ヤマザキマリ シングルマザーの波瀾万丈海外放浪!夫や息子、父母は?

ヤマザキマリ シングルマザーの波瀾万丈海外放浪!現在の夫や息子、父母は?

ヤマザキマリ シングルマザーになった波乱万丈海外放浪の序章

漫画「テルマエ・ロマエ」の作者、ヤマザキマリ。波乱万丈海外放浪の序章はヤマザキマリがミッションスクール在学中、わずか14歳で母の知り合いを頼ってドイツ、フランスを単身旅行したことでした。これは、ヴィオラ奏者として札幌交響楽団に在籍していた母の「芸術のために」という子育ての方針。

ヤマザキマリが幼少の時に他界した父は指揮者であったことからも、芸術一家だったことがうかがえます。とはいえ語学経験はゼロの14歳のヤマザキマリにとっては四苦八苦の旅でした。旅の道中に知り合ったイタリア人陶芸家に家出人と誤解されるなど苦労は尽きませんでしたが、その旅は無事に終了。

ヤマザキマリが17歳になると、今度はその時のイタリア人陶芸家の招きで単身イタリアへ。そして、イタリア国立フィレンツェアカデミア美術学院で油絵や美術史を学ぶためのイタリア留学生活を始めました。ほどなく、ヤマザキマリはアパートの隣人だったイタリア人の詩人と恋に落ち、10年の同棲生活を経て彼の子供を妊娠します。出産時、分娩台の上でシングルマザーになる決意を固めました。

ヤマザキマリ シングルマザーという選択から漫画家デビュー、結婚 現在の夫や息子は?

ヤマザキマリがなぜシングルマザーを選んだかと言うと、彼がいわゆるヒモ男だったから。愛してはいたけれども、子供のためを思っての選択でした。とはいえ、出産時のヤマザキマリは、28歳になっていたもののまだ学生。さらには、彼が残した借金も背負っていたのです。生活費を稼ぐために、イタリアやキューバでの生活をエッセイや漫画に描き始めます。

息子が1歳になった1996年に日本で漫画家デビュー。故郷北海道で、大学の語学講師やラジオ、テレビの仕事が入るようになり、生活が軌道に乗り始めます。2002年、35歳になったヤマザキマリは7歳の息子を連れて、14歳時単身旅行の時に知り合ったイタリア人陶芸家の孫で、14歳年下の現在の夫と結婚。彼の留学先、エジプトのイタリア大使館で挙式しました。

当時の夫はまだ学生でしたが、現在の職業は文学研究者。研究の拠点が変わる度に、一家はシリアのダマスカス、北イタリア、ポルトガルのリスボン、米シカゴへ転々とし、現在は再びイタリアに落ち着いています。ただし、ヤマザキマリの息子は現在20歳の大学生で、1人でハワイに住んでいるそうです。

ヤマザキマリ 「テルマエ・ロマエ」あらすじネタバレ!映画キャスト秘話!

ヤマザキマリ 累計900万部超えの大ヒット作「テルマエ・ロマエ」あらすじネタバレ!

累計900万部超の大ヒットとなったヤマザキマリの漫画「テルマエ・ロマエ」は、古代ローマ時代を背景とするギャグ+SF(スゴイ・フロ)漫画です。公衆浴場の設計技師である古代ローマ人・ルシウスは、日々浴場のアイディアについて試行錯誤を繰り返していました。

ある日、公衆浴場で入浴中に奇妙な排水口を湯の中に発見したルシウス。潜水して近づくと足から引きずり込まれ、現代の日本の銭湯へとタイムスリップしてしまいます。ルシウスは日本の「銭湯」と、日本人の「平たい顔」に衝撃を受け、浴場設計のヒントを得ていき、その後も自分の意思とは無関係に古代ローマと現代日本を行き来するたびに得たアイディアを活かし、次第に新時代の設計技師として名声を得ていくというあらすじです。

ヤマザキマリはこの「テルマエ・ロマエ」でマンガ大賞と手塚治虫文化賞短編賞を受賞。漫画の本編は2013年に全6巻で完結しており、続編の連載が予定されていましたが、現在延期中だそうです。

ヤマザキマリ 「テルマエ・ロマエ」映画キャスト秘話!ローマでも大ウケ「誰が一番濃い顔?」

「ひとっ風呂、タイムスリップしませんか」「時空を超えた入浴スペクタクル」というキャッチコピーで空前の大ヒットとなったヤマザキマリ原作、映画「テルマエ・ロマエ」。クソ真面目なルシウスを見事に演じた阿部寛の演技力とともに、主要なローマ人たちのキャストを市村正親、北村一輝、宍戸開、勝矢などの、特に「濃い顔」の日本人俳優たちで固めたことで我々を抱腹絶倒させてくれました。

その他のローマ人は現地のイタリア人が演じていましたが、現代日本で漫画家を目指す山越真美を演じた上戸彩ですら、「濃い顔」の俳優たちが溶け込んでどこにいるかわからなかったと話しています。

また、阿部寛をはじめ「濃い顔」の俳優たちは「一番濃いのは誰?」と随分盛り上がっていたようですが、上戸彩は「みんな濃いよ」と心の中で思っていたそうです。ローマでのプレミア上映会では本場イタリア人が大爆笑したという「テルマエ・ロマエ」。1作目で59億円、Ⅱでも44億円を超える脅威の興業収入をたたき出しています。

ヤマザキマリ 頼るべきものは自分の中に 波乱万丈海外放浪から得た信念

「テルマエ・ロマエ」のヒットから、NHK「スタジオパークからこんにちは」など、テレビでもヤマザキマリの姿を拝見する機会が増えました。2013年のTBSバラエティ番組「ジョブチューン」では、映画化の時に出版社から言い渡された「テルマエ・ロマエ」の原稿使用料が、たったの100万だったと明かし、その発言が波紋を呼んだこともありましたね。

とにかく始終低い声話すヤマザキマリは、発言や態度にも、全く自分を飾る気配がありません。そこには長い海外生活で追い詰められる度に握りしめてきた、「自分を飾らなくても、頼るべきものは自分の中にある」というヤマザキマリの信念があったのです。14歳で全く言葉が通じない国を旅し、「野垂れ死ぬかもしれない」という状況に遭遇したというヤマザキマリ。

しかし、たった14年分の経験しかなくても、いざとなったらさまざまな判断ができるのだということを実感。その強さで後の波乱万丈な人生を切り抜けてこられたのです。シングルマザーと極貧の海外放浪という状況に中で、「どうしてこんなことになったの?」と嘆くのではなく、ヤマザキマリは常に「自分は何を守るべきか」という自分への問いかけと、行動あるのみの人でした。

思い込みを捨てて、違う側面に心を開くことで道を拓く……そんな信念があったからこそ、「テルマエ・ロマエ」という奇想天外な作品が生まれることになったのかもしれませんね。

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