道上洋三の「おはようパーソナリティ」の歴史!現在のアシスタントは?
道上洋三は伝説の「ヤンリク」出身カリスマアナウンサー
「星があなたにささやく夜も、小窓に雨が降る夜も……」。このテーマソングを聞いて、甘酸っぱい青春時代を思い出すのは、もう50歳以上の関西の人たちでしょう。朝日放送の通称「ヤンリク」こと「ABCヤングリクエスト」は、1966年にスタート。根強い人気を誇り、1986年、昭和の最期を前に終わりを迎えたリクエスト番組でした。
当時は空前のラジオブームで、人気のお笑い芸人やミュージシャンなどがパーソナリティを務める番組が花盛り。しかし、ヤンリクだけは、局のアナウンサーとフリーの新人女性アシスタント2人で、リスナーが希望する楽曲をかけるというシンプルなリクエストスタイルを頑なまでに崩しませんでした。そのため、パーソナリティの濃いおしゃべりに疲れた時や、ながら勉強をする学生たちにとっては格好の番組だった「ヤンリク」。
番組の男性アナウンサーは、決して自分の意見や主張をするわけではありませんが、その落ち着いた進行ぶりで多くの若者たちを癒しもしました。中でも、ヤンリクといえば道上洋三、というカリスマアナウンサーの存在が、この番組を伝説化させたと言えるでしょう。道上洋三は、1943年生まれの74歳。山口県出身で日本大学法学部に進み、1965年、朝日放送に入局しています。
道上洋三の「おはようパーソナリティ道上洋三です」は40年間続く関西のお化けラジオ番組
道上洋三は、「ヤンリク」を経て、朝日放送の看板アナウンサーとなりました。1977年からは「おはようパーソナリティ道上洋三です」をスタート。現在までなんと40年間、番組を担当しています。その偉大な功績もあり、朝日放送では、アナウンサーとして初めて取締役まで上り詰め、現在は、エグゼクティブ・アナウンサー・常勤顧問というポジションに就いている道上洋三。
「おはようパーソナリティ道上洋三です」もまた、ヤンリクと同様、若い女性アシスタントと2人で進行していて、歴代アシスタントは11代目を数えます。現在のアシスタントは、道上洋三や視聴者から「しおり姫」と親しまれている吉田詩織です。
道上洋三の阪神タイガース愛が凄かった!嫌われる理由は何?
道上洋三の阪神タイガースファンは筋金入り
道上洋三が、関西において圧倒的人気を誇るパーソナリティになれたのには理由があります。それは、道上洋三が、真正の阪神ファンであるため、熱狂的なトラキチたちの応援があったからです。在阪局のアナウンサーの中には、仕方なく阪神ファンを装っている者が少なからずいますが、トラキチたちは、それを決して見逃さず許しません。
かたや道上洋三のタイガースファン歴は筋金入り。少年時代に、初代「ミスタータイガース」藤村富美男の予告ホームランを目にして以来だそうです。藤村富美男が引退した後は、「ザトペック投法」の闘将・村山実をこよなく愛しました。村山実もまた、二代目「ミスタータイガース」と讃えられた存在ですから、道上洋三は、阪神ファンとしては王道中の王道だと言えます。
道上洋三唯一の欠点は前日勝利でかならず歌う早朝の「六甲おろし」
道上洋三は、「おはようパーソナリティ道上洋三です」で、朗々とフルコーラスを披露することがあります。歌声が流れるのは、プロ野球のシーズン中、阪神タイガースが勝利を収めた翌日の放送。歌うのは、番組で「国歌」と呼ばれている、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」です。
道上洋三は、日々のさまざまな出来事や政(まつりごと)に関する、極めて的を得つつも抑制の利いたコメントが高く評価されています。彼が嫌いというリスナーはまずいませんが、こと野球の話題となると、阪神タイガース愛が凄まじく、他球団ファンにとっては聞くに堪えられないようです。他球団ファンの方も、一度、番組をじっくりお聞きになってみては?
道上洋三40年続く「おはようパーソナリティ道上洋三です」の泣き笑い人生
40年もパーソナリティを務めていれば、大きな自然災害や事件だけでなく、自分自身にまつわる吉凶さまざまな事件に出会います。道上洋三は、2017年4月6日、同局の後輩であり、「アベロク」の愛称で親しまれたプロ野球中継の名物アナウンサー安部憲幸(あべのりゆき)ががんで亡くなったことを番組で報告しました。71歳でした。
安部憲幸を伝説のアナウンサーにしたのは、1988年10月19日、近鉄VSロッテのダブルヘッタ―ゲーム。近鉄が2連勝すれば、西武を抜いて優勝するという試合でした。結果は、「近鉄バッファローズの悲劇」と球史に語り継がれる死闘に。近鉄は1勝したものの、第2試合、10回裏ドローで時間切れとなってしまいました。
1人でこのダブルヘッタ―を中継し、視聴者に大きな感動を与えた安部憲幸アナの名実況ぶりは、ゲーム「実況パワフルプロ野球」シリーズでも有名に。道上洋三は、「残念ながら、私よりも早く逝ってしまいました」と声を落とし、その死を悔やんでいました。
実は、道上洋三は、20年続けたら、「おはようパーソナリティ」を辞めようと思っていたと言います。しかし、番組18年目の時に阪神大震災が起きました。淡路島で被災した80歳の老婆が、がれきの中から2日後に助け出された時に語ったのは、「彼の番組に励まされ生き抜けた。遠くの親戚より近くのラジオ」。この言葉に感動して以降、とことん番組を続ける決心をしたそうです。
今では、社長が自分より年下でやりたい放題と豪語する道上洋三。リスナーもみんな歳を取りました。道上洋三には、これからも元気で「六甲おろし」を歌い続け、最年長現役ラジオパーソナリティとして、ギネスの殿堂入りを果たしてほしいものです。