2015年12月27日 更新
太宰治 玉川上水心中、自殺の理由その生涯が黒歴史づくめ!
太宰治 未遂4回!玉川上水心中でついに……自殺の理由とは?
1948年6月13日、太宰治はその愛人・山崎富栄と共に玉川上水へ入水心中し、38歳という若さでその生涯を閉じました。既に人気作家として活躍していた太宰治が、なぜ未遂を繰り返した果てに、愛人と自殺を図らなければならなかったのか。その理由について、当時は「愛人の強要説」「自身の体調憂慮説」がささやかれていました。
しかし、1998年に遺族が公開した太宰治の遺書には「小説を書くのがいやになった。みんないやしい欲張り。井伏は悪人」と書かれていたそうです。井伏とは「山椒魚」で知られる作家・井伏鱒二のこと。太宰治は彼を尊敬し、東京帝国大学入学直後に弟子入りまでしています。
さらに4回目の自殺未遂と離婚、薬物中毒で荒みきっていた太宰治を救い、妻・美知子を紹介したのも井伏鱒二でした。本来なら太宰治にとって恩人であるはずの井伏鱒二ですが、いつの頃からか、太宰治は、多大な不信感を募らせていたようです。
愛人・山崎富栄の遺書にも「みんなして太宰治をいじめ殺す」と書かれており、そこからも井伏鱒二のみならず、文壇関係者らとの関わりに苦しんでいた太宰治像をうかがうことができます。
太宰治 自殺癖だけではない!その生涯が黒歴史づくめ!”芥川賞ください”懇願文また見つかる
玉川上水心中で引き上げられた太宰治と愛人の遺体は、お互いが帯で固く結ばれた状態でした。ところが、愛人の遺書には彼を愛してやまない想いが綴られていたものの、太宰治の遺書には「妻を誰よりも愛している」と記され、妻子に対する想いと相反する自分の性分を呪う気持ちを吐露するものでした。
太宰治は4回の自殺未遂歴のうち、玉川上水以外にも2回の心中事件を起こしています。1回目には、前妻と婚約中に愛人を死なせ、2回目はその前妻が浮気したとして道連れを図るという非常に身勝手なものでした。生家からの落籍、非合法指定されていた左翼運動、自殺、心中、大学除籍、就職失敗、薬物中毒など、支離滅裂な自らの性分によって数々の黒歴史を塗り固めていった太宰治にとって、それらを挽回するためにどうしても必要だったのは芥川賞。
第1回芥川賞を逃した時の選考委員だった川端康成に「刺す」と怒りをぶちまけておきながら、第3回の際には「見殺しにしないで」と懇願文を送ったことがこれまでに明らかになっていました。しかし、最近になって作家・佐藤春夫に「第2回の芥川賞をください。私を忘れないで」などとしたためた巻紙約4mの懇願文も見つかっています。
太宰治 「人間失格」「グッド・バイ」などの作品あらすじ!名言集!
太宰治 晩年の「人間失格」「グッド・バイ」作品あらすじ 健康的な短編小説から一変
自らの命を顧みず、友情を貫いたメロスの激走によって、猜疑の化身となっていた王を懐柔するという感動物語、太宰治の「走れメロス」は、文学に興味のない者でも教科書で触れたことがあるでしょう。この頃の太宰治は、井伏鱒二の手引きで精神的に安定し、14歳の少女の1日を綴った「女生徒」など、健康的な短編作品を次々と執筆していました。
その後、没落家族を描いた長編小説「斜陽」で大反響を得るもの、この頃から再び作風に暗雲が立ち込め始めています。太宰治の代表作として知られる「人間失格」は、かつて自身が薬物依存で精神病院送りにされ、まさに”人間失格”を痛感した体験から生まれたもの。
無邪気さを装って周囲を欺いた少年時代を経て、女性遍歴、自殺未遂、薬物依存で崩壊していった者の手記として書かれたこの作品は、この1年後に太宰治は他界していることから半自伝的遺書という見方もできます。ところが未完の遺作となった「グッド・バイ」は、酔狂と闇商売から足を洗って全うになろうとする雑誌編集長が、愛人たちと手を切るために「すごい美人」を引き連れて彼女たちを歴訪するというユーモアたっぷりな作品なのです。
太宰治 名言からうかがえる繊細な感受性
「生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」これは太宰治の「斜陽」の一説です。このように太宰治の作品の中には、自身を投影したかのような名言が数々残されています。太宰治は、繊細な感受性を持つが故に、人間関係の「真実」に非常に敏感で、さまざまな生きていきにくさを感じていたようです。
「生きているのだからインチキをやっているに違いないのさ」「騙す人のほうが、数十倍苦しいのさ」と言いながら、「走れメロス」の中では「人の心を疑うのは、もっとも恥ずべき悪徳だ」と訓戒していたり、「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった」と希望をにじませたりしています。
世間への疑いをぬぐいたい気持ちと、疑うことへの罪悪感で混沌となった心をぬぐうように「人は人に影響を与えることもできなければ、また人から影響を受けることもできない。」「笑われて、笑われて、つよくなる。」と自らを叱咤するような発言もしています。ぼんやりとした憂鬱に翻弄される太宰治の性分が、端的かつ、的確に表現された名言に人々はギクッとさせられるのです。
太宰治 度重なる黒歴史発覚も魅力 現代人にこそ受け入れられる感覚とは?
太宰治の”芥川賞懇願文発見”について、「もうやめてあげて!」という声が続出しています。以前には、ひたすら不気味な人物画を描きまくり、何の脈絡もなく「芥川、芥川……」と最敬愛する芥川龍之介の名を連ねに連ねた大学時代の板書ノートも発見されました。渡世に悩んだ太宰治が、死してなお、こんな恥部が次々と発覚してさらし者になりお気の毒に……という一種の哀れみと嘲笑を受けつつ、しかしながら、それが太宰治の魅力となって共感を得ているのは間違いありません。
それはきっと、自分の中にある得体の知れない感情を、太宰治の作品の中に見つけ、「ああ、これは自分だ」と思えるように、彼が晒した性分は、少なからず誰もがひた隠しにしている部分だからでしょう。東大を除籍されてしまったにもかかわらず「東大生が尊敬する東大卒業生」に名を連ね、自我が芽生えて世間への憂いが絶頂になる思春期を迎えた少年少女から、渡世の困難を抱える大人まで、広い世代に支持され続けている太宰治。
かつてキングコング西野が「太宰が嫌い」とTwitterでちょっとつぶやいただけで炎上に発展してしまうほど、彼の綴る言葉、人物像は、太宰治が生きた時代より空虚感を増す現代人にこそ、受け入れられる感覚なのかもしれませんね。
中学時代に「人間失格」を読み、激烈な共感を覚えたというピース又吉が「火花」で芥川賞を受賞しました。数々の黒歴史の露呈もさることながら、こんな生かされ方を、草葉の陰から太宰治はどんな想いで眺めているのでしょうか。