三島由紀夫と石原慎太郎、美輪明宏との複雑な関係!割腹自殺の真相!

三島由紀夫と石原慎太郎、美輪明宏との複雑な関係!割腹自殺の真相!

三島由紀夫と石原慎太郎、美輪明宏との複雑な関係!割腹自殺の真相

三島由紀夫が熱い思いを寄せた二つの才能、美輪明宏と石原慎太郎

三島由紀夫は、戦後日本を代表する作家です。「仮面の告白」「金閣寺」といった数々の名作を生んだ希代の作家が、あの美輪明宏に思いを寄せていたことをご存じでしょうか。美輪明宏にむけて「君は素晴らしいが、95%の長所を消す5%の欠点がある。それはオレに惚れないことだ」と言ったほど。

美貌だけでなく、アーティストとして才能あふれる美輪明宏に対し、三島由紀夫はかなりの思い入れをもっていたのは間違いありません。一方で三島由紀夫は、石原慎太郎の作家としての才能を早くから認め、友情を育んでいました。「太陽の季節」で文壇に華々しくデビューした石原慎太郎でしたが、奔放な作品世界には批判も多数。そんな中で、三島由紀夫が作品を絶賛したことから、二人は親交を深めていきます。

三島由紀夫の割腹自殺の真相!石原慎太郎、美輪明宏との複雑な関係!

三島由紀夫と石原慎太郎の親交は、石原慎太郎が、1968年に政界に進出すると同時に亀裂を生じさせていきました。三島由紀夫は、石原慎太郎の政界進出に態度を硬化させ、対立を深めていったのです。三島由紀夫は、背が高く体格に恵まれ、若さを持つ石原慎太郎にコンプレックスもあったとの説も。石原慎太郎の政界進出から2年後の1970年、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかける演説を行った後、自ら短刀を腹部に突き立て自決。「日本の先行きを憂いて」というのが、三島由紀夫の割腹自殺の真相だといわれています。

そんな三島由紀夫にその才能を愛された美輪明宏と石原慎太郎。二人は仲が悪く、たまたま同席した際、石原慎太郎は「お前が三島さんを呪い殺したんだろう?」と美輪明宏に絡み、美輪明宏は「ああそうさ、ついでにお前も呪い殺してやろうか?」と返したとか。希代の作家が認めた人物同士、簡単にはいかない複雑な関係のようです。

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三島由紀夫代表作「豊穣の海」あらすじ感想!

三島由紀夫の代表作「豊穣の海」とは?

三島由紀夫の晩年の作品が「豊穣の海」です。三島由紀夫が割腹自殺をする直前に最終回を書き上げたこの作品は、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の四編からなり、文芸雑誌『新潮』に1965年から5年にわたり連載されました。最後の長編小説となる作品は、三島由紀夫作品の集大成ともいわれています。

三島由紀夫代の最後の長編小説「豊穣の海」あらすじ感想!

「豊穣の海」は、古典『浜松中納言物語』をもとにして書かれ、登場人物が輪廻転生し、次巻の主人公となるという構成。『春の雪』は、明治の貴族社会の中での恋愛物語。『奔馬』は昭和初期にあった血盟団事件を下敷きに右翼的思想を持つ青年の姿を追います。『暁の寺』は、戦中から戦後にかけて、タイ王室の美女との関わりを通じて宗教的思想を深めていく男・本多の物語。『天人五衰』は、舞台を現代(当時1970年)に移し、老人となった本多と少年との対立とその終焉までが描かれます。

三島由紀夫の唯美で官能的な世界観が貫かれた究極の小説。文壇の評価は分かれてはいますが、三島由紀夫だからこそ描けた、欧米にはない、日本人としての「世界解釈」を味わえる作品です。

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三島由紀夫の割腹自殺から45年。ノーベル文学賞を受賞するはずだった才能

三島由紀夫が割腹自殺を図ったのは、1970年11月25日。今月でちょうど没後45年となります。当時、三島由紀夫と親交のあった作家・川端康成は、現場を訪れ、「ただ驚くばかりです。こんなこととは想像もしなかった。もったいない死に方をしたものです」とコメントしています。日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した作家・川端康成は、作風は違えど三島由紀夫の才能を認めていました。

実際、1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞した際、三島由紀夫の名も並んで候補にあがっていました。三島由紀夫の才能はすでに世界的にも認められていたのです。1963年、日本文学研究の第一人者であるドナルド・キーンは、ノーベル文学賞の選考員会から日本の作家の中から誰を選ぶべきかの評価依頼を受け、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の順に推薦したといいます。

その年、日本人からはノーベル文学受賞者は選出されませんでしたが、1968年、再度日本人作家にそのチャンスが巡ってきました。すでに谷崎潤一郎が死去していたこともあり、候補は川端康成と三島由紀夫に絞られました。そして、三島由紀夫より作風が社会的に穏やかで、年長者でもあった川端康成が選ばれたのであろうといわれています。

三島由紀夫は、割腹自殺や、政治的な発言といったセンセーショナルな部分に注目が集まりますが、作家としては非常に勤勉でした。学生時代に作家デビューしてから、1970年に45歳でその生涯を閉じるまでに実に多くの作品を残しています。作品は小説だけでなく、戯曲、随筆とその活動は多岐にわたります。

その三島由紀夫のミューズともいえる美輪明宏は、三島由紀夫の戯曲を数多く演じました。特に江戸川乱歩の小説を、三島由紀夫が、美輪明宏のために戯曲として描き下ろした「黒蜥蜴」は美輪明宏の当たり役。実際、三島由紀夫は「君なら、僕のレトリックだらけのセリフを操ることができる。あれは誰にもまねができない”超絶技巧のセリフ術”だ」と語っています。美輪明宏自身も三島由紀夫の才能を認め、尊敬していたそうです。三島由紀夫について美輪明宏は「私は尊敬する人には恋愛感情を抱きません。尊敬できる人はあくまでも尊敬している人」と語っています。

今この平成の時代に、三島由紀夫ほど人々に影響を与え、強烈な印象を残す個性的な作家はいるでしょうか。そういう意味でも三島由紀夫は昭和という時代を象徴する偉大な作家なのでしょう。

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