手倉森誠は監督業よりダジャレがお得意?! 歴代最低評価チームで勝つためには?
手倉森誠はサッカー監督業よりダジャレが評価されている?
手倉森誠といえば、リオデジャネイロ五輪出場が決まっているサッカーU-23日本代表チームの監督です。そんな手倉森誠のダジャレの実力が、「試合前後のダジャレを見ていても、余裕がある」と、日本サッカー協会の原博実担当技術委員長にも大絶賛されていました。
ベガルタ仙台監督時代も、勝てば決勝トーナメント進出というここ一番の試合前でさえ、「葛飾北斎です」などのダジャレを連発してきた手倉森誠。リオデジャネイロ五輪最終予選前にも余裕の表情を見せ、「あまり国の名前を言わないほうがいいか」としながら、「初戦が北朝鮮ということで、世界への”チョウセン”の時が”キタ”」、負けたら敗退決定が決まる緊張のイラン戦前には、チラ見してきた相手側のハクプル監督について「イラン視線だったね」と、ダジャレを交えて会見に臨んでいます。
手倉森誠については、選手たちも「ダジャレしか言わない」という印象を持っているそうです。「正直おもしろい?」と問われると、全員が沈黙……手倉森誠のダジャレの実力が、監督業に勝っているということはなさそうです。
手倉森誠のギャンブラー魂が光る?歴代最低評価チームで勝つための「弱者の戦い方」
手倉森誠は、ベガルタ仙台のJ1昇格、さらにアジアチャンピオンズリーグの出場権を獲得させた手腕が買われ、2014年、五輪出場を目指す当時のU-21日本代表チームの監督に就任しました。「谷間の世代」擁する歴代最低評価チームは、国際大会の成績に乏しく、世界どころか、アジアすら高い壁。リオデジャネイロ五輪出場を懸けたアジア最終予選でも、初戦の北朝鮮戦、準決勝のイラク戦と辛勝が続き、決勝の韓国戦も2-0からの大逆転勝利というハラハラの展開でした。
しかし、手倉森誠の「勝負度胸」がことごとく光っていました。手倉森誠は、あえてチームにベストメンバーを作らず、毎回、大胆な采配で勝利をもぎ取っています。「ドーハの悲劇」の呪縛に誰もが怯えていたはずのイラン戦では、21歳の南野拓実の先発起用が大当たり。ここ一番で、いかに冷静に、いかに大胆な賭けに出られるかというのが、手倉森誠流の「弱者の戦い方」。
選手時代にパチンコに明け暮れ、600万円1点買いなど、2日間で1200万円も競馬場でスッてしまったギャンブル狂の過去を持つ手倉森誠だからこそ、できる戦略なのかもしれませんね。
手倉森誠はキャプテン翼の双子「立花兄弟」のモデルだった!妻や家族、プロフィールは?
手倉森誠はキャプテン翼の双子「立花兄弟」のモデル?!小中高・現役時代、弟と全く経歴が同じ!
手倉森誠は、なんとキャプテン翼に登場する双子のサッカー選手「立花兄弟」のモデルだったと言われています。手倉森誠と共に「立花兄弟」として描かれたとされているのは、手倉森誠の実の双子弟・手倉森浩。手倉森誠・手倉森浩兄弟は小学校4年生から共にサッカーを始めて以来、小・中・高・所属チームと、全く同じサッカー人生を歩んでいます。
一躍その名が有名になったのは、互いに青森八戸高校のサッカー部に在籍し、ベスト8に進出した1986年の全日本高校サッカー選手権。「立花兄弟」は、キャプテン翼連載当初の1982年から登場していることを考えると矛盾しているようですが、それ以前の活躍がすでに作者・高橋陽一の耳に入っていたと考えられなくもありませんね。
卒業後の手倉森誠は、日本サッカーリーグの住友金属(現鹿島)に入団し、1992年まで在籍。1986年にはユース日本代表にも選出されています。1995年にNEC山形(現J2山形)を引退した後は、コーチを歴任して、ベガルタ仙台の監督に就任。1997年に引退した弟・手倉森浩もまた、2008年からはベガルタ仙台のヘッドコーチとして3年間兄を支えています。「立花兄弟」のモデルでなくとも、まるで漫画に描いた双子の設定さながらの手倉森兄弟です。
手倉森誠、年の差婚の妻との夫婦仲は?子供はいる?
手倉森誠は、ベガルタ仙台のコーチからヘッドコーチに昇格した2007年、39歳の時に、12歳下の妻・真澄と入籍しています。2007年シーズンを終えてから仙台市内で行われた挙式では、妻が「多くの方に祝福してもらって幸せです」と冷静に語る傍らで、手倉森誠は、謝辞を述べつつ大号泣。
住友金属時代は、パチンコ屋に探しにきたジーコから逃れるため、パチンコ台の下に身を隠したこともあったほどのギャンブル狂いが祟った手倉森誠は、鹿島アントラーズがプロ化する際に解雇された過去があります。失意のどん底から救ってくれたNEC山形で更生し、仙台で指導者として再出発。さらに若い妻まで娶ることができた感慨は、ひとしおだったのでしょう。
手倉森夫婦仲の良さを物語るエピソードとして、先日のアジア予選イラク戦で勝利をおさめた後、選手に水をかけられてびしょ濡れのままピッチに寝そべる手倉森誠に、妻が「はしゃぎ過ぎ」とメールを送ったという話があります。手倉森誠は妻との間に2人の娘をもうけており、小学校入学前後の、かわいい盛りのようです。
手倉森誠の監督力はダジャレ?!歴代最低評価チームが日本サッカーを変える日
手倉森誠が監督に就任した日本代表チームには、2014年の招集から1年もたたないうちに歴代最低評価が下りました。全体的な戦力不足が主な要因ですが、勝てない日本代表チームに「監督を更迭したほうがいいのでは?」という意見さえ出ていました。ところが、手倉森誠自ら「何も成し遂げていない世代」と称したチームは、見事にアジアNO.1の地位を奪取し、ドーハの悲劇の呪縛を解いて、リオデジャネイロ五輪への切符を手にしたのです。手倉森誠の大胆な采配には、特に多くの賞賛が集まりました。まさに辛勝と言うべき試合内容に、ファンはまだ納得しないかもしれません。
しかし、飛びぬけたスタープレイヤーのいないチームでも、身の丈を熟知した戦略と度胸如何で勝てるということが証明された今、手倉森誠の言う「日本のサッカーを世界に届くところに押し上げたい。不可能はないんだということをチームから受け取ってもらいたい」という意気込みには、期待せずにはいられません。また、今回のU-23日本代表チームの戦績は”辛勝”というより、競った試合で、確実に1点を目指す気概が感じられました。
決勝の日韓戦では、2点を先制された時点で手倉森誠を含めて誰もが負けを確信しましたが、結果的には、すでに五輪出場が決定していたにもかかわらず、チームは、強烈な追い上げで勝ちをもぎ取っています。突出したワンマン選手がいなかったため、チームが団結しやすかったとも考えられるでしょう。しかしもう1つ理由を挙げるならば、指揮官である手倉森誠のコミュニケーション能力が、酷評続きのチームにもたらした明るさ。その神髄が「手倉森誠が頻発する渾身のダジャレ」と考えると、ダジャレなくしては、手倉森誠の監督業自体が成り立たたないのです!。