西川きよし 弔辞に全国が泣いた横山やすしへの思い!
西川きよし 横山やすしと突き進んだ栄光と転落
横山やすし西川きよしの漫才は、例えば今の中川家などにつながる、現代漫才の基礎を築いたといえます。やすきよの漫才がこれほど伝説化したのは、彼らの、笑いを獲りに行く、一番になるという、経済至上主義的なスタイルが、バブルへと突き進む1980年代の世相とマッチしたのかもしれません。
しかし、その栄光は、まさにバブルのようにはじけ飛びます。横山やすしの度重なる不祥事や経済的破綻により、やすきよコンビは解散。その後、横山やすしは病に倒れ、西川きよしとのコンビは二度と再結成されることなく、1996年、横山やすしはアルコール性肝硬変で亡くなります。
横山やすし、享年51歳。晩年は、暴漢によるケガの後遺症や長年の飲酒で、髪は真っ白、体はボロボロ。晩年の横山やすしはまだ51歳だったのに、見た目はまるで老人のようでした。まさに漫才に殉じ、燃え尽きたかのような死に様といえます。
西川きよし 横山やすしに捧げた感涙の弔辞
横山やすしの死後、あれだけ横山やすしをバッシングしていたマスコミは、手のひらを返したように横山やすしの非凡な才能を惜しみ、こぞって彼を持ちあげました。その葬儀には、名もなき多くのファンが参列し、静かに横山やすしを見送りました。弔辞を読み上げたのは、相方の西川きよし。
「(中略)若いときは、人生山あり谷ありと言われても、よう分からんかった。でも、ほんまに山あり谷ありと、自分(やすし)に教えてもろたわ。(中略)影になり、支えになってもろたな。お礼言うわ。ありがとう。さっきも師匠のノックさんが言うてたけど、もうゆっくりしーや。何にも考えんと、ゆっくりしーや。わしもなるべく早ようそっちに行かんようにするわ。ゆっくりしーや。ほなな。」西川きよしが、まるでいつもの漫才のように、遺影に語りかけたこの弔辞は、葬儀に参列した全ての人々の涙を誘ったと伝えられています。
西川きよし 嫁・西川ヘレンも元芸人!息子、娘の現在は?
西川きよし 嫁の西川ヘレンは、昔きよしを凌ぐ人気女優だった!
横山やすしが亡くなって、もう20年になります。西川きよしは68歳になりました。向こう意気の強さと生真面目だけを取り得として生きてきた西川きよしは、今や、場が読めない昔かたぎの芸人として、若手漫才師たちからも軽んじられ、横山やすしと組んでいた頃の切れは全く感じられません。
西川きよしは、芸人になりたい一心で吉本新喜劇に飛び込んだものの、いつも通行人程度の役柄しか与えられず、全く芽が出ませんでした。その頃、新喜劇では、ハーフの美女なのに、強烈な大阪弁でまくし立てるヘレン杉本という女芸人が大人気でした。これが、後に西川きよしの嫁となる西川ヘレンです。
西川きよしと同じく、新喜劇で不遇であった坂田利夫は、西川きよしより先に前田五郎と漫才コンビ「コメディNo1」を結成。少しずつ人気が出始めていました。そんな坂田利夫は、西川きよしに漫才に転向することを進めます。運命とは不思議なもの。その時、才能はあるのに、相方に切れてはコンビ別れを繰り返していた横山やすしと出会ったのです。西川きよしは、横山やすしの才能に賭けてコンビを結成します。時代はまだ1966年。漫才ブームの一時代前から、やすきよの漫才は、関西で絶対的人気を確立します。
西川きよし 何か物足りない芸能一家
西川きよしには3人の子供がいます。長男の西川忠志、長女の西川かの子、そして次男の西川弘志です。子供たち3人も、父同様に真面目ですが、一様に凡庸といえます。親の七光りで全員が俳優やタレントとなって、映画やドラマの出演機会にも恵まれますが、結局、西川きよしの子供という域を出ることはできませんでした。
長男の西川忠志は、現在、吉本新喜劇に所属。長女の西川かの子は、離婚を経て現在は関西のローカルタレントとして活動しています。次男の西川弘志は俳優を辞めて、九州の博多で和食の店を経営しているそうです。
西川きよし 「水都大阪2015」のオープニングセレモニーにスペシャルゲストで参加
とはいえ西川きよしは、今や関西演芸界の重鎮。この夏には、「道頓堀開削400年」などを記念した、「水都大阪2015」のオープニングイベントに、スペシャルゲストとして招待され、道頓堀界隈での西川きよし自らの思い出を振り返りつつ、イベントの成功を祈願しました。またセレモニーには、松井一郎大阪府知事や、橋下徹大阪市長ら地元政財界の代表たちも顔を揃え、橋下市長は「市民の皆さんと力を合わせ、大阪を世界に向けてアピールしていきたい」と、あいさつしました。
コアな漫才ファンにとって、横山やすし西川きよしの漫才を、語りつくすことなどできません。ただ運命が残酷なのは、横山やすしは51歳の若さで伝説となり、西川きよしは生きながらえ、今もお笑いの世界に身を置いているということです。西川きよしは、全国ネットのテレビ番組のレギュラーだけでなく、西川きよしのような師匠クラスがやらなくてもいい、関西ローカルのロケ番組も、相変わらず生真面目にこなしています。
しかし、同世代のビートたけしや一世代下の明石屋さんまが、そのポジションやスタイルを変えながら、今も新しい笑いを探求しているのに対して、西川きよしの笑いは、あのやすきよ全盛期のままで、何かずれてしまっているのです。もし横山やすしがまだ生きていたとすれば、今のお笑いの世界は、きっと別のものになっていたに違いありません。西川きよしにはいっそ、かつての砂川捨丸や人生幸路師匠のような、漫才の上等な骨董品になってほしいものです。