小林陵侑(スキージャンプ)、兄・小林潤志郎と平昌オリンピック代表!所属の土屋ホーム監督はレジェンド葛西紀明

小林陵侑(スキージャンプ)、兄・小林潤志郎と平昌オリンピック代表!姉・小林諭果の現在は?

小林陵侑(スキージャンプ)が兄弟で平昌オリンピック代表入り!!兄の小林潤志郎はノルディック複合の選手だった!?

平昌オリンピックでスキージャンプ日本代表に選ばれた小林陵侑(こばやしりょうゆう)。兄の小林潤志郎も同じく日本代表に選ばれ、兄弟そろって平昌オリンピックへ。小学校1年生から本格的にジャンプに取り組み始めた小林陵侑は、2012年に出場した「全日本中学校スキー大会」でジャンプ競技と複合競技にて2冠を達成しました。

これは史上2人目となる快挙です。その名を一気に知らしめたのは、2015年3月に行われたノーマルヒル大会の少年の部で優勝を遂げた際の記録が、成年男子の優勝記録を上回ったためです。その後、実業団の土屋ホームに入社した小林陵侑は、ジャンプ種目に集中するようになりました。小林陵侑の兄・小林潤志郎は、高校時代にノルディック複合の選手として活躍。その才能は素晴らしく、高校3年生の時には、ノルディックスキージュニア世界選手権の複合・個人スプリントで優勝を果たしたほどです。

ノルディック複合とは、クロスカントリースキーとスキージャンプの組み合わせで戦う競技ですが、中でもスキージャンプが得意だった小林潤志郎は、東海大学入学後にスキージャンプ競技へ転向。兄弟で高め合ってきた結果、2人そろっての平昌オリンピック代表入りを果たしました。

小林陵侑(スキージャンプ)の姉・小林論果もスキージャンプ選手!現在はCHINTAIに入社して競技続行中!?

スキージャンプで切磋琢磨し合う小林陵侑と小林潤志郎は4兄弟です。2人の間に挟まれている小林論果もまた、同じくスキージャンプ選手として活躍しています。小林潤志郎の妹で、小林陵侑にとっては姉にあたる小林論果は、小学4年生の頃から柏台スポーツ少年団にてスキージャンプを始めました。

早稲田大学を卒業した現在は、賃貸住宅情報を紹介するCHINTAIに入社。国内外の大会でポイントは得ているものの、小林陵侑や小林潤志郎ほど大きな結果は残せていないというのが実状ですが、CHINTAIに所属しながら「女子ジャンプを盛り上げていきたい」と意気込みを語っています。

小林陵侑(スキージャンプ)の主な成績は?所属の土屋ホームはスキー名門チーム!

小林陵侑(スキージャンプ)の主な成績について知りたい!ジュニア時代から光っていたスキージャンプの才能

小林陵侑(スキージャンプ)は、幼少期に初めて20m級のジャンプ台に挑んだ時に、物怖じする様子もなく、思い切りよく飛んで見せたと言います。当然、その才能は、ジュニア時代から光っていました。2012年「全日本中学校スキー大会」での2冠達成以外にも、国内大会の少年の部で数々の優勝を記録してきた小林陵侑。

2016年に出場した国際大会では、ノルディックスキージュニア世界選手権のスキージャンプ男子個人で3位に。また、同大会のスキージャンプ男子団体でも3位と、個人競技に続き団体競技でも表彰台に上がっています。続く2017年にはシニアデビュー。ノルディックスキー世界選手権のスキージャンプ男子団体に出場した小林陵侑は、竹内択や伊東大貴、レジェンド葛西紀明と共に挑み、7位入賞という成績に貢献しました。

小林陵侑(スキージャンプ)の所属チームが名門過ぎる!!土屋ホームの監督はレジェンド葛西紀明!!

盛岡中央高等学校卒業後に実業団入りした小林陵侑(スキージャンプ)が現在所属しているチームは、土屋ホームスキー部です。土屋ホームは、オリンピック代表を多数輩出している実績を誇る、国内屈指のスキージャンプ名門チームとして知られています。

1994年のリレハンメルオリンピックと2014年のソチオリンピックでメダルを獲得し、20年以上に及ぶ選出としてのキャリアを今なお更新中のレジェンド葛西紀明や、女子ジャンプの伊藤有希も土屋ホーム所属です。葛西紀明は、現役選手であると同時に監督も兼任しているため、小林陵侑(スキージャンプ)にとっては、大先輩でもあり指導者でもあるということになります。

小林陵侑(スキージャンプ)は貫禄十分な次世代エース!目指すはスキージャンプ界のジャスティン・ビーバー?

平昌オリンピックが開幕し、日本人選手の活躍も期待される中、小林陵侑(スキージャンプ)が、ノーマルヒルで日本勢最高位の7位入賞を果たしました。開催前から問題視されていた気候は予想以上に厳しく、気温は氷点下10℃を下回り、体感温度は氷点下20℃以下という悪条件の中、強風により試合が何度も中断されたスキージャンプ・ノーマルヒル。

気休め程度のブランケットを肩にかけて試合再開を待つ選手も多く見られる過酷な状況において、小林陵侑は、1回2回共ヒルサイズに迫るジャンプを見せました。これは、所属チームの監督も兼任するレジェンド葛西紀明も超える結果に。惜しくも2回目に進めなかった兄・小林潤志郎の分までと闘志を燃やした小林陵侑は、「嬉しいです。大きな一歩です」と、一定の成果を残せたことに満足した様子でした。

続いて行われたラージヒルでは10位に沈んでしまいましたが、日本チーム内では最高位。ジャンプ団体では、各チームのエース級の選手がオーダーされる4番手に抜擢されるなど、次世代エースとしての存在感を十二分に発揮し、初オリンピックを終えています。

2018年1月、約1カ月にも及んだW杯の長期遠征中には、知人からもらったアコースティックギターに挑戦していたという小林陵侑。まだ初心者であり「全然弾けません」と笑うものの、ギターの演奏は、試合や練習の合間の良い息抜きになったよう。厳しい戦いが続く最中に「いずれは、ジャスティン・ビーバーを目指したいです」と冗談を飛ばす様子からは、若者らしいのびやかさと強心臓ぶりがうかがわれます。

初めてのオリンピックではメダル獲得こそならなかったものの、男子スキージャンプの日本チームの中で最高位を記録した実力は、まさに次世代エースの貫禄十分です。平昌オリンピックで貴重な経験をしたであろう小林陵侑は、今後出場する国内戦での2連勝を宣言するなど、すでにこの先を見つめています。少し気が早いですが、次の北京オリンピックに向けても期待が高まるというものです。

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