桑田真澄と清原和博!PL学園の名コンビを分断させたドラフト事件とは?

桑田真澄と清原和博!PL学園の名コンビを分断させたドラフト事件とは?出典:http://www.asagei.com

桑田真澄と清原和博!PL学園の名コンビを分断させたドラフト事件とは?

桑田真澄PL学園黄金時代の清原和博との名コンビ!1年生からエースと4番打者だった!

桑田真澄は、高校球界の雄PL学園のエースとして活躍した姿が、今も野球ファンの記憶に鮮明です。4番打者の清原和博とともに甲子園を沸かせ、読売ジャイアンツに入団後は、名実ともに球界のエースへと成長しました。

決して恵まれた体型ではなかった桑田真澄。抜群の野球センスと、クレバーな投球術、ストイックなまでの野球への取り組みが成功をもたらしたことは言うまでもありません。また、桑田真澄の野球人生を振り返れば、清原和博との関係を抜きにしても語れません。人呼んで「KKコンビ」。

PL学園では、1年生時から、エース桑田真澄と4番打者・清原和博として君臨し、文字通りPL学園の黄金時代到来に貢献した名コンビです。2人が在学中のPL学園の成績は、全国大会5回出場で優勝2回、準優勝2回、ベスト4は1回という記録を持っています。

桑田真澄と清原和博を中心にして、PL学園がトップクラスの強さを誇っていたことは一目瞭然でしょう。桑田真澄が挙げた甲子園通算勝利は20勝と歴代2位で、清原和博の甲子園通算ホームランは歴代トップの13本。そんな怪物級の記録を持つ2人が中心にいるのですから、PL学園が黄金時代を迎えたのも当然です。

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桑田真澄と清原和博の活躍ぶりは世間の注目の的となり、高校卒業後の進路をめぐって報道も過熱する一方でした。そんな中、KKコンビを分断する運命のドラフト会議が開催されます。

桑田真澄ドラフト事件で名コンビ分断!その背景には巨人との密約が?

桑田真澄と清原和博の「KKドラフト事件」として、ドラフト史上語り継がれる騒動。高校卒業後、早稲田大学への進学希望を表明していた桑田真澄。対する清原和博は、プロ入りを表明し、入団先として読売ジャイアンツを希望していました。尊敬する王貞治が監督を務めていたということもあり、巨人へのラブコールは熱烈なものでした。

巨人サイドも、相思相愛の清原和博を指名すると報道されてはいましたが、超高校級スラッガー清原和博を、他球団も黙って逃すはずがありません。ドラフト会議では、複数球団からの指名競合も予想されていました。一方で、進学希望を打ち出した桑田真澄へのドラフト指名は回避される見通しに。

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ところが、運命の1985年11月20日のドラフト会議の席上で大波乱が起こります。会場に響いたのは、「第1回選択希望選手 読売、桑田真澄 PL学園 投手」という、「パンチョ伊東」こと伊東一雄の名調子。巨人が、1位で単独指名して交渉権を得たのは、進学希望だったはずの桑田真澄でした。

一方で、清原和博へ巨人からの指名はない中、事前の予想に違わず、6球団が清原和博を1位指名して競合することに。抽選の結果、清原和博との交渉権を獲得したのは西武ライオンズでしたが、巨人の指名を待ち望んだ清原和博の涙する姿はテレビで幾度となく流され、多くのファンの心を打ちました。

当時、桑田真澄が早稲田大学入学を辞退し、巨人に入団した背景には巨人との間で密約が交わされていたと噂されています。なんと、早稲田大学進学を盾に、他球団からのドラフト指名を回避させる計略だったというのです。しかし、桑田真澄自身は、「巨人に行かないと言ってはいない。巨人が指名してくれたらプロ入りと決めた」と明言し、密約の存在を否定しています。

その後、打ちひしがれた清原和博は、「アンタが勝手に片思いして勝手に振られただけ。悔しかったら王さんを見返してやりや!」と母親から喝を受けてプロ入りを決断し、西武へ入団します。このドラフト会議を境にして、「KKコンビ」は事実上分断されたと言うべきでしょう。

1986年、清原和博は、ゴールデンルーキーとして高卒新記録のホームラン31本を打ち、新人王に輝きます。翌1987年の日本シリーズでは、因縁の巨人と対戦。桑田真澄とも対戦し、ヒットを放ちました。日本シリーズ勝利目前で涙し、セカンドの辻発彦からなだめられたのは有名な話です。その後、1997年のシーズンから、FA権行使で清原和博が巨人に移籍したことで、再び「KKコンビ」が復活しました。

桑田真澄は成績でイメージアップ!論文や指導者語録も好印象

桑田真澄はドラフト時のゴタゴタから成績でイメージアップ!20年間で173勝!

桑田真澄は、ドラフト時のゴタゴタを引きずってプロ入りしたため、プロ入り時は好印象で迎えられたわけではありません。コンビだった清原和博が「悲劇のヒーロー」という雰囲気だったのに対し、桑田真澄には、暗くダーティなイメージが漂っていました。しかし、プロ入り後は優れた成績を残してイメージアップしていった桑田真澄。

プロ入り前後は、打撃や守備でもセンスを発揮し、野手転向も真剣に検討されたほどの実力でした。ゴールデングラブ賞を通算8度獲得したことでも分かるように、優れたフィールディングにも定評があった桑田真澄。しかし、ピッチャーにこだわった桑田真澄は、プロ入り初勝利を初完投で飾ります。

2年目には15勝を挙げ、防御率2.17で、最優秀防御率のタイトルを獲得し、実力を周囲に認めさせることに成功。1990年には、登板日漏洩や野球賭博関連を疑われ、シーズン開幕後1カ月の登板禁止と1000万円の罰金を科されますが、それでも14勝を挙げています。

1994年は14勝を挙げますが、極め付けは、中日ドラゴンズとの「10・8決戦」における3番手での登板でしょう。気迫みなぎる投球で中日ドラゴンズとの熾烈な優勝争いを制した桑田真澄は、見事胴上げ投手になりました。その後、右ひじ故障で苦しんだ時期もありましたが、見事に再起。晩年は、ピッツバーグ・パイレーツでメジャー登板も果たしています。

日本球界での成績は、実働20年間で、442試合登板173勝141敗14セーブ、防御率3.55、1980奪三振。タイトルは、最優秀防御率2回、最多奪三振と最高勝率を各1回獲得。MVP、沢村賞、ベストナインは各1回で、ゴールデングラブ賞は8回受賞。「甲子園の優勝投手はプロでは大成しない」というジンクスをものともしなかったお手本です。プロ入り時の暗いイメージからイメージアップを勝ち取ったのは言うまでもありません。

桑田真澄が修士論文で野球に染み付いた弊害を批判!現在の野球指導者へも苦言を呈する!

桑田真澄は、現役引退後、野球解説者や、評論家、コメンテーターとして活動しています。2009年には、高卒の学歴で大学院進学も果たし、反響を呼びました。もう1つの反響となったのは、桑田真澄の進学先が、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースだったことです。

早稲田大学といえば、桑田真澄が、高校卒業後に進学すると表明した後に、一転プロ入りした因縁の大学。しかし、プロで現役生活を過ごす間も、大学進学の夢はずっと持ち続けていたという桑田真澄にとっては、22年越しで夢をかなえたということになります。2010年3月には首席で修了し、スポーツ科学修士号を取得。最優秀論文賞を受賞した桑田真澄の修士論文の題目名は、「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」。野球に染み付いている古い考え方を変えようという提言内容でした。

桑田真澄は、論文の中で、度を越えた上下関係や、質のない冗長な長時間練習などの弊害を批判しています。自らトレーニング理論を勉強し、合理的な練習法を提案してきた桑田真澄からすると、「上級生は神様」「猛練習」など、古くからしみついた上下関係を強要する体質は非合理的。

それは、「体罰とは絶対に仕返しされない上下関係で起きる。スポーツとして最も恥ずかしい卑怯な行為だ」という発言に端的に表れています。桑田真澄による指導者語録には、「暴力や理不尽な命令は絶対にいけない」という発言も。PL学園時代から桑田真澄を知る後輩たちは、「ミスしても怒らないし、絶対に体罰はしない。でも、目は笑ってなくて逆に怖かった」と証言しています。

「自分に甘く、子供たちに厳しい指導者はいらない」と、現在の日本の野球指導者たちへの苦言をいとわない桑田真澄。未来の指導者として、桑田真澄への好印象と期待を抱く人は少なくないでしょう。

桑田真澄モデルの次男がTV初出演!父親に似つかぬルックスに驚きの声!

桑田真澄が、思わぬ方面からも注目を浴びています。事の発端は、1月12日放送のTBS系バラエティ番組「櫻井・有吉THE夜会」。番組ゲストとして登場したハーフ風のイケメンモデルMatt(マット)の身元が明かされたときのことでした。「ある元プロ野球選手の息子」「ジャイアンツでスター選手だった」「顔が親に似ているとは絶対に言われない」というヒントがあるにもかかわらず、出演者はなかなか答えにたどり着けません。

その正解が、「桑田真澄の次男」と分かると、ネットでも驚きの声が上がるなど反響は大きいものとなりました。桑田真澄の次男Mattの本名は、桑田将司(くわたまさし)で、22歳。ブライダルモデルのほか、サックス、ピアノ、バイオリン、ドラム、歌など、音楽方面を手掛けているそうです。桑田真澄の次男は、「小学校の頃は野球やっていたけど、あんまり好きじゃなかったので辞めた」と、父親には似つかぬ過去を披露。「カードで月100万円使ったことがある」など、大物アスリートの2世らしいプライベートの様子も明かしました。

やはり、最も話題になったのは、そのルックスです。桑田真澄の次男は、金髪に染めた髪の毛に、カラーコンタクトを入れ、細面の顔。あまりにも日本人離れした顔を見ると、桑田真澄に似ていないと言われるのも納得です。両親ともれっきとした日本人なのに、どう見てもハーフとしか思えないルックスには、驚きの声が続出しました。桑田真澄の現役時代を知っているファンは、「似てない(笑)」「桑田っぽさはどこへ」。

一方で、「ここまで似ていないと逆方向」「整形だろ」など物議も醸している様子です。とはいえ、父親と同じ道に進めば、何かと比較されることは間違いないので、芸能という違う道に進んで正解かも知れません。桑田真澄には、日本球界における指導者としてのキャリアが期待されますが、そうなった時に自分の信じる道を歩んでいけるかどうか、興味は尽きません。

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