2019年4月25日 更新
小出義雄監督の名言集!高橋尚子との師弟関係は現在も強固
小出義雄監督の名言集!「10人いたら10人の進み具合がある」
小出義雄(こいでよしお)は、マラソン・長中距離選手の指導者です。自身もランナーで、順天堂大学時代には第38~40回の箱根駅伝に3年連続出場しています。
そんな小出義雄監督と言えば、2000年のシドニーオリンピックでQちゃんこと高橋尚子を金メダルに導いた指導者としても有名でしょう。それ以降は講演の依頼やイベント出演などが増え、多くの著作も出版している小出義雄監督。その名言はマラソンやスポーツ界に限らず、結果を出すことが求められ続けるビジネスマンからも注目されています。
さりげない言葉の中に深みと重みを感じさせる小出義雄監督の感銘深い名言の1つが、「ほかの人と比較するんじゃないよ」「いつでも自分が今より強くなることだけを考えなさい」です。人と自分を比較して焦るのも、優越感にひたるのも、両方マイナスということなのでしょう。
また、「人は10人いたら10人の進み具合がある」という名言は、まさに小出義雄監督の指導法の極意と言え、練習も、個々の性格に合わせてアドバイスしているそうです。「学校の先生は子供たちに夢を与えられたら合格だよね」との名言は、少年時代に担任の先生から夢を与えられて「かけっこ」を始めたという小出義雄監督自身の体験に基づいたもの。夢を与えることが、教育者の重要な役目という主張です。
「毎日こうなりたい、ああなりたいという強い思いがあるとそこへ近づくんです」という言葉は「引き寄せの法則」を思わせますが、この言葉も自身の体験から生まれた名言。さらに自身が育成し、大成した有森裕子と高橋尚子を念頭に置いて語った名言に「勧誘した子は強くならなかった。一銭もかけなかったのが強くなっている」があります。「要するに志の差ですよ」とは、走ることへの情熱や志の高さの大切さを物語る名言です。
小出義雄監督と高橋尚子の師弟関係は現在も強固!365日言い続けた魔法の言葉
小出義雄監督と高橋尚子の出会いは、高橋尚子が大学を卒業してから始まりました。一度は当時の小出義雄監督が率いていたリクルート・ランニングクラブの門を叩くも、「大卒は採用していない」という理由で断られた高橋尚子。しかし、諦めることなく小出義雄監督に頼み込んだ結果、リクルート・ランニングクラブの北海道合宿に参加することになりました。そこで高橋尚子の走りを見た小出義雄監督が彼女の素質を見抜き、リクルートに入社することが決まったそうです。
高校時代の実績は平凡な内容だった高橋尚子に、小出義雄監督は、毎日「お前マラソンで世界一になるよ」と本気で言い続けました。対する高橋尚子は、励ましやお世辞の類として聞いていましたが、365日言われ続けると「できるかもしれない」と思い始めたと言います。
こうして、1998年の名古屋国際女子マラソンで優勝し、同年12月のバンコクアジア大会では2位と13分の差をつける独走状態で圧勝した高橋尚子。2000年3月の名古屋国際女子マラソンでも優勝し、一気にオリンピックのメダル候補になりました。そして迎えた2000年のシドニーオリンピックでは世界新記録を叩き出し、日本女子マラソン史上初となる金メダルを獲得。
こうして一躍スーパースターになった高橋尚子ですが、「金メダルを取れたのは小出義雄監督のおかげ」という感謝の心を忘れません。2008年の引退会見の時も、現在も「今あるのは小出義雄監督のおかげ」と変わらずに語っています。
小出義雄監督の酒にまつわるエピソードが凄かった!人気著書は?
小出義雄監督の酒にまつわるエピソードが凄かった!金メダルだから笑えるオリンピック秘話!?
大の酒好きとしても知られる小出義雄監督には、終戦直後の少年時代に大好きな先生から小銭を渡されて「酒買って来い」と言われたというエピソードがあるそうです。さらに、高橋尚子が金メダルを獲ったシドニーオリンピックの女子マラソンの最中にも、酒にまつわる驚きのエピソードがありました。
レース前日には20キロ地点でアドバイスし、30キロ地点でも見守っていると伝えた小出義雄監督。それに対し、高橋尚子は「30キロ地点でサングラスを投げるので受け取ってください」と頼みました。
2万円もするお気に入りのサングラスなので受け取ってくれないと困るという高橋尚子に、小出義雄監督は「OK!任せておけ」と笑顔で明言したそうです。しかし、20キロ地点で高橋尚子にアドバイスした小出義雄監督は彼女の走りを見て「勝てる」と確信し、ひとまずゴールがある競技場へ。そこで皆が酒を飲んでいたため、「俺にも一杯」と飲んでいるうちに酔っぱらってしまい、30キロ地点での約束をすっぽかしてしまいました。
実際、この時のVTRには、30キロ地点で走りながらキョロキョロしている高橋尚子の姿が映っています。その後、先頭のままゴールに飛び込んできた高橋尚子の元へ慌てるように走って行った小出義雄監督は、「高橋、高橋!」と呼び止めて抱擁。涙涙……となるはずが、高橋尚子が「酒臭い」と呟き、小出義雄監督が「ガハハハ」と豪快な笑いで誤魔化すことになったとか。
金メダルが獲れたからこそ笑える話になったと言えるでしょう。ちなみに、サングラスは34キロ地点にいた高橋尚子の父親に向って投げられ、事なきを得ました。
小出義雄監督の人気著書は「Qちゃん金をメダルありがとう」!
小出義雄監督は、「マラソンの強化書」「知識ゼロからのジョギング&マラソン入門」「君の眠っている力を引き出す35の言葉」など、多くの本を出版しています。中でも人気なのは、やはり高橋尚子とのエピソードが語られている本で、シドニーオリンピックで金メダルを獲った2000年には、立て続けに3冊の本を出版しました。
「君ならできる」(2000年9月)は、高校時代に特に実績のなかった高橋尚子を大化けさせた法則や、高橋尚子の強さの秘密が綴られています。高橋尚子と二人三脚で走った小出義雄監督にしか語ることができない秘話を知ることができるでしょう。「高橋尚子 金メダルへの絆」(2000年10月)では、超高地トレーニングなど試練を乗り越えてつかんだ栄冠までの5年の奇跡と、シドニーオリンピック42.195キロの真実が語られています。
「Qちゃん金メダルをありがとう」(2000年11月)で語られているのは、勝つための準備や世界一の食生活に加え、「褒めて育てる」小出義雄流教育論。高橋尚子の全てを記した「小出メモ」と、高橋尚子から小出義雄監督への「感謝の手紙」が紹介されています。
小出義雄監督率いるUEがクイーンズ駅伝で汚名返上誓う!?前哨戦のプリンセス駅伝の結果は?
小出義雄監督は、自身の出身地を名に掲げた「佐倉アスリート倶楽部」を設立し、マラソンや中距離の選手育成に力を注いでいます。その「佐倉アスリート倶楽部」に選手指導を委託しているのが、UE(ユニバーサルエンターテインメント)。クイーンズ駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝)で優勝した実績を持つ強豪チームです。
しかし、2017年のクイーンズ駅伝優勝後に、あろうことか選手のドーピングが発覚。優勝が取り消されただけでなく、以後の陸上連合主催大会に出場できないという処分も科せられました。その後、ドーピング再発防止策が認められたUEは出場停止処分が解除され、クイーンズ駅伝への出場チームを決める予選会であるプリンセス駅伝に出場。6位に入り、本戦への出場切符を手にしました。
なんとかピンチを切り抜けたUEですが、もう1つの懸念材料が、小出義雄監督の体調です。3年前に心疾患を患い、現在は体調を崩して入院生活を送っているという小出義雄監督。年齢も79歳と決して若くはないので、心配する声が高まっています。
明るく朗らかな人柄で知られる小出義雄監督ですが、ことマラソン・中距離になると、非常に厳しい練習を選手に課すことをご存じでしょうか?それは、根性のある高橋尚子ですら「きつい」と口にするほどです。1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得したアベベに触れ、「3000メートル級の高地を裸足で走ってた。日本人もこれをやれば勝てる」と語った小出義雄監督。実際に、超高地特訓など、小出義雄流のハードトレーニングを実施して名選手を育成してきました。
そうした経験を踏まえ、「今は選手も練習量をこなせていないし、指導者も過酷な練習を強いることはしない」との苦言も呈しています。過酷な特訓は危険を伴うので難しい問題ですが、結果を出した小出義雄監督の指導法は、これからも多くの指導者や選手が刮目することになるでしょう。小出義雄監督の教えを請いたいと考えている選手たちのためにも、一日も早い回復が待たれます。
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