ニケシュ・アローラの年収が桁外れ!ソフトバンク副社長就任の経緯は?

ニケシュ・アローラの年収が桁外れ!ソフトバンク副社長就任の経緯は?

ニケシュ・アローラのソフトバンクとの契約金は165億6500万円!役員報酬は80億円?

ニケシュ・アローラは、元ソフトバンクグループ代表取締役副社長。インドに生まれたニケシュ・アローラの父は空軍の軍人で、自らも空軍学校を卒業しながら、1989年にインドの伝統ある国立大学に入ったという秀才です。大学卒業後は、アメリカやヨーロッパのビジネス界においてめきめきと頭角を現し、かのグーグルでもその敬遠手腕を発揮してみせました。折しも、今後の進退を考えていたソフトバンクの孫正義は、2015年6月、自らの後継者として、ニケシュ・アローラを、ソフトバンク代表取締役副社長およびヤフー取締役会長に迎えます。

しかし、わずか1年。ニケシュ・アローラは、今年のソフトバンク株主総会をもって、突然、副社長を退任してしまいました。ニケシュ・アローラが、副社長就任に際して支払われた報酬は、165億6500万円。さらに、1年間の役員報酬は、80億円と言われています。これには、一般の人々だけでなく、日本の経済界も驚愕しました。

ニケシュ・アローラはグーグルを世界No.1に導いたITレジェンド

ニケシュ・アローラは、1968年生まれで、まだ48歳です。資本主義社会というものは人種性別貧富の差に関係なく、個人の努力と才覚があれば、富を得ることができる社会というイメージがありました。しかし、現在の資本主義社会では、1%の人々が、残り99%の人々の富を総取りする様相が、現実になってきているようです。

日本では、個人が貯め込んでいる金融資産が1760兆円、現金で900兆円あるという説がある反面、預金が0という世帯が30%という統計も。これは明らかに日本でも、かなり富の格差が進んでいるということでしょう。とはいえ、いまだ平等神話から抜け出し切れていない現代日本。

そんな中、日本企業に勤めながらも、一般庶民には考えられないような莫大な報酬をもらい、あっさり退任したインド人が話題になっています。彼こそが、ニケシュ・アローラ元ソフトバンクグループ代表取締役副社長その人です。卒業後は渡米し、アメリカの大学でビジネスマンとして必須のMBA(経営学修士)や、CFA(証券アナリスト)を取得したニケシュ・アローラ。通信会社のアナリストとしてビジネスのキャリアを積み、1999年にドイツテレコムに入社し、ヨーロッパにおける携帯電話事業の最高営業責任者に昇りつめます。

そして2004年には、グーグルに入社。わずか5年で、営業・マーケティング・提携戦略の最高責任者に就いたIT界のレジェンドです。

ニケシュ・アローラの経歴や人脈がスゴイ!妻が美人すぎると話題に!

ニケシュ・アローラはアメリカ・インド・ヨーロッパをつなぐ超セレブ

ニケシュ・アローラとは、どのような人物なのでしょうか。群雄割拠するITエリートの中では、グーグルにおける世界戦略最大の功労者と称されています。私生活では1度の離婚歴があり、まだ10代の子供がいます。ですが2014年7月、インド財閥の超絶美人令嬢で不動産会社社長を務めるアイシャ・タパールと再婚したニケシュ・アローラ。

まだ根強いインドの階級社会においても、高い地位を誇っています。ニケシュ・アローラの交友範囲は、持ち前の英語力でアメリカの経済界だけでなく、セレブ界にまで及びます。ニケシュ・アローラの再婚パーティには、俳優のアシュトン・カッチャーや、ブラット・ピット、アンジェリーナ・ジョリー夫妻など、各界のセレブが数多く集まったそうです。

ニケシュ・アローラがたった1年間でみせたソフトバンクでの驚くべき経営手腕

ニケシュ・アローラが持つ、アメリカ、ヨーロッパ、インドをつなぐ巨大な人脈は、携帯電話事業の次の主戦場が中国からインドに移ったといわれる今、さらなるグローバル化をめざすソフトバング孫正義にとって、垂涎の人材であったことは事実です。実際、ニケシュ・アローラは、この1年間という短い間にも、大胆かつスピーディな経営手腕をみせています。

まず、ソフトバンクが保有していたアリババ・グループの株式70億ドル分を売却し、さらにゲーム子会社スーパーセルを中国の大手インターネットサービスに76億ドルで売却するなどして財務強化を図りながら、インドや中国の有力ベンチャーには、40億ドルも出資。ニケシュ・アローラの経営判断は、孫正義も高く評価していました。

ニケシュ・アローラ突然の退任の理由は?

ニケシュ・アローラは、なぜ突然退任したのでしょうか。またなぜ、退任は大きなトラブルもなく、粛々として行われたのでしょうか。孫正義とニケシュ・アローラの弁を比較してみましょう。まずは孫正義です。「ニケシュ・アローラは、事業戦略とその実行において、比類なきスキルを持った、非常に稀なリーダー」と、ニケシュ・アローラを絶賛しつつ、「私の60歳の誕生日に、ソフトバンクグループの経営を引き継いでもらおうと考えていました」と、ニケシュ・アローラと後任にという当初の目論見を語りました。

その一方で、「私はまだやり残した仕事がある」と、自身の仕事に対する未練や、ニケシュ・アローラの描いたものとはまた違う展望をあたためているらしいことを示唆した孫正義。この間に、「ニケシュを、当社のトップになるまで待たせてしまうことになってはいけない」と考えての決断だったと語っています。

一方、ニケシュ・アローラは、「マサ(孫正義)を手助けし、変革の種まきができたことは、非常に大きな経験でした。これからの挑戦については自分自身楽しみにしています」と答えています。日本の会社では、カリスマ経営者などと賞された人ほど、会社にしがみつくものです。

しかし、ニケシュ・アローラのようなグローバルな経営者にとって、経営はあくまでプロのスキル。その実績を、いくらのギャラで評価されるかが、第一義なのでしょう。そういう意味では、たった1年ではあっても、孫正義率いるソフトバンクとニケシュ・アローラの関係は、お互いウィン・ウィンの関係であったといえるのでしょう。

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