吉幾三 出身地、性格は?不整脈でも止めない酒よ、煙草よ!「おら東京さ行くだ」までの下積み時代とヒット秘話!

吉幾三 出身地、性格は?不整脈でも止めない酒よ、煙草よ!

吉幾三は、良くも悪しくも青森県五所川原市出身

演歌の大御所でありながら、Hで面白いオジサン。といったところが、一般的な吉幾三評でしょうか。

吉幾三。1952年生まれ、62歳。生まれは東北の青森。青森県五所川原市が出身地。この出身地が、良きにつけ悪しきにつけ、吉幾三の芸能生活を左右します。吉幾三は、1973年21歳の時、山岡英二という芸名で、ヤンマーディーゼルのコマーシャルソング「恋人は君ひとり」を歌いデビューしますが、全くの鳴かず飛ばず。

当時でも、青森県五所川原市出身のアイドルタレントは相当きつかったようです。そして1977年、自らの境遇を自虐的に歌った「俺はぜったい!プレスリー」がスマッシュヒットしますが、全国にはまだ届きません。月日は流れ1984年、同じ東北出身の千昌夫に楽曲提供したのが縁で、千昌夫がプロデュースした「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒット。

吉幾三は、やっと歌手の仲間入りを果たします。しかし、「俺はぜったい!プレスリー」にしろ「俺ら東京さ行ぐだ」にしろ、どちらもコミックソングなので、吉幾三はお笑い芸人的な扱いでした。

しかし、これが功を奏したか、本人も性格的にネアカで、笑いのセンスがあったので、演歌歌手の間でも、お笑い担当的なポジションを確立します。そして1986年、「雪国」が爆発的ヒットとなったのです。

吉幾三 不整脈でも止めない酒とたばこ

吉幾三は、演歌歌手では数少ないシンガーソングライター。そのため、1988年の「酒よ」のヒットも含めて、一挙に演歌界の稼ぎ頭となります。

しかし吉幾三は、飲む打つ買うの三拍子で、根っからの遊び人な性格。また、盟友千昌夫に勧められるまま、バブル期には莫大な投資をして、相当痛い目にもあっています。2013年には、長年の飲酒とたばこが祟って不整脈で入院。ペースメーカーを埋め込まれた今でも、酒とたばこは止められないそうです。

吉幾三 「おら東京さ行くだ」までの下積み時代とヒット秘話!

吉幾三 下積み時代をへた「おら東京さ行くだ」ヒット秘話

吉幾三は、1973年のデビューから、1986年の「俺ら東京さ行ぐだ」のヒットまで、その顔は知られることもなく、実に12年以上の下積み生活がありました。確かに途中「俺はぜったい!プレスリー」のヒットはあったものの、何をやってもダメだった吉幾三がたどり着いたのがラップ。

これが「俺ら東京さ行ぐだ」のヒット秘話になるのだからわからないものです。1984年、まだラップは新しい音楽であり、しかもズーズー弁で歌われるラップなど前代未聞でした。吉幾三は勇んで、各レコード会社にこの曲を売り込みに行きましたが、やはり全てダメ。こんな吉幾三を最後に救ったのが、吉幾三と同じ東北出身で、自身も長い下積みを体験した千昌夫です。

彼が曲の原版権を買い取って、「俺ら東京さ行ぐだ」のレコード化が実現。空前のヒットとなったのです。しかし、吉幾三の出身地である青森県五所川原市から、「うちはそんなに田舎じゃない」と猛抗議を受けたのだとか。また、命の恩人ともいえる千昌夫には、バブル期、不動産投資を勧められ、その恩恵以上に、大迷惑を被ったそうです。

吉幾三 東京に行ったおらは、ただの酔いどれオヤジ

吉幾三は、デビュー当時から今まで、酒を飲んでの失敗談は数知れず。最近では、フジテレビ「志村けんのバカ殿様」に出演するときはかならず、アルコール度数の高い酒を志村けんと飲み交わし、ベロベロになりながらコントを演じています。

また、かつて札幌テレビの番組に出演した時は、泥酔状態で大事な部分をさらしたこともあります。吉幾三は、自分が演じるコントのキャラクター通り、ほんとうにこまったオジサンです。

吉幾三、手作りの壺が11万円で売れる!

演歌の大御所でありながら、今もお騒がせな吉幾三。つい最近も、ハンドメイド品のオークションサイト「minne」に出品された吉幾三手作りの壺が、11万円で売れたことが話題となりました。この壺は、吉幾三デビュー40周年の記念品で、側面には「吉」という大きな文字があしらわれているそうです。

バラエティ番組「私の何がイケないの?」の企画で、この壺をもらった歌手の山本譲二が、7月15日に「minnne」に出品しました。しかし、高額だったため1カ月間買い手が付かず、企画としても宙に浮いていたとか。もしかしたら、体裁が悪いので、吉幾三自身が知り合いに頼んで、11万円で落札してもらったのではという噂もチラホラ。さて、真実はいかに。

デビューして40周年、長い下積みや、不動産投機の失敗に、暴力団との黒い噂、そして狭心症手術……。数々のトラブルや苦難に見舞われながらも、吉幾三は、低迷する演歌界において、今もスターで在り続けています。

それは東北人特有の粘り強さと、人懐こいネアカな性格の賜物なのかもしれません。また東日本大震災後は、復興イベントやチャリティコンサートに積極的に参加し、故郷東北の震災復興にも取り組んでいます。40年前、勇んで東京をめざした青年は、今やっと故郷に錦を飾れたのかもしれません。

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