八千草薫 若いころの宝塚時代も超美人だった!仲代達矢共演映画が絶賛された理由

2017年9月29日 更新

八千草薫、若い頃の宝塚時代も超美人だった!結婚、夫、子供、性格は?

八千草薫の宝塚時代 若い頃から超美人だった

美しく年齢を重ねた女優。そんな言葉がしっくりと馴染むベテラン女優の八千草薫。年齢を経ても錆びない容姿と変わらぬ人気は、あの吉永小百合同様全く衰えを知りません。

そんな八千草薫は1931年生まれ。なんと御年86歳(2017年現在)!幼い時に父親を亡くした八千草薫は、戦時中に多感な時代を過ごした経験から煌びやかな世界への憧れを強く抱いていました。そんな願いもあって、プール女学院在学中に宝塚音楽学校を受験し見事合格。宝塚歌劇団に入団します。

入団当初は『分福茶釜』の狸など、コミカルな役どころが多かった八千草薫でしたが、1952年に出演した『源氏物語』の若紫の可憐で無垢な演技が大評判となり、類まれな演技力と美貌で宝塚娘役として一時代を築きます。その後、劇団内に創設された「映画専科」に所属することになりました。

八千草薫、「結婚したい有名人」で首位に 夫や子供は? 性格はどうなの?

宝塚歌劇団の「映画専科」に所属した八千草薫は、宝塚在団中から東宝映画などに出演をこなし、芸能界での「お嫁さんにしたい有名人」では常連で何度か首位にも輝いています。気品があって生活臭が微塵も感じられない八千草薫ですが、1957年に宝塚を退団して結婚。

お相手は離婚歴が二度ある映画監督の谷口千吉で、八千草薫とは三回目の結婚でした。八千草薫と谷口千吉との間には親子ほどの年齢差もあってお母様は猛反対されましたが、二人は周囲の反対を押し切って結婚します。子供さんはいないようですが、2007年に谷口千吉が亡くなるまで仲睦まじく寄り添い、二人はおしどり夫婦として有名でした。

おっとりした雰囲気の八千草薫ですが、昭和を代表する伝説の歌姫だった山口百恵が出演した大ヒットドラマ『赤い疑惑』では、山口百恵の過密スケジュールで撮影が途切れ途切れになることに不満を抱き、母親役を途中降板するという、何とも仕事に厳しい性格もお持ちです。

八千草薫、仲代達矢共演映画「ゆずり葉の頃」、「蝶々夫人」が絶賛される理由

八千草薫を共演の仲代達矢が絶賛!映画「ゆずり葉の頃」

映画『ゆずり葉の頃』は、故岡本喜八監督夫人で演出家の岡本みね子が初めて監督に挑戦した記念すべき映画です。岡本みね子にとって八千草薫の夫、谷口千吉は師弟関係もあって「この映画にぜひ出演して欲しい」と数年前から熱望していたそうです。岡本喜八映画の常連だった俳優・仲代達矢は完成報告会見で「素晴らしい映画が出来て感無量。天国の岡本喜八監督に捧げたい」と語りました。

中でも見せ場は劇中で八千草薫と仲代達矢の二人が踊るダンスシーン。岡本みね子監督は「この映画の中で私が撮った最高の大人のラブシーン。とても満足している」と称し、盲目の役柄の仲代達矢も「私もこのシーンはラブシーンだと思っている。

八千草薫とは何度も共演しているが、いつも初々しい。この業界には年齢に関係なく初々しくない女優がたくさんいるが、この映画の八千草薫は素晴らしい!90%は八千草薫に支えてもらった」とべた褒めでした。

八千草薫が演じたオペラ映画「蝶々夫人」日伊合作で制作された理由

『蝶々夫人』は、日本を舞台にした有名なオペラとして世界中に上演されていますが、日本文化が間違って解釈されており、時代背景や日本が誇るおくゆかしい情緒も全く生かされていませんでした。そこで「世界に日本の正しい文化や作品の情景を知ってほしい」との理由から、東宝がイタリアと合作でオペラ『蝶々夫人(1955)』の制作を決めたのです。

ヒロインの蝶々夫人には、当時の宝塚歌劇団内に創設された「映画専科」に所属していた八千草薫を抜擢。衣装はもちろんのこと、日本家屋に至るまで全て日本から空輸し、現地入りしていた東宝スタッフの手によって組み立てられました。

八千草薫と助演した東郷晴子、伊吹友木子ら宝塚歌劇団員17名も渡伊。プッチーニ原作の舞台をそのまま忠実に再現し、歌はイタリアのソプラノ歌手が吹き替えましたが、八千草薫の演技はまるで自らが歌っているかのように自然で、日本人の心の演技を見事に表現しました。

八千草薫、恥ずかしがり屋だった少女が宝塚に「いつも楽しく」

八千草薫は1961年1月6日生まれ。大阪府の出身です。二歳の時にお父様が亡くなり、ひとり娘だったことから母一人子一人で育ちました。もしかすると、お父様を早くに亡くしたことが、後に親子ほど年齢差のあった谷口千吉監督と結ばれた理由だったのかも知れませんね。

八千草薫は映画の撮影中に谷口千吉監督に相当厳しい演技指導を受けたそうです。谷口千吉監督の中に「父性」を感じていたのかもしれません。意外にも幼い時は恥ずかしがり屋で、自宅にお客さんが見えてもすぐに隠れてしまうようなシャイな女の子だったそうです。

そんな恥ずかしがり屋の女の子が、華やかな宝塚の舞台で娘役のトップに君臨するなど誰が想像したでしょう。八千草薫はインタビューでこう語っています。「知らない間にここまで来てしまいましたけれど、私は過去とか将来とか余り考えないんですね。何より『今』を一番に考えていますから。それに、あれをしたいとかこれをしたいなども余り考えていません。自然体でいつも楽しく、何事も楽しくやりたいと思っていますから」。

理想の女性像は「美智子皇后陛下」と語る八千草薫、これからも初々しい美しさで、いつまでも私たち女性のお手本であり続けて下さい!

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