佐藤B作は胃がんで病気療養中、症状や治療方法、余命は?
佐藤B作、胃がんで病気療養していた!人間ドックの診断で発覚!
佐藤B作といえば、気さくな笑顔がトレードマーク。確かな演技力で、演技派俳優の座を不動とし、現在も息の長い活動を続けています。福島県福島市出身の佐藤B作は、1949年2月13日生まれの66歳。劇団「東京ヴォードヴィルショー」の主催者でもあります。
本名は、佐藤俊夫(さとうとしお)で、芸名である佐藤B作の由来は、元総理大臣の佐藤栄作で、「A作に対抗してB作とした」のだとか。それにつられたのか、外国切手では、佐藤栄作を「Bsaku Sato」と誤表記したことがあったようです。本名「佐藤俊夫」も、「砂糖と塩」にかけたダジャレで父親が命名したといいますから、ほとんど冗談の領域ですね。さて、その佐藤B作ですが、実は、胃がんで病気療養中だった時期がありました。
きっかけは、舞台で共演した故・中村勘三郎に「ちゃんと定期健診受けてる?」と促され、2007年末に人間ドックを2年ぶりに予約したこと。そしていざ診断を受けてみたら、なんと予想外の胃がんが発覚。当時、佐藤B作にはがんを患った親族はおらず、本人にも自覚症状はなかったそうです。血圧には気を配っており、「酒もごはんもうまい。信じられなかった」と体調も良好。その後は腫瘍も消え、大丈夫と信じ込んでいた佐藤B作でした。
しかし、翌2008年2月に、舞台公演で札幌にいた佐藤B作の元を訪れた医師が「腫瘍は消えてはいない。広がり具合は分からないが、すぐに手術が必要」と勧告。しかし、当時の佐藤B作は、主宰する「東京ヴォードヴィルショー」の地方公演を抱える身であり、2か月半の公演に穴を開けるわけにはいきませんでした。そのため、舞台千秋楽後まで入院延期を決めたそうです。
佐藤B作、自覚症状はなかった?計3回のがん手術による治療方法で余命宣告もなく舞台活動こなす
佐藤B作は、2回めのがん発見後、千秋楽終了後の4月末に入院。しかし、舞台を続けている間も、自覚症状らしきものはみられなかったそうです。入院後は、翌日に即手術が待っていました。手術は4時間半を要する大がかりなもので、しかも胃の摘出が、予定していた範囲よりも多い3分の2にのぼりました。
佐藤B作は、手術の勧告を受けてからも、2カ月半芝居を続けていたため、範囲が広がったのだろうかとは佐藤B作談。手術後は点滴から流動食へ。体重が14kgも減り、体力が手術前の状態に戻らないことを痛感したそうです。さらに翌2009年3月には、佐藤B作、食道へがん転移が確認され、2度目の手術へ。がんは切除されましたが、再発予防に向けて、放射線と抗がん剤による治療を受けます。
しかし、治療方法の副作用でだるさなどを訴え始め、舞台稽古にも支障をきたすようになった佐藤B作は、ついには治療を中断せざるを得なくなりました。さらに翌年には再び胃に腫瘍が発見され、佐藤B作は、3度目の手術へ。幸いにも良性の腫瘍でしたが、出演中の舞台は降板して療養に専念。舞台降板に「とても悔しい」と無念を表明した佐藤B作でしたが、一方で「命には限りがある」ことを実感もした様子。現在の佐藤B作の予後は、幸いにも余命宣告には至っていないようで体調も安定しているのでしょう。順調に舞台活動をこなしています。
佐藤B作は結婚回数5回!現在の妻あめくみちこと壮絶夫婦げんか!
佐藤B作の結婚回数は現在で5回目!「三角関係もしていた」と柄本明が暴露
佐藤B作は、結婚回数が現在で5回目!言い換えれば、離婚回数4回で「バツ4」。若い頃からモテ男として鳴らした佐藤B作、そのためか女性関係もかなりお盛んだったようで、その頃のエピソードを、島田紳助にネタにされたこともあります。女性誌が企画した盟友の柄本明、笹野高史との対談でも、若き日のモテモテな思い出が語られています。「稽古が終わると、安い飲み屋で有り金全部飲んで、あとは金持ちの女を見つけてはたかって飲むという(笑)。
大事なのは笑いを取ること。笑いを取るといちばん綺麗な女をゲットできたんだ。口説くためならなんでもしたさ」と佐藤B作が振り返れば、「女性をとっかえひっかえしてたよなあ。三角関係もしていただろう」と柄本明が暴露。佐藤B作も「(笑)愛した人の名前は、みんな覚えてますよ!」と返すなど、女性口説きに明け暮れた昔を懐かしみました。
語られている時期は佐藤B作の20代前半のころだと思われます。かなりエネルギーが有り余っていたのでしょうね。別の見方をすれば、女性から見れば、佐藤B作がそれだけ魅力的で、笑いのセンスに富む人物だったという証明になるわけです。
佐藤B作、現在の妻あめくみちこと壮絶な夫婦げんか!原因は2人のセリフ覚え?
佐藤B作の現在の妻は、女優のあめくみちこ。1983年に「東京ヴォードヴィルショー」に入団し、当初は、本名の「天久美智子」として活動していました。2001年に結婚した2人ですが、かなり壮絶な夫婦げんかが続いていたようです。その原因は、佐藤B作とあめくみちこが同じ劇団に所属する俳優同士ということにありました。
劇団が同じだから、同じ芝居をやっていると24時間一緒にいることが多く、セリフ覚え一つでけんかに発展するという実態。芝居期間中ともなるとかくもナーバスになるのか、あめくみちこのセリフ覚えが気に障り、佐藤B作が「俺も覚えてんだ!」と声を荒げて、けんかがスタート。そこで佐藤B作が「とっとと出て行け!」と一喝すれば、あめくみちこも引き下がらず「分かりました!」と荷物をまとめて本当に出て行く、というのがパターンです。
この佐藤B作とあめくみちこの夫婦げんかがあまりに壮絶に聞こえたのか、上の階の住人から注意が入ることも。しかし、たいていは翌日の朝、ホテル泊のあめくみちこに「俺が悪かった」と佐藤B作から詫びの電話が入り、一件落着となるのだそうです。けんかでは妻にかなわないと知り抜いている佐藤B作、結局「出て行け!」という一言で片づけるしかなかったようです。しかし、最近は、あめくみちこも、昔のように家を出て行くのが馬鹿馬鹿しくなったとか。やはり、佐藤B作とあめくみちこ夫婦でも、妻に主導権があるようですね。
佐藤B作、東京ヴォードヴィルショー「パパのデモクラシー」近畿公演へ
佐藤B作率いる「東京ヴォードヴィルショー」が上演する舞台、「パパのデモクラシー」の近畿公演が12月4~5日(奈良県大和郡郡山市)を皮切りに、20日(兵庫県姫路市)まで15日間行われると発表されました。「パパのデモクラシー」は、第二次世界大戦後の日本で、がらりと変わった価値観に翻弄される一般庶民の混乱を描く社会派コメディー。
日常を独自の視点で描写する永井愛が著わした「戦後生活史劇三部作」の第2部にあたり、1995年に第50回芸術祭演劇大賞を受賞しています。「パパのデモクラシー」の舞台は、敗戦からまだ日が浅い1946年の東京。主人公は、戦前は軍国主義の手先だったと非難され、デモクラシーで分が悪いうえに、食糧難でありながら居候までかかえる1人の神主。自分たちの食糧さえ確保するのもままならないのに、戦災で住まいを失った7人もの人間を押し付けられて、もめごとが増えるばかり。
そんな中、出征していた養子が復員してきて……。出演は、佐藤B作、佐渡稔、石井愃一、市川勇、たかはし等、あめくみちこほか。佐藤B作は、養子・千代吉役に扮し、かつてがんで闘病したとはみじんも感じさせない熱演を見せてくれます。「東京ヴォードヴィルショー」が演じて見せる、おかしくも切ない世界とあわせてこちらもみものです。
今後の佐藤B作のスケジュールですが、来年2月3日~14日の舞台公演「あぶくしゃくりのブリガンテ」で実子・佐藤銀平と共演、4月9日~28日は水谷八重子・浅丘ルリ子・山本陽子主演の舞台「三婆」に出演が決まっています。舞台公演をこなせるということは体調も落ち着いているのでしょう。これからも、佐藤B作には、培われた演技力で意欲的に舞台公演に励んでほしいと思います。でも、油断せずに体調管理にも励んでくださいね。