2022年10月11日 更新
堂本剛がパニック障害を発症した当時の状況は?
◆出身:奈良県
◆身長:166cm
◆血液型:AB型
◆所属事務所:ジャニーズ事務所
堂本剛は子役出身!若い頃の忙しさは想像を絶するレベル
KinKi Kidsの堂本剛(どうもとつよし)は、1997年からパニック障害を患っています。ジャニーズ入りする前、堂本直宏名義で活動していた子役時代から、芸能活動にストレスを感じていたという堂本剛。多忙を極めていた10代の頃の記憶は、ほとんどないのだとか。
1995年4月に1作目が放送されたドラマ「金田一少年の事件簿シリーズ」など、デビュー前から数々の話題作に出演していました。1997年7月に「硝子の少年」でCDデビューした頃は、睡眠時間もないほど忙しかったのだとか。コンサート中に、過呼吸の発作に見舞われたこともありました。
それでもステージに立ち続けられたのは、相方・堂本光一のフォローのおかげでもあったといいます。心強い相方がいたからこそ、堂本剛は今日まで活動を続けられたのかもしれません。
堂本剛が自分を取り戻した場所とは?
堂本剛は、2014年2月に発売された著書「ココロのはなし」で、自身が抱える精神的な不調について赤裸々に語っています。
2003年に、過換気症候群やパニック障害を患っていることを告白した堂本剛。症状が出始めたのは、地元・奈良県から単身で上京した15歳頃だったといいます。
「死にたいと思っていた時期もあった」という堂本剛を救ったのが、音楽でした。本当の自分として生きるのを許されていないと感じていたといいますが、歌の中では「本当のことが言える」と気付いたのだそう。
心を解放する場所を見つけた堂本剛は、KinKi Kidsの活動と並行しながら独自の音楽性を追求。2002年5月に1stシングル「街/溺愛ロジック」を発売し、何度か名義を変えながら、ソロアーティスト・ENDRECHERI(エンドリケリー)として精力的に活動しています。
堂本剛の突発性難聴の調子は?
堂本剛が突発性難聴を発症したのはいつ?
歌唱力を高く評価されている上に、作詞作曲も行う堂本剛は、ジャニーズ屈指のアーティストと呼べるような存在です。
アイドルの域を超えた貫禄すら感じさせる活動を展開していた堂本剛に、突発性難聴という悲劇が襲いかかったのは、2017年6月のこと。翌月にラジオ「堂本剛とFashion&Music Book」内で、発症時の状況を振り返っていました。
堂本剛によると、「水中に潜った感じ」になり、両耳が聞こえなくなったのだそう。発症から1週間後に入院し治療したものの、聴力は完全には戻りませんでした。ショックの大きさは、計り知れません。それでも「みんなに力を借りながら頑張ってやってみようかな」と前を向いていました。
堂本剛の耳に合わせてサポート!堂本光一は理解者
2021年10月放送のラジオ「木村拓哉 Flow supported by #GYAO!」に出演した堂本剛は、突発性難聴を発症して以降、左耳の音が低く感じるなど、左右差があることを告白。右耳で聴く音楽を頼りに、歌っているそうです。
発症後、大きな音で耳に負荷がかからないようヘッドホンを装着するなど、工夫して音楽活動を継続しています。
2017年12月に東京ドームで開催されたKinKi Kidsのコンサートは、耳への負担を考慮し、オーケストラ演奏で行われました。通常と異なるライブは、相方・堂本光一の理解と協力があるからこそ実現したはずです。
2019年6月の「テレ東音楽祭」では、音響トラブルでヘッドホンを外した堂本剛に堂本光一が寄り添う場面もあり、2人の絆で困難を乗り越えています。
堂本剛の退所説が気になる!
心身に不調を抱えながら、活動を続けている堂本剛。何度も退所や解散の噂が浮上しており、2019年以降は、ジャニー喜多川の逝去に伴う動向が注目されています。
2020年6月には、ジャニー喜多川がKinKi Kidsと名付ける前に、命名したユニット名を冠した楽曲「KANSAI BOYA(カンサイボーヤ)」を発売。思い入れの深い同曲発売から1年の節目となる、2021年6月での退所説が取り沙汰されましたが、実際には事務所を離れていません。それどころか、KinKi Kids25周年イヤーである2022年は、積極的に活動しています。
2021年末放送の「堂本兄弟2021みんなと一緒に年忘れSP」で、堂本光一は2人で作業中だと報告。堂本剛も、2022年1月3日放送のラジオ「KinKi Kids どんなもんヤ!」の中で「KinKi Kidsに対して持ってる愛情が僕なりに大きくある」と、25周年への意気込みを語りました。2022年3月16日には、シングル「高純度 romance」が発売されます。
パニック障害や突発性難聴と闘いながら、KinKi Kids及びソロアーティストとして活動する姿は、多くの人から支持されています。独自の表現を極めていく堂本剛の今後から、目が離せません。