内藤やす子が結婚した夫とは?病気を乗り越えた現在が気になる
内藤やす子が結婚した夫は21歳年下のオーストラリア人!馴れ初めは?
内藤やす子といえば、ハスキーボイスとカーリーヘアで、70年代後半から80年代の日本音楽シーンを刺激した歌手です。そんなロックな内藤やす子は、1995年に結婚していますが、夫は21歳年下、身長185cmのオーストラリア人。当時としては、かなり斬新な結婚だったのではないでしょうか。
日本の文化に魅せられて来日し、英会話学校で教師をしていた内藤やす子の夫マイケル・クリスティンソン。六本木のバーで偶然見かけた内藤やす子に一目惚れしたことをきっかけに、2人は2年の交際を経て結婚しました。新婚時代から、内藤やす子が夫を「マイちゃん」と呼ぶなど、とにかくラブラブのご様子だった2人。結婚時の内藤やす子が44歳だったためか、子供がいるとの情報はありませんが、現在も、新婚当初と変わらず仲が良いそうです。
内藤やす子の病気の後遺症は想像以上だった!歌手復帰後の現在は?
内藤やす子は、2006年5月28日の福島でのディナーショー中に脳出血を発症し、病院に搬送されました。命はとりとめたものの、失語症や右半身の麻痺、状況が把握できずに徘徊する認知障害、記憶障害という後遺症が残った内藤やす子。夫以外の記憶が全くなく、自分が歌手であることを思い出したのは、倒れてから5年も後だったといいます。
夫の看病の下で懸命のリハビリ生活を送る内藤やす子の病状は、少しずつ改善され、2016年2月27日の会見では、約10年ぶりとなる芸能活動への復帰を発表。3月の「中居正広の金曜日のスマたちへ」では、内藤やす子の復帰までの道のりが特集されました。
人の手がなければ階段も降りられず、ボイストレーニングでも声が出ないVTRは大変ショッキングでしたが、スタジオでは、過去のヒット曲3曲を生歌唱した内藤やす子。そのパワフルな歌声は、現在も右半身の麻痺と「さしすせそ」が正確に発音できないなどの発語障害は残っているとは思えないものでした。
内藤やす子「弟よ」「想い出ぼろぼろ」大ヒット!刺青や逮捕歴もあった!?
内藤やす子「弟よ」「想い出ぼろぼろ」とデビューから2年の勢いがスゴイ!
内藤やす子は、浪曲師だった両親の影響で、幼少から三味線、長唄を習って育ち、中学の3年間は、浪曲師・二葉百合子に弟子入りしています。16歳で家出をして、アマチュアロックバンドのボーカルとなった内藤やす子は、1995年、24歳でスカウトされ、「弟よ」で歌手デビュー。
内藤やす子には弟などいませんが、あのハスキーボイスは、拗ねた弟を気にかける姉の切なさを見事に表現するものでした。演歌のようでいてソウルフルという、稀有な曲調も人々を惹きつけ、内藤やす子の「弟よ」は、いきなり36万枚を売り上げる大ヒットとなっています。翌年の大ヒット曲となった、3枚目のシングル「想い出ぼろぼろ」が醸し出す薄幸なやさぐれ感は、内藤やす子の表現力の賜物であり、本人のイメージにもピッタリ。1976年の内藤やす子は、この「弟よ」「想い出ぼろぼろ」で、FNS歌謡祭グランプリ、日本有線大賞、日本レコード大賞などの新人賞を総なめにしています。
内藤やす子は全身刺青だらけ?絶頂期の逮捕でますますワルのイメージが……
内藤やす子は全身刺青だらけだったと証言するのは、内藤やす子が訪れた洋服屋の店員。真相は定かではありませんが、内藤やす子だけに、刺青くらいは入れていそうと考えてしまう人も少なくはないでしょう。1977年、約60名の芸能関係者が、大麻取締法違反で、芋づる式に逮捕された事件がありましたが、内藤やす子もその中の1人でした。特に、1975年のデビューから1976年にかけて爆発的に売れていた内藤やす子は、マスコミの標的となり、実は10代から手を染めていたという話も飛び出す始末。
起訴猶予となりはしたものの、もともとやさぐれ感満載だった内藤やす子は、スキャンダル報道というダブルパンチを食らって、ますます”ワル”のイメージが強くなってしまいました。しかし、1984年にリリースした「六本木ララバイ」のロングヒットで見事再浮上した内藤やす子。その後の紅白歌合戦2年連続出場は、歌手として築いた確かな地位を証明するものとなりました。
内藤やす子の波乱に満ちた歌手生活を金スマで告白!12年ぶりの新曲「あなたがいれば」リリースで完全復活へ
内藤やす子の歌手としての半生は、実に波乱に満ちています。家を飛び出して、バンド仲間と、ジャズ喫茶や米軍キャンプを回る日々。内藤やす子は、慢性の金欠生活の中、「レコードデビューさせてあげるから」と、借金までして工面した60万円をだまし取られたこともあったそうです。これでは、内藤やす子が、「弟よ」のレコードが実際に店頭に並ぶまでは、自分がプロの歌手になった実感を持てなかったというのも無理はありません。
見掛け倒しではなく、生き様がロックすぎる内藤やす子。事件後に歌手として再浮上し、幸せな結婚をしたかと思いきや、今度は病気によって歌手生命の危機を迎えます。その原因は、毎晩ボトル1本空けるバーボンに、1日3箱~4箱のタバコという、内藤やす子の破天荒な因習にありました。
とても褒められたものではありませんが、その生き方が、内藤やす子の情念溢れる歌声を生んだには違いなく、誰をも惹きつける魅力となっているのでしょう。内藤やす子が歌わなくなって10年。2016年3月の「金スマ」に内藤やす子が登場すると、「弟よ」「想い出ぼろぼろ」「六本木ララバイ」など、かつてのヒット曲が音楽ランキングの上位を独占するという現象が起こりました。
昭和のヒット曲でありながら、内藤やす子の歌は、いつ誰が聴いても衝撃を与える力があるのでしょう。2016年6月29日には、12年ぶりとなる新曲「あなたがいれば」もリリースされ、いよいよ本格復帰となりそうです。「歌えなくなることよりも、人として生きていけるかどうか……」という絶望の淵にあった内藤やす子の奇跡の復活劇には、生きることの感動さえ覚えます。