宇崎竜童 嫁・阿木燿子、子供は?ライブハウスでのライブにこだわる理由とは?!山口百恵に提供した曲TOP5

宇崎竜童 嫁・阿木燿子、子供は?ライブハウスでのライブにこだわる理由とは?!山口百恵に提供した曲TOP5

2021年2月1日 更新

宇崎竜童 嫁・阿木燿子、子供は?ライブハウスでのライブにこだわる理由は?!

宇崎竜童 嫁・阿木燿子に一目惚れ!

ロック歌手で作曲家の宇崎竜童。これまで、宇崎竜童は、嫁・阿木燿子と共に、日本の音楽史上に残る数々の名曲を生み出しています。

そんな愛妻家の宇崎竜童と阿木燿子との出会いは明治大学。当時同級生だった宇崎竜童と阿木燿子は同じ軽音楽クラブだったそう。

キャンパス内を歩く阿木燁子を宇崎竜童は初めて見て、「僕の奥さんになる人が歩いてきた」と直感的に感じ、一目惚れしたといいます。

宇崎竜童と阿木燿子には子供はおらず、2人はおしどり夫婦として40年以上を仲良く共に歩んできました。

宇崎竜童 ライブに注ぐ熱い想い

現在でも精力的に多くのライブをこなしている宇崎竜童。ライブハウスにこだわって活動しています。今もなお現役ロッカーとして楽曲を発信し続ける宇崎竜童にとって、ライブハウスは阿吽の呼吸で反応が返ってくる特別な場所なのかもしれません。

さらに宇崎竜童は路上ライブも頻繁に行っています。最近は、よく御茶ノ水駅前の聖橋口で路上ライブを行っているそうです。しかし、なぜ御茶ノ水なのでしょうか?

明治大学の軽音楽部クラブでトランペットを吹いていた宇崎竜童。阿木燿子と出合ったのも御茶ノ水ならば、作曲に目覚めたのもまた御茶ノ水。

「将来の家庭と仕事になるものに出会わせてくれた恩のある街なんです。何かお返しできないかと思ってね」と語る宇崎竜童。彼にとって御茶ノ水は“人生を変えた街”なんですね。

宇崎竜童 山口百恵に提供した曲TOP5

宇崎竜童 作曲提供はあの歌手にも!?

山口百恵の全盛期を支えたことで有名な「作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童」のコンビ。宇崎竜童は他にもさまざまなアーティストたちに楽曲を提供しています。

「愚図」(研ナオコ)は、1975年に発売されたヒット曲。オリコンチャート初のベスト9にランクインされました。「お化けのロック」(郷ひろみ&樹木希林)は1977年にリリースされ、当時人気番組だったコメディドラマ「ムー」(TBS系)のテーマソングとなりました。

「江戸の手毬歌Ⅱ」は2008年に発売されたアイドルグループ℃-uteのシングル曲でオリコン5位にランクイン!他にも初の黒人演歌歌手として話題となったジェロにもデビュー曲、「海雪」を提供しています。

宇崎竜童 山口百恵 提供楽曲オリコントップ5!

伝説の歌姫・山口百恵に提供した宇崎竜童・阿木燿子コンビの楽曲は数多くありますが、今回はオリコンで上位にランクインしたシングル曲に注目してご紹介しましょう。

オリコン5位は「愛の嵐」(1979年)、オリコン4位は同率でたくさん並び、「さよならの向う側」(1980年)、「謝肉祭」(1980年)、「美・サイレント/曼珠沙華」(1979年)、「初恋草紙」(1977年)、「乙女座宮」(1978年)。

オリコン3位には「ロックンロール・ウィドウ」(1980年)と「絶体絶命」(1978年)、オリコン2位「プレイバックPart2」(1978年)、「イミテイション・ゴールド」(1977年)が。

そして輝かしいオリコン1位は……?「夢先案内人」(1977年)と「横須賀ストーリー」(1976年)となっています。どれもこれも、時代を代表する名曲ばかりですね。

宇崎竜童 山口百恵の結婚に……?!

阿木燿子と宇崎竜童の作詞作曲名コンビと言えば、やはり歌姫・山口百恵の存在抜きでは語れません。しかし、そもそも宇崎竜童が山口百恵に楽曲を提供したきっかけはなんだったのでしょうか?

あるトーク番組によると、当時16歳だった山口百恵本人から、宇崎竜童に直接オファーがあって曲を提供することになったのだとか。それまで接点があまりなかった宇崎竜童はこの山口百恵からのオファーには驚いたそう。

それからは曲を作ってはボツになる試行錯誤の繰り返し。こうした作業を経て、あの名曲・「プレイバックパート2」は締め切りギリギリの15分か20分くらい前に完成しました。

山口百恵が結婚すると聞いた時は“もう書けなくなるのかな?”“もう書かなくていいんだ”という焦りや安堵など、いろんな気持ちが錯綜したと語っていました。

やはり、脳裏に浮かぶ名曲の数々を産みだした苦しみや葛藤は、体験した宇崎竜童本人にしか分からない部分なのでしょうね。そんな宇崎竜童ですが、この先目指しているものは何なのでしょうか?

別の記事によると、「自分が『やったな』と太鼓判を押せる名曲はまだ。それを作りたい欲望が渦巻いている」とも語っています。

これまでの自分に満足せず、さらに高みを目指し努力し続ける。宇崎竜童が時代を代表するヒットメーカーと呼ばれ続けるゆえんは、そんなところにあるのかもしれませんね!

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