退を示唆する意向を示しています。

去就が注目される河野公平ですが、1月5日のオフィシャルブログでは、「思ったほどのダメージもなく元気に過ごしてます」と近況を報告。年齢的にはもうそろそろなのでしょうが、河野公平が不屈の努力で這い上がる姿を再び見たい気もします。

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