ナポレオン1世は子供時代ボッチだった!?意外と小さかった?未だに死因不明?

ナポレオン1世は子供時代ボッチだった!?

ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)は、18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍したフランスの軍人・政治家です。

1789年に勃発したフランス革命により混乱を極めていたフランスを見事にまとめ、独裁政権を樹立したナポレオン1世は、歴史上最も優れた軍人の一人として知られています。

優れた才覚を最大限に活かして数々の戦いで勝利を収め、ヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いたナポレオン1世。しかし幼い頃は友達も少なく、本ばかり読んでいたといわれています。

無口で体も小さく、出身地であるコルシカ島独特の訛りを馬鹿にされていた彼は、ナポレオンという言葉に近い「ラパイヨネ(藁の鼻)」と呼ばれていたそう。

しかし、口数は少ないながらも短気で喧嘩ばやかったナポレオン1世は、やられっぱなしではありませんでした。この性格は、多くの偉人に見られる発達障害によるものではないかとする説もあります。

また、幼少期の逸話として「クラスで雪合戦をした際にナポレオンの見事な指揮と陣地構築で快勝した」というものがありますが、実際はそうした事実はなく、後の武勇伝から作られた話だろうと言われています。

そんなナポレオン1世ですが数学の成績は群を抜いており、学術面では非凡な才能を発揮していました。

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ナポレオン1世は意外と小さかった?ナポレオンコンプレックスとは

優れた為政者は、時にその粗探しをよくされるものです。ナポレオン1世の場合は、身長でした。

ナポレオン1世の身長の低さは演劇などでもよく言及され、「ナポレオン・コンプレックス」という言葉が生まれたほどです。これは、ナポレオン1世の攻撃的な性格が身長に対するコンプレックスの反動であるとするもので、現在も研究テーマに取り上げられることもあります。

スイスにあるバーゼル大学病院の病理学者・リュグリ氏の研究によると、ナポレオン1世の身長は168cm程度だったということです。現在のフランス人の平均身長は175cmほどのため、そこから考えると、ナポレオン1世の身長は確かに低い印象を受けます。

しかし、彼が活躍した18世紀後半から19世紀前半まで遡ると、フランス人の平均身長は168cm以下だったとされており、ナポレオン1世の身長はむしろ平均以上だったとも考えられます。にも関わらずナポレオン1世が低身長と言われるのは、彼の側近に高身長な人物が揃っていたためです。

ナポレオン1世の側近であったモルティエ元帥の身長は196cm、ミュラ元帥は180cm以上、ランヌ元帥、ネイ元帥はともに178cmであり、また親衛隊の入隊基準は、身長178cmとしていました。こうしたことから、実際は当時の平均的な身長であったにも関わらず「ナポレオンは低身長」と噂され、そのまま後世にまで語り継がれてしまったのです。

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ナポレオンが愛した女性、ジョゼフィーヌとは?

ナポレオン1世は1796年に、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネという女性と結婚しています。ルーブル美術館に飾られている名画「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」にも描かれた女性です。

元々別の婚約者がいたにも関わらず、ナポレオン1世はそれを解消してまでジョゼフィーヌと結婚しています。しかしジョゼフィーヌは恋多き女性で、そんなナポレオン1世の気持ちを裏切るように浮気を繰り返しました。このことは、ナポレオン1世がジョゼフィーヌに対して浮気を止めるように書いた手紙で明らかになっていますが、この手紙が当時敵対関係にあったイギリスの手に渡り、ゴシップとして広まってしまったことで、ナポレオン1世は大恥をかいたのだとか。

ナポレオン語録のひとつとされる「私は百万の銃剣よりも、三枚の新聞紙をもっと恐れる」という言葉が、まさにピッタリと当てはまりそうな出来事ですね。

貞淑な妻とは言い難いジョゼフィーヌですが、飽きっぽいナポレオン1世のために毎晩本を読んで聞かせていたとも言われており、良いところがひとつもない悪女というわけでもなかったようです。しかしナポレオン1世はジョゼフィーヌと最後まで添い遂げることはなく、世継ぎができなかったことを理由に、結婚から10年余りで離婚。1810年にオーストリアの王女、マリ・ルイーズを皇后に迎え、翌年生まれた子をナポレオン2世としてローマの王にしています。

ところが離婚後もジョゼフィーヌはナポレオン1世の話し相手として彼の妻が嫉妬するほどの良好な関係を続け、ナポレオン1世はジョゼフィーヌの名を、ジョゼフィーヌはナポレオン1世の名を呼んだのが、この世での最期の言葉だったとされています。

ナポレオンの死因は今もナゾのまま…?

皇帝にまで上りつめ、栄華を極めたナポレオン1世ですが、1812年のロシア遠征失敗を契機に失脚。1815年10月に幽閉されたセントヘレナ島で、1821年5月5日に51年の生涯を閉じています。

ナポレオン1世の死因は胃ガンと公表されましたが、それが真実であったのかどうかは不明とされています。その理由の一つして、ナポレオン1世の遺体が後に掘り起こされた際、死亡時と比べてほぼ変化していなかったことが挙げられます。

そこで本当の死因として噂されたのが、ヒ素による暗殺説です。現代でも調査は続けられており、2002年にパリ警視庁のストラスブール法医学研究所がナポレオンの遺髪から再調査を行った際、相当量のヒ素が検出されています。ヒ素は保存作用があることから剥製を作る際に使われますが、死体に変化が起こらないということで、暗殺にもよく利用されるものです。

しかし、当時は髪の保存にもヒ素が使用されていたため、直接的な死因と結論づけるのは難しい部分もあります。また、それ以外の毒による暗殺や医療ミスなどの可能性も否定できず、真相が明らかになるのはまだ先になりそうです。

優れた才覚によって数々の戦争に勝利し、皇帝にまで上りつめたナポレオン1世。多くの人命が奪われたナポレオン戦争の中心人物だったことから「人命の浪費者」などと酷評される一方で、日本やポルトガルなど諸国の民法にも影響を与えたナポレオン法典の制定、支配下に置いた国での行政や司法の制度確立による社会の先進化など、現代にまでつながる数々の功績も遺しています。良くも悪くも、ナポレオン1世ほど歴史に名を刻む人物は、今後も現れないのではないでしょうか。

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