安室奈美恵ファンクラブの特典がスゴすぎる!会員でもライブチケットが入手困難!?

安室奈美恵ファンクラブの特典がスゴすぎる!会員でもライブチケットが入手困難!?

2022年4月11日 更新

安室奈美恵ファンクラブの特典がスゴすぎる!会員でもライブチケットが入手困難!?

安室奈美恵ファンクラブ会員でもライブチケットが入手困難!?

安室奈美恵は人気、実力ともに、第一線を走り続けている女性シンガーです。その人気を支えているのは、なんといってもライブ。2時間ほどのライブで、安室奈美恵は、MCを挟まずに生歌で歌い続け、口パクは一切なし。ライブツアーのコンセプトにそって作りこまれたセットに、バックダンサーを従えて披露される安室奈美恵のダンスはキレキレで、とてもアラフォーとは思えません。息をのむパフォーマンスの連続と生の歌声に、一度ライブに行ったファンは、虜になってしまうそう。そのため、安室奈美恵のライブチケットは、かなり入手困難で、ファンクラブでの先行予約を利用しても、手に入れるには苦労することもあるそうです。

安室奈美恵ファンクラブの特典がスゴすぎる!

安室奈美恵のファンクラブには、入手困難なコンサートチケットの先行予約以外にも、さまざまな特典があります。まず、ファンクラブ特典の年賀状やバースデーカードといったグリーティングカード。マイスペースでは、限定の安室奈美恵オリジナルグッズを購入できたりもします。そして、注目なのが、WEBコンテンツ。安室奈美恵は、いわゆるSNSを積極的に活用して私生活をウリにするタイプではありません。

ミステリアスで、ベールに包まれた安室奈美恵。彼女のオフショットが満載のフォトアルバムが見られるのがファンクラブ特典となっていて、安室奈美恵のファンクラブ会員はとても楽しみにしているそうです。

安室奈美恵の母・平良恵美子事件の真相は?息子の現在は?

安室奈美恵の母・平良恵美子事件の真相は?

安室奈美恵は、シンガーとして輝かしい歌手人生を歩んでいますが、実母を殺害されるという衝撃的な事件を経験しています。1999年3月、安室奈美恵の実母・平良恵美子が、夫とともに自宅前で路上を横断中、突然走り出した車にはねられたのです。車は執拗に平良恵美子をはねた上、運転手は、最後には車から降りて、鉈のようなもので平良恵美子を切り付けて殺害。犯人は、平良恵美子の夫・平良辰信の実弟・平良謙二でした。

殺害後、犯人はそのまま逃走し、山中で服毒自殺しています。犯行動機については、弟の平良謙二には結婚したい相手がいましたが、兄の平良辰信とその妻の平良恵美子が夫婦そろって反対したため、それを恨んでの犯行ではないかといわれています。しかし、加害者が自殺したため、本当の真相は謎のままともいえるでしょう。

安室奈美恵のイケメン息子の現在は?

安室奈美恵が、実母を殺害されるという悲劇から立ち直ったのには理由があります。最愛の息子・温人の存在です。安室奈美恵は、1997年にTRFのSAMとできちゃった婚。翌年1998年に、長男・温人を出産しています。2002年にSAMとは離婚してしまいますが、時には協力もしつつ、安室奈美恵がシングルマザーとして一人息子を育ててきました。息子は現在高校2年生の17歳。

小学校は、都内のインターナショナルスクールに通っていましたが、その後は、偏差値も高く進学校で有名な暁星国際学園に進学したといわれています。安室奈美恵の息子は、かなりのイケメンで、ヒップホップダンスが得意だという情報も。もしも、芸能界デビューを果たしたら、かなりの逸材になるのではないでしょうか。

安室奈美恵がすごすぎるのは、歌だけではなかった!入れ墨にこめた思い

安室奈美恵は1987年生まれで現在38歳。沖縄県出身です。若い世代にとっては、一流の芸能人で、いわゆるセレブというイメージをもっている人も多いと思います。しかし、その生い立ちは決して恵まれていたとはいえません。
安室奈美恵の実母・平良恵美子は、母親(安室奈美恵の祖母)が沖縄の米軍基地で働いていた時に、白人の兵隊との間にできた子供です。そのため、平良恵美子は、自身の父については何も知らず、母子家庭で育ちます。また、ハーフであることに対して偏見もあり、いじめられることもあったそうです。

平良恵美子は、最初の夫との間に、一男二女(安室奈美恵は末っ子)をもうけますが、安室奈美恵が4歳の時に離婚。母子家庭で育ったことなどで、夫の実家から冷たくされ、それがもとで夫ともうまくいかなくなっていったといいます。離婚後は、シングルマザーとして、3人の子供を育てるため働き詰めの日々を送ります。昼は保母、夜はスナックで働き、過労で倒れることもあったそうです。

そんな母の苦労を間近で見て育った安室奈美恵に、小学校5年生の時、大きな転機が訪れます。友達の付き添いで沖縄アクターズスクールに見学に訪れた際に、マキノ正幸校長にスカウトされたのです。安室奈美恵は母と相談しますが、家計が苦しく月謝が払えないという理由から、スクールへの入校を断念。しかし、安室奈美恵の才能を見抜いていたマキノ正幸校長は、特待生という異例の待遇で彼女を迎え入れます。

それからは、片道徒歩で1時間半という道のりを週3日のレッスンに通う日々。当初は女優を希望していた安室奈美恵でしたが、ジャネット・ジャクソンの「Rhythm Nation」のプロモーションビデオを見て衝撃を受け、歌手へと路線を変更します。歌とダンスのレッスンを熱心にこなしていきます。

1992年、安室奈美恵は、アクターズスクールのメンバーで結成されたSUPER MONKEY’Sに選ばれ、芸能活動をスタート。ドラマや歌番組、バラエティ番組等に徐々に少しずつ出演していきます。
そして1994年、フジテレビの子供向け番組『ポンキッキーズ』へのレギュラー出演が決定。キュートなウサギのコスプレで歌を披露する安室奈美恵の姿に注目が集まり、「SUPER MONKEY’S」は、「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」へと名義変更し、さらに活動を続けていきます。安室奈美恵の快進撃はここからです。1995年1月発売のシングル「TRY ME  私を信じて」のヒットをうけ、4月発売のシングル「太陽のSEASON」で、安室奈美恵ソロとして活動をはじめます。

その後、1995年からは小室哲哉のプロデュースを受け、数々のヒット曲を連発。安室奈美恵の、細眉、厚底ブーツといったファッションやメイクを真似する「アムラー」も登場し、その人気は社会現象ともいわれました。1997年には「CAN YOU CELEBRATE?」でダブルミリオンを達成。そして、人気絶頂の中で、結婚を発表した安室奈美恵は、世間を大いに驚かせつつ、1998年5月無事に出産し、年末の紅白歌合戦で本格復帰を果たしました。そこで降って湧いたように起こったのが、1999年3月の平良恵美子殺害事件。安室奈美恵も、一度は歌手を辞めようと思ったといいます。

そんな安室奈美恵を支えたのは、やはり息子の存在。事件について聞かれたインタビューで「母の死は私を地獄へ突き落とした。もう何もできなかった。けど、ずっとそうもしていられなかった……私も一人の母親として、息子のために頑張らなきゃいけない。それが生きがい」と答えています。
また、「次のステージに立つのも怖くなった。でも、家に帰ると、今まで変わらず母親としての仕事が待っていた。それが唯一の救いでした。それをやっているうちに、また頑張ろうって思えるようになった」とも話しており、子育ての時間が、沈みこむ気持ちを浮上させてくれたともいえます。

安室奈美恵の左腕には入れ墨(タトゥー)が彫られており、これは実母への思いと、自分を支えてくれた息子への思いがこめられているそうです。
一度は、家庭の困窮から夢を諦めた少女が「安室奈美恵」という希代のスターになり、第一線で活動しつづける裏には、衝撃的すぎるストーリーがありました。これだけの悲しみがあっても、はねかえせるくらいでなければスターにはなれないということかもしれません。

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