織田哲郎は1990年代にZARDなどに名曲を数々提供!強盗に喉を潰された事件とは?
織田哲郎は小室哲哉と並ぶ1990年代のヒットメーカー!名曲の数々を知りたい
織田哲郎は、1990年代に小室哲哉と並んでヒット曲を量産していた作曲家。1986年、TUBEに「シーズン・イン・ザ・サン」を楽曲提供したことをきっかけに、作曲家として注目を集めるようになりました。1990年には、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌「おどるポンポコリン」をB.B.クィーンズに提供。これは、織田哲郎にとって初のミリオンセラーとなっています。
1993年からは、「負けないで」や「揺れる想い」などZARDへの楽曲提供を積極的に行い始めた織田哲郎。同時期に楽曲提供した、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」やDEENの「このまま君だけを奪い去りたい」のヒットもあって、年間売上1000万枚超えを達成しています。
これは、オリコン年間チャートの作曲家部門で史上初となる快挙でした。その後も、相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」や「恋心」「トラブルメイカー」などのヒット曲を次々と量産。織田哲郎はJ-POPS界には欠かせない作曲家となっていきました。
織田哲郎が喉を潰され声帯の骨が歪んでしまった強盗事件とは
作曲家以外にシンガーソングライターとしても活躍していた織田哲郎に、思いもかけない悲劇が襲い掛かりました。2000年、スペインに滞在中だった織田哲郎は、なんと強盗に襲われてしまいます。幸い命に別条はなかったものの、強盗に首を絞められた織田哲郎の喉は潰れ、声帯の骨が歪んでしまいました。その時、音楽家・織田哲郎が医師から告げられたのは、「声は戻らない。今の声に慣れるしかない」という残酷な宣告。
自ら歌うこともある彼にとっては受け入れがたい内容で、強盗に潰された喉のリハビリを懸命に続けるも、やはり人前で歌うレベルまでには回復しませんでした。しかしその後も諦めず、歌い方を工夫することで、ファンクラブのイベントで歌声を披露するまでに至っています。
織田哲郎の嫁や娘は?現在「ラストアイドル」でユニットをプロデュース!
織田哲郎は若かりし頃に結婚した嫁とすでに離婚済みだった?!噂の娘は織田かおり!?
希代のヒットメーカー織田哲郎のプライベートは謎に包まれています。自身が帰国子女であるなど、個人についての話しは耳にしますが、織田哲郎の嫁や娘の話題は公にされていません。ネット上では、若い頃に結婚し、すでに離婚しているとは。「おどるポンポコリン」について、「小学生だった娘にこういう曲はどうかと考えた」と語っていることから、どうやら嫁との間に娘はいたようです。
確定的な情報がない中、2014年に「織田哲郎の娘ではないか」という歌手が現れました。織田哲郎の娘と噂されているのは、「ゲーム音楽の女王」や「アニソン女王」として知名度を上げている織田かおりです。ファンの間では、音楽的な才能や顔が似ていると評判に。しかし、1988年生まれの織田かおりは、「おどるポンポコリン」が発表された当時まだ2歳。娘は小学生だったという織田哲郎の話とは大きな矛盾が見られます。
織田哲郎が「ラストアイドル」でアイドルユニットをプロデュース!テーマは「脱」可愛い系?
ZARDの坂井泉水や相川七瀬などを人気歌手に押し上げてきた織田哲郎が、アイドルユニットをプロデュースすることが発表されました。テレビ朝日系の人気オーディション番組「ラストアイドル」から誕生したグループは5つ。それぞれ有名音楽プロデューサーがプロデュースすることが決まっており、織田哲郎が担当するのは「Good Tears」です。
「Good Tears」の元を訪問した織田哲郎は、「ぶっちゃけ、歌が上手な子はいないね」とバッサリ。辛らつなコメントを聞いた「Good Tears」のファンは一時大荒れとなりましたが、ヒットメーカー織田哲郎にはきちんとしたプランがありました。まず、可愛い系路線では行かないこと。そして、踊った時にカッコ良く見える長所を活かすアイドルユニットにすること。ヒットメーカー織田哲郎の手腕がいかに発揮されるか、今後の動向が楽しみです。
織田哲郎が地元高知県の須崎総合高校の校歌を作曲!お披露目会には学生たちの笑顔が!
織田哲郎が、高校の校歌を作曲したことが話題となっています。きっかけは、高知県にあった須崎工業高校と須崎高校の統合です。2019年に須崎総合高校として新たに開校することになりましたが、当然、校歌がありません。そこで、統合される2校の生徒たちが作った「須崎総合高校校歌制作委員会」が、校歌に使用したい言葉を生徒から集めて作った歌詞に、高知県出身の織田哲郎が曲を付けました。
2018年1月30日に開かれた、生徒と織田哲郎の共作の校歌「碧(あお)き彼方(かなた)へ」のお披露目会には織田哲郎も出席。ステージでは、須崎、須崎工業両校の生徒60人が、新しい校歌を合唱しました。「新荘川」や「蟠蛇森(ばんだがもり)」など、地域の魅力を盛り込んだ歌詞を聞いた約700人の生徒たちは、惜しみない拍手を送ったそうです。2019年からは、須崎総合高校の生徒たちの学生生活を、織田哲郎のメロディが彩ることになるでしょう。
スペインで強盗に喉を潰され、音楽家にとって重要な声を失いかけた織田哲郎。あまりに凄惨な事件でしたが、「声を失いかけたことで自分の中にあった『歌いたい』という強い気持ちに気づけた」と語っています。とはいえ、音楽家に必ず美しい歌声が必要というわけではないはずです。織田哲郎の場合、類まれなメロディを生み出す彼自身が楽器だと言っても過言ではありません。織田哲郎の紡ぐポップな旋律に、これからも耳を傾けていきたいと思います。