鈴木宗男のムネオ日記から見える政治への思い!逮捕事件は冤罪だったのか?

2020年5月15日 更新

鈴木宗男のムネオ日記から見える政治への思い!逮捕事件は冤罪だったのか?

鈴木宗男は、パフォーマンス上手の北海道一途な政治家

鈴木宗男は、1948年生まれの66歳。かつては自民党のコワモテ議員として君臨し、北海道開発庁長官や沖縄開発庁長官などを歴任。北海道発展のために精力的に活動する議員として、地元で圧倒的支持を得ていました。

高校の後輩である歌手の松山千春が熱烈な後援者であったり、2メートルを越すコンゴ出身のムルアカを私設秘書につけたり、また「ムネオ日記」というブログで、自己の政治活動を詳細に報告し政治への思いを吐露するなどして、常にマスコミの話題に上る議員でした。
しかし2002年、鈴木宗男は独自の外交政策やその強引な地元優先の政治手法が問題とされ、党内や官僚たちから批判が上がる中、鈴木宗男事件と呼ばれるいくつかの収賄容疑で逮捕され、自民党を離党するはめになります。
政治家とっては、良くも悪しくも潮時が大切なようです。それは刻々と変化し、白が黒に、黒が白にひっくり返る恐ろしい潮。一瞬でも読み間違えると、昨日天下を取っていた者があっという間に寝首をかかれて、選挙に負け、ただの人になってしまうのです。

鈴木宗男の収賄事件は、政府、司法、マスコミが仕組んだ冤罪?!

鈴木宗男事件は、最高裁まで争われることになりました。結局2010年に鈴木宗男は、懲役2年の実刑と追徴金1100万円が確定。その後、政権が自民党から民主党へ移るという大政変が起こりました。そして、その民主党が次の選挙で大敗し、自民党の安倍政権が安定した政権を維持するという目まぐるしい政治状況の中で、鈴木宗男は新党大地を結成します。

しかし、自身の実刑確定や弱小政党の集合離散の中、鈴木宗男は潮を読み違えました。今でも新党大地・真民主の代表は鈴木宗男ですが、国会議員がひとりもいない地方政党と化しています。鈴木宗男の収賄容疑は、彼自身の政治手法に大きな問題があり、全くの冤罪とは言えないでしょう。

我々国民は、時の政府や官僚が、司法やマスコミを使って独自の外交や政策を進めようとする、一匹狼的な政治家を排除したという疑惑があったことも見落としてはいけません。

鈴木宗男の娘、息子の現在は?北方領土に真正面から取り組む北海道の星!

鈴木宗男の後継となった娘の、父親譲りの粘り強さ

鈴木宗男事件の一連の動きの中で、鈴木宗男の後継者問題が浮上しました。彼の意志を継いで政治家となったのは、なんと長女の鈴木貴子でした。

鈴木貴子は1986年生まれの30歳。2012年の第46回衆議院議員総選挙に、公民権停止中のため立候補できない父・鈴木宗男に代わり、勤めていたNHKを退職してまで、北海道7区から新党大地の候補として出馬しましたが落選。しかし翌年、同区議員の辞職により、繰り上げ当選を果たします。

2014年の第47回衆議院議員総選挙では、鈴木宗男の意向もあってか、民主党に入党し、同党公認で北海道7区から出馬しますが惜敗。しかし、また比例で復活当選を果たした鈴木貴子。父親ゆずりの選挙強さを発揮しています。

鈴木宗男は、長男、次男にそっぽを向かれたダメおやじ

鈴木宗男には子供が3人おり、貴子の上に、長男、次男と息子が2人います。普通ならば、息子たちのいずれかが鈴木宗男の後を継ぐはずでしょう。しかし、鈴木宗男の息子たちが一般人として、頑なに公に姿を現さないのは、やはり父である鈴木宗男との間に大きな葛藤があることは間違いありません。

鈴木宗男は、戦後の団塊世代よりずっと若い世代ですが、家の事や子育ては、すべて妻まかせの典型的な亭主関白。たまに家にいるかと思えば、子供たちを怒鳴り散らすカミナリ親父だったそうです。これでは息子たちが反発するのも致し方ありません。そんな鈴木宗男の一縷の希望が末娘というのは、皮肉な話です。

鈴木宗男の潮時は、2016年夏の選挙で決まる

鈴木宗男は、幾多の障壁にも決してめげていません。それどころか、次の選挙に向け、積極的に活動しています。自分が出ることができる会合や催しには、かならず顔を出しているという鈴木宗男。昨年末も、元大関朝潮、高砂親方の還暦パーティに出席していました。これは、同じ高砂一門で相撲協会会長になった八角理事長、元横綱北勝海の後援会会長を、鈴木宗男が今も務めているよしみからのようです。

鈴木宗男はかつて、北海道の開発予算を獲得するため、大蔵省への陳情に北勝海を同行させるなど、何かとパフォーマンスに長けた人物。しかし、そのパフォーマンスは、自分が目立ちたいからというよりは、どんな手段を使ってでも、自分の政治的目的を達成させたい一心からといえます。

鈴木宗男の、北海道を基盤にした政治・外交政策は、決していい加減なものではありません。対ロシア政策も、鈴木宗男の政策が実行され、多岐な民間交流を通じてのパイプ作りがなされていたら、現在のようにただ反目しあうだけでなく、領土問題の現実的解決の糸口になっていたかもしれません。

ただ鈴木宗男は、それらを実現するためにあまりにも手段を選ばず、唯我独尊すぎたといえます。地元への利益誘導政治は、田中角栄の時代にすでに終わっているのです。政治家は、時局の潮を見定めないと生き残ることはできません。鈴木宗男が復活できるかどうかは、今年夏の選挙に、その全てがかかっています。

関連記事

ページ上部へ戻る