ロナウジーニョの「エラシコ」に驚愕!全盛期の神々しさはメッシの比じゃない!?
ロナウジーニョ、エラシコなどの驚愕テクニックでサッカーファンを魅了!
ロナウジーニョ(ロナウド・デ・アシス・モレイラ)は、ブラジル出身のサッカー選手です。ブラジル代表として、2002年に開催された日韓ワールドカップで大活躍したことで、日本でも有名な選サッカー選手の1人となりました。
テクニックに優れたロナウジーニョですが、特に有名なのが、足の外側で少しボールを蹴り出し、同じ足の内側で高速でボールを蹴り出すフェイント技「エラシコ」です。華麗なテクニックでディフェンスをあっという間に交わす姿は、多くのサッカーファンを虜にしました。
ロナウジーニョ全盛期はメッシを凌ぐ大活躍!
ロナウジーニョが所属していたのは、スペインの強豪チーム・バルセロナです。今では、最優秀サッカー選手に贈られるバロンドールを5回も受賞し、人気実力ともにナンバーワンのリオネル・メッシが大活躍中ですが、全盛期のロナウジーニョは、そのメッシをも凌ぐ人気と実力を誇っていました。
2004年には、FIFA最優秀選手賞を受賞し、バルセロナを国内リーグ優勝に導くと、2005年には、FIFA最優秀選手賞を2年連続受賞したほか、チャンピオンズリーグと国内リーグの2冠を成し遂げています。さらに、UEFA年間最優秀選手賞など数々の栄誉ある賞を受賞するなど、まさに神々ほどの活躍ぶりでその名声を確固たるものにしました。
ロナウジーニョの現在の所属チームは?生い立ちや家族は?
ロナウジーニョの現在は?バルセロナに復帰?
ロナウジーニョは、18歳のときに、ブラジルのグラミオでプロデビューを飾りました。その活躍が認められて、若くしてフランスのパリ・サンジェルマンに移籍すると、2003年にバルセロナに移籍。ここでキャリアのピークを迎えます。2008年にイタリアのACミランに移籍すると、2011年にはブラジルに帰国してCRフラメンゴに移籍。その後は、周囲の期待に応えるほどの活躍を見せることはできず、ブラジルのクラブを転々とします。
そして2015年、ブラジルのフルミネンセに入団するもその年の9月に退団すると、その後はとうとう所属クラブが見つからない状況となってしまいました。そして2017年2月に、古巣バルセロナのアンバサダーに就任することが発表され、現在に至ります。
ロナウジーニョ人口150万人の州から世界的なスターへ!
ロナウジーニョは、1980年に、父ジョアン・アシスと母ミゲリーナ・モレイラとの間に生まれました。人口150万人のリオ・グランデ・ド・スル州の州都ポルト・アレグレで、多くのブラジル人と同様に、幼い頃からサッカーを始めたそうです。父親を幼いころに亡くしたロナウジーニョにとっては、兄ロベルトが父親代わりだったそうです。
そのロベルトと一緒に、ブラジルのクラブ・グレミオの下部組織に入団すると、瞬く間に頭角を現し、全ての世代のブラジル代表に選出される才能を見せました。2002年開催のワールドカップでは、ブラジルにとって5度目となる優勝にも大きく貢献しています。
ロナウジーニョがバルセロナのチャリティーマッチでリバウドらと夢の共演!
ロナウジーニョが、古巣バルセロナが本拠地カンプ・ノウで開催したチャリティーマッチに出場しました。試合の収益がバルセロナ小児ガンセンターに寄付されるこのチャリティーマッチは、2017年6月30日に開催。バルセロナ・レジェンドの顔ぶれは、ロナウジーニョに加え、元ブラジル代表のリバウド、ベレッチ、エジミウソンや、元オランダ代表のダーヴィッツ、クライファートなど、かつてバルセロナで大活躍したメンバーです。
対するマンチェスター・Uレジェンズのメンバーは、元韓国代表のパク・チソンをはじめ、元トリニダード・トバゴ代表ドワイト・ヨークや、元フランス代表のルイ・サハなど。試合の結果は、残念ながら、ホームのバルセロナ・レジェンドが1-3で負けてしまいましたが、ロナウジーニョ、リバウドのブラジル代表コンビを中心にした攻撃は、会場を大いに沸かせました。
ロナウジーニョは現在も所属クラブが見つかっておらず、このまま現役を引退する可能性が濃厚となっています。しかし、運動量は落ちても、その超絶テクニックは健在です。将来は、音楽や学校教育の問題に取り組みたいと語っていたこともあるので、サッカーの世界から離れる可能性もあるものの、チャリティーマッチなどの機会に、そのテクニックでまた楽しませて欲しいですね。