林真理子の娘は体外受精だった!「半落ち」酷評で信用失望!?
林真理子の娘は体外受精で生まれたって本当?
林真理子の『不機嫌な果実』が再ドラマ化されて話題になっています。今年、何かとワイドショーを賑わせている「不倫」ですが、今から20年も前に、主婦の「リアル不倫」を描いて物議を呼んだ小説『不機嫌な果実』。一見、私小説とも思われる内容でもありますが、原作者の林真理子の結婚は36歳の時で、意外にもお見合い結婚でした。
結婚はしたものの、子供になかなか恵まれず、40歳の時に、林真理子は、夫の反対を押し切って不妊治療を開始します。その後、4年間の辛い不妊治療を経て、44歳で女の子を出産した林真理子。この時生まれた娘は、何度かチャレンジした体外受精の末に授かったようです。今でこそ作家としての絶対的地位を得た林真理子でしたが、ふくよかで個性的な容姿だったことから酷いイジメを受け、妄想の世界に入り込むことで心の平穏を保ってきたといいます。
林真理子にとって、文筆業は、何にも勝る心の拠り所。「子供を産んで本当に良かったのは、自分にとって仕事がどんなに大切なのか分かったこと。母親業に引っ張られることなく作家を続けていけることが再確認できたから」と語っています。
林真理子は数々の選考委員を務めているが「半落ち」酷評で信用失望?
林真理子は、現在、直木賞選考委員に名を連ねていますが、第128回直木賞にノミネートされた横山道夫の『半落ち』を、「ミステリーでありながら、ラストがきちんと着地していない欠陥小説」「こんな作品を持ち上げているミステリー業界もいかがと思う」と酷評したことから思わぬ波乱が起きてしまいます。
『半落ち』は、映画化もされ、「このミステリーがすごい!」(宝島社)で1位を獲得した人気作品だったこともあり、「作者のみならず、本を読んで感動した読者に対する侮辱だ」と世間から大バッシングを受けたのです。もともと歯に衣着せぬ発言で読者の支持を受けてきた林真理子でしたが、結果的に、酷評発言が横山道夫を激怒させて「直木賞決別宣言」に至ってしまい、選考委員のみならず、直木賞自体の信用を失墜させた事実は何とも残念でなりません。
林真理子原作ドラマ「不機嫌な果実」あらすじ!浅丘ルリ子との関係は?
林真理子原作の人気小説「不機嫌な果実」が二十年の時を超えて再ドラマ化!あらすじと見所は?
林真理子の『不機嫌な果実』が刊行されたのは、20年前。その10年前、妻の不倫をテーマにした『金曜日の妻たちへ』(TBS系)が放映され、その人気ぶりは「金曜10時、主婦たちはテレビに夢中で電話にも出ない」と評判になったほどでした。同じく妻の不倫をテーマにした『不機嫌な果実』の帯に書かれていたのは、「夫以外の男とのセックスは、どうしてこんなに楽しいのだろうか」。
衝撃的な帯の言葉通り、『不機嫌な果実』は、結婚6年目になる32歳の麻也子が、夫・航一との生活に満足できず、元カレである野村や年下の音楽評論家・通彦と逢瀬を重ねていくというドロドロ不倫のストーリー。1997年のドラマ化では石田ゆり子が演じたヒロインを、今回の再ドラマ化では栗山千明、夫を稲垣五郎、通彦を市原隼人が演じます。逢瀬の時に身に着けた下着を「洗濯すればリセットできる。どうってことないわ」とばかりに洗濯機に放り込む、麻也子の生々しい演技が何とも印象的です。
林真理子と大物女優・浅丘ルリ子との関係は「RURIKO」つながり?
林真理子は、『白蓮れんれん』の柳原白蓮、『ミカドの淑女』の下田歌子など、時代を力強く生き抜いた女性たちを描いた作品を数多く世に出してきました。そんな作家・林真理子が、最後の銀幕女優・浅丘ルリ子の生涯を描いた小説『RURIKO』(2008)が、銀幕スターを知らない世代から共感を得ています。
『RURIKO』は、今は亡き大スター、石原裕次郎や美空ひばりが実名で出てくるリアル小説でありながら、「9割8分は作家の産み出した創造物」。作品を書くにあたって、林真理子は、浅丘ルリ子に何度かインタビューを申し込んだそうですが、返答のほとんどが「忘れちゃった!」。浅丘ルリ子は、大女優とはとても思えぬほど、さばさばとした性格だったそう。『RURIKO』はすでに文庫化もされているので、昭和30年代という、日本も映画もキラキラしていた時代の雰囲気を味わいたい読者には必読の作品です!
林真理子の成功の秘訣は失敗やバッシングを糧にしたこと!渡辺淳一から掛けられた忘れられない言葉とは?
林真理子は、今や女性作家の大御所として、直木賞を始め、吉川英治文学賞、中央公論文芸賞、毎日出版文芸賞など、数々の選考委員を務めています。しかし、元はコピーライター出身。文壇デビューは、意外にもエッセイ集である『ルンルンを買っておうちに帰ろう』(1982)でした。この処女作がベストセラーになったことで「たかがコピーライターが」と、新人作家の成功を羨む輩たちの風当たりを強く受けたといいます。
しかし、ここで心折れてしまう林真理子ではありませんでした。幼少の頃から受けてきた「イジメ」を、妄想の世界に身を置くことで克服してきた林真理子の強い精神力は、世間のバッシングさえ糧にして、3年後の1985年『最終便に間に合えば』では直木賞を受賞。「これで自分の好きな小説が書けるようになるよ」……林真理子は、授賞式で渡辺淳一から掛けられたこの言葉が忘れられないと語ります。
その後の活躍はご存じの通り。主婦のリアル不倫をテーマにした『不機嫌な果実』、柴田錬三郎賞の伝記小説『白蓮れんれん』。そして、女優・浅丘ルリ子の生涯を描いた『RURIKO』など、様々なジャンルの小説を世に送り続けています。今や小説家として不動の地位にある林真理子ですが、過去にはパンの耳で食をつなぎ、就活中に40社に落ちるなど、相当な挫折も経験してきました。
それでも「いつか自分は必ず成功する」と信じ続け、いつかネタに使おうと、不合格通知をリボンで束ねてずっと保管していたそうです。林真理子の「今」の礎になっているのは、失敗やバッシングを糧に努力し続けた日々に相違ありません。「50代、60代になって書ける小説がある。若い作家には負けられない!」。62歳になってますます輝き続ける作家・林真理子の生み出す魅惑の小説に、これからも期待大ですね!