稲葉篤紀の引退までの年俸は!?WBC出場の年齢がスゴイ!
稲葉篤紀の引退までの年俸は!?ヤクルト、日ハム、WBCで大活躍!
稲葉篤紀(いなばあつのり)は、東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズにてそれぞれ10年ずつ活躍した、走・攻・守の三拍子がそろった名野球選手です。左投げ左打ちの外野手あるいは一塁手として活躍してきました。第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは、日本代表として日本の連覇にも貢献しています。
1994年のドラフト会議にて、東京ヤクルトスワローズから3位指名を受け、法政大学からプロ入りした稲葉篤紀。ルーキーイヤーの契約金は8500万円で、年俸は1000万円でした。入団当初から打撃に非凡なものがあった稲葉篤紀は、プロ初打席で初ホームランを放つなど、勝負強いバッティングで1年目から一軍に定着。
その後も、第一線で戦い続けていきます。そんな稲葉篤紀の東京ヤクルトスワローズ時代の最高年俸は、2002シーズンの1億円。北海道日本ハムファイターズに移籍してからは、2009年と2010年シーズンに、2億5千万円という最高年俸を獲得しています。現役生活20年で、なんと23億円以上の年俸を稼ぎました。
稲葉篤紀のWBC出場の年齢がスゴイ!まさに晩年型の選手だった
稲葉篤紀は、20年の現役生活の中で30代半ばに一番良い成績を残すなど、どちらかと言えば晩成型の選手と言えます。打撃では、35歳の2007年シーズンに打率3割3分4厘で首位打者を獲得。また守備では、34歳の2006年シーズンから4年連続で外野手部門のゴールデングラブ賞を受賞しています。
首位打者のタイトルを取った稲葉篤紀は、2008年、36歳の時に日本代表に初選出され、北京オリンピックを主力として戦いました。チームは4位と惜しくもメダル獲得には至らなかったものの、北京オリンピックの翌年に行われた第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは、イチローと共に年長者としてチームをけん引し、優勝しました。
2012年から日本代表が常設されて、「侍ジャパン」が正式呼称となって初めて迎えた2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック。安定した成績を残した稲葉篤紀は、なんと40歳にしてまたも侍ジャパンに選出されます。2014シーズンに42歳で引退してからも、2017年の第4回ワールド・ベースボール・クラシックでは、打撃コーチとして侍ジャパンに参加しています。
稲葉篤紀の応援歌・稲葉ジャンプをおさらい!結婚した妻、子供は何人?
稲葉篤紀の応援歌・稲葉ジャンプをおさらい!
稲葉篤紀の応援で有名なのは、北海道日本ハムファイターズ時代の「稲葉ジャンプ」。得点圏にランナーを置いた際の応援で、稲葉篤紀が打席に入ると、ファンファーレが高らかに鳴り、それを合図にファンが飛び跳ねて応援歌を歌うというものです。内外野がうねるように飛び跳ねるこの応援は、非常に迫力がありました。とはいえ、最初はジャンプなどしていなかった「稲葉ジャンプ」。私設応援団が考えていたのは、ファンファーレの後に応援のメガホンを叩くだけのものだったと言います。
「稲葉ジャンプ」が始められたのは、春先の宮城で行われた東北楽天ゴールデンイーグルス戦の際に、寒さに耐えかねた一部の観客がジャンプし始めたことがきっかけでした。次第にそのジャンプの輪が広がり、やがてほとんどのファンが飛び跳ねるようになっていきます。札幌ドームでは中継の映像が揺れるほどだった「稲葉ジャンプ」ですが、一部では、安全性やスタントの耐久性を考慮して禁止する球場も。そんな時ファンは、「稲葉スクワット」に切り替えて応援していました。
稲葉篤紀の妻は元モデルで、子供は1人!
稲葉篤紀は、1972年8月3日生まれで、愛知県北名古屋市出身です。東京ヤクルトスワローズ時代に一般人と結婚したものの、調停の末に離婚しています。離婚の原因は、妻の浪費癖と、写真週刊誌に稲葉篤紀とTVレポーターとの不倫が報じられたことでした。
そして、北海道日本ハムファイターズで2000本安打を達成した2012シーズン終了後の11月15日に、元モデルの渡部怜奈と再婚します。妻の渡部怜奈は、北海道のローカル雑誌「ポロコ」の元モデル。稲葉篤紀が40歳、渡部怜奈が26歳という14歳差の年の差婚でも話題になりました。もともと稲葉篤紀のファンだった渡部怜奈が、テレビ出演を機に猛アプローチしたと言われています。
2014年4月4日には、稲葉篤紀にとって初めての子供となる長男が誕生し、大変かわいがっているとのこと。仮に息子が父と同じ道を歩むならば、テレビに登場する日も近いかもしれませんね。
稲葉篤紀の侍ジャパン新監督就任は秒読み!報道ステーションで大慌て!
稲葉篤紀は、現在選定中の侍ジャパン新監督の最有力候補と見られています。2017年の第4回ワールド・ベースボール・クラシック終了後に、小久保裕紀監督が退任したので、次期監督は、2020年東京オリンピックの指揮を執る重責を担うことになります。
現在は、北海道日本ハムファイターズのSCO(地元の野球普及、球団と選手会のパイプ役など)や、テレビ朝日・北海道テレビの野球解説者、報道ステーションの野球解説として活動している稲葉篤紀。2017年のオールスターゲーム解説の最後に、メインキャスターの富川悠太からのアドリブで、日本代表監督就任の話題を振られた際には、大慌てで「今は私の口からは何とも言えない」を繰り返しました。稲葉篤紀は、非常に真面目かつ律儀な性格で、誰からも愛される人柄として有名です。
報道ステーション中継時の慌てぶりを見ると、現在交渉中であることはまず間違いないでしょう。その後の新聞報道も「強化委員会、稲葉篤紀新監督で一本化」と報じており、「稲葉ジャパン」の発表は秒読みと見られています。2020年の東京オリンピックでは野球が復活。センターポールに日の丸が掲げられるか否かは、稲葉篤紀新監督の手腕にかかっています。