歌人・鳥居「セーラー服の歌人・鳥居」で明かされた壮絶な生い立ち!本名、年齢は?

歌人・鳥居「セーラー服の歌人・鳥居」で明かされた壮絶な生い立ち!本名、年齢は?

歌人・鳥居「セーラー服の歌人・鳥居」はフィクションではない!本名、年齢、セーラー服の意味は?

歌人・鳥居という、セーラー服を着た短歌詠みの女性が、今話題になっています。歌人・鳥居の半生を綴った「セーラー服の歌人・鳥居」(著・岩岡千景)が、2016年2月10日に出版されました。”拾った新聞で文字を覚えたホームレス少女の物語”と、おおよそ日本の話とは思えない副題が付けられた本著は、まぎれもなく、歌人・鳥居という実在女性の生い立ちを綴ったものです。

歌人・鳥居は、三重県出身であること以外に、本名や生年月日などの素性を明かしていませんが、年齢は20歳を超えていることが分かっています。歌人・鳥居が成人した今もセーラー服を着て活動しているのには、さまざまな理由で義務教育を受けられないまま大人になった人々を代弁する、という表現活動の意味があります。そして、歌人・鳥居も、義務教育の権利を奪われた1人でした。

歌人・鳥居の壮絶な生い立ち!母の自殺、虐待、孤立無援のホームレス生活

歌人・鳥居の生い立ちを記した「セーラー服の歌人・鳥居」によると、歌人・鳥居は、2歳の時に両親の離婚によって、母親方に引き取られています。もともと精神不安定だった母親の罵倒と看病に振り回され続ける毎日。小学5年生のある朝、「こんな家イヤだ!」と言って学校に行くと、帰ってきた時には、母親が自殺図って瀕死の状態で倒れていました。どうしていいか分からず、数日後、学校に相談した時には、母親はすでに死んでいたといいます。

その後、歌人・鳥居は、新宿の児童養護施設を経て、三重県の養護施設に入所しますが、いずれでもひどい虐待を受けました。中学校もろくに通えず卒業となった歌人・鳥居は、独り暮らしをするも、心身双方に受けた傷の後遺症は重く、バイトすらままなりません。里親にも見捨てられ、児童相談所に避難を求めるも取り合ってもらえなかった歌人・鳥居。こうして歌人・鳥居は、若くしてホームレス生活を余儀なくされました。

歌人・鳥居の短歌への想い!「生きづら短歌会」とは?

歌人・鳥居にとって短歌は生きる手段、心の闇を昇華する表現だった

歌人・鳥居の短歌は、2012年の全国短歌大会で佳作に選ばれ、その年の短歌誌「塔」で発表された、「攪乱」と題した連作短歌が注目を浴びました。また、2013年には路上文学賞大賞受賞、2014年には中城ふみ子賞の候補にも挙がり、2015年に新聞に寄稿した短歌は、ネットで大きな話題を呼んでいます。歌人・鳥居が初めて短歌に出会ったのは図書館。拾った新聞で文字を覚え、ほぼ独学で学んだ短歌には、もちろん”食べていく手段”という目論見もありました。

しかし、現在も複雑性PTSDという病と闘い続けている歌人・鳥居にとっては、短歌は”心の闇を昇華するための表現”という意味のほうが生きていく上で重要でした。母の自殺や虐待のトラウマを詠む時、フラッシュバックに襲われて倒れたり寝込んだりすることもあるという歌人・鳥居。それでも紡ぎ続けられる短歌には、「過去を憎んで切り捨てるのではなく、見つめ直したい」との想いが込められていました。

歌人・鳥居が「生きづら短歌会」を開催する理由、ペンネームにも意味があった!

歌人・鳥居は、壮絶な半生の中で心身を病み、自殺未遂を図ったこともあったといいます。それでも歌人・鳥居が生き延びられたのは、短歌という表現手段に出会ったから。「生きづらいなら短歌をよもう」と呼びかける歌人・鳥居は、いじめや虐待、不登校など、さまざまな生きづらさを抱える人々のための「生きづら短歌会」などの歌会を、無料で開催することがあります。

誰にも届かない心の叫びを吐き出すことは、きっと彼らにとって一縷の光になるはず。ペンネームの”鳥居”は、神と人間の世を分ける鳥居に由来し、「境界を超える力を短歌に宿したい」という意味も込められているそうです。参加者からの「弱いままでいいと気づかされた」「勇気づけられた」との反響は、世間から隔てられてきた歌人・鳥居に通ずる光にもなっているといいます。

歌人・鳥居の夢とは?初の短歌集「キリンの子」のエネルギーに気づかされること

歌人・鳥居の壮絶な生い立ちを綴った「セーラー服の歌人・鳥居」は、豊かな日本で暮らす人々にとって信じがたい光景ですが、決して目を背けてはいけない現実です。今もなお、どこかで、貧困や暴力に喘ぎ、すでに心身の傷を抱えて苦しんでいる人々の声を世に引き上げた歌人・鳥居。彼女の初の短歌集「キリンの子」が今、異例の売り上げを記録しています。短歌集の発行部数は、一般的に、多くて800部~1000部といわれていますが、「キリンの子」は、2016年2月16日の初版2千部からすでに4版目、発行部数累計1万3000部に上りました。

たった31文字の短歌に込められた歌人・鳥居のストレートな言葉は、傷ついた人々だけではなく、それを看過してきた人々の心をも揺さぶり続けています。セーラー服をまとい、「慰めに『勉強など』と人は言う その勉強がしたかったのです」と詠う歌人・鳥居の夢は、義務教育を受けること。現在、そのためのカンパを募っているそうですが、書類上のこととはいえ中学卒業の肩書を持つ歌人・鳥居は、夜間中学への入学も許されず、当然の権利を受けることができません。

しかし、そのような現状に目を向ける機会を、”短歌”という馴染みのない手段で若者層まで拡散した歌人・鳥居のエネルギーは、きっと何かを動かしそうな予感がします。「生きづらいなら短歌をよもう」。その言葉から人々が得るものは、単なる慰めではなく、生きる勇気にほかなりません。

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