なかにし礼、現在は食道がん完治!陽子線治療の驚くべき効果とは!

なかにし礼、現在は食道がん完治!陽子線治療の驚くべき効果とは!

なかにし礼は、戦後日本を代表する作詞家

なかにし礼は、日本の歌謡界を代表する作詞家です。しかし最近のなかにし礼は、二度もがんから生還した人物として注目を集めています。最初にがんが見つかったのは、2012年2月。3月に入り、テレビ朝日の「ワイドスクランブル」でコメンテーターをしていたなかにし礼は、自ら食道がんであることを番組で明かし、闘病生活に入ります。

医者からは、抗がん剤、放射線治療、手術という治療法を提示されますが、心臓が弱いなかにし礼。長い手術や放射線治療は耐えられないと考え、別の治療法がないか、自らインターネットを使って探し続け、とうとう陽子線療法を見つけます。

なかにし礼が見つけた、がんの陽子線治療法とは

陽子線治療は、従来の放射線治療とは大きく異なります。病巣の深さや大きさに合わせて、ピンポイントで陽子線を照射できるので、がんではない部分の組織を壊さず、効率的に患部を治療することができるのです。なかにし礼は、半年をかけて、30回にも及ぶ陽子線療法を試み、同年10月、見事に食道がんを完治しました。

なかにし礼によって、がんの陽子線療法がいちやく注目を集めましたが、この療法はまだ保険の適用外であり、莫大な治療費がかかるということも知られることになりました。いずれにせよ、なかにし礼は、自らの意志で、陽子線療法というがんの治療法を選び、完治することができました。そして「生きる力 心でがんに克つ」というなかにし礼の闘病記は、ベストセラーになりました。

なかにし礼の加藤和彦自殺へのコメントが辛辣すぎる!?作詞曲は名曲揃い!

なかにし礼が言い放った、安井かずみの死とその夫加藤和彦に対する批判

なかにし礼は作詞に止まらず、2000年には「長崎ぶらぶら節」で第122回直木賞を受賞し、小説家としても名を成します。その頃から、なかにし礼は、テレビコメンテーターなども務めるようになり、その発言が注目を集めることに。1994年、ZUZUの愛称で親しまれた天才作詩家安井かずみが、肺がんでわずか55歳の若さでなくなった時のことです。

当時、安井かずみは、加藤和彦とのセレブでトレンディ―な夫婦生活が有名でした。なかにし礼は、安井かずみの葬儀で「僕は、ZUZUとイエス・キリストと三位一体でこれから生涯生きていきます」と涙ながらに語った加藤和彦が、たった1年で再婚したことを厳しく批判。

その加藤和彦が、結局、再婚相手とも別れて自殺したときも、自業自得であるといった発言を行って、物議を呼びました。なかにし礼は、自らが数奇な運命を生きてきた多情多恨の人。加藤和彦が、自分にとってかけがえのない女友だちの死をないがしろにしたことを、なかにし礼は許すことができなかったのでしょう。

なかにし礼が作詞した、時代を彩る名曲の数々

ここ近年、なかにし礼はテレビのコメンテーターなど、文化人的なイメージが強いですが、戦後の作詞家の中では、デビューから現在まで極めて息の長い作詞家です。1960年代中頃、シャンソンの訳詩を手掛けていたなかにし礼は、石原裕次郎と知己を得て作詞家となります。

その後なかにし礼は、それぞれの時代を彩る歌謡曲の作詩で一世を風靡。今なお現役の作詩家として精力的に活動を行っているのです。ほんの一部ですが、なかにし礼の名詩をいくつかご紹介しましょう。ザ・タイガース「花の首飾り」、ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」、菅原洋一「今日でお別れ」、ペドロ&カプリシャス「別れの朝」、北原ミレイ「北狩挽歌」、細川たかし「北酒場」、北島三郎「まつり」など、グループサウンズから演歌まで、そのレパートリーの広さには驚かされます。

なかにし礼が、がんから奇跡の二度目の生還

食道がんから生還を果たしたなかにし礼ですが、2015年3月、がんが再発しました。今回のがんは、前の食道がんが、食道横にあるリンパ節に転移したもの。がんが同じ場所であるため、前と同じ陽子線療法は、陽子線量が過剰照射となり使えませんでした。当初は体に負担の少ない胸腔鏡手術を予定していましたが、結果的には、背中を約25センチ切る大手術になったなかにし礼。

それでも、気管の壁にへばりついたがんを全て摘出することはできませんでした。手術後、なかにし礼を待っていたのは、1回の治療が5日間続く、ハードな抗がん剤治療。しかし、この抗がん剤治療は、医者が驚くほど効果があり、治療ごとにがんが半分になっていったそうです。

さらに、がんが小さくなったことで、ピンポイントでの陽子線治療も可能になり、抗がん剤と併用として治療を続け、ついに、なかにし礼は、がんから二度目の奇跡の生還を果たしました。10月19日、なかにし礼は、由利子夫人とともに徹子の部屋に出演。一時は「一週間以内に亡くなる可能性が80%」という宣告さえ受け、自分で葬儀や墓の段取りまでしたことを、生々しく語りました。

戦後満州からの決死の帰国。兄との確執と膨大な借金。そして自らの心臓疾患や離婚、そして二度のがんと、あらゆる艱難辛苦を乗り越えてきたなかにし礼の人生は、そのまま戦後日本の歩みといってもよいでしょう。

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