高倉麻子のサッカー経歴がスゴイ!子供や結婚した夫は?

高倉麻子のサッカー経歴がスゴイ!子供や結婚した夫は?

高倉麻子のスゴイサッカー経歴!

高倉麻子は、福島県福島市出身で、1968年4月生まれの48歳。高倉麻子の子供時代は、女子サッカーなど、全然流行っていませんでした。そのため、小学生の頃から、男子に混じってサッカークラブで練習をしていた高倉麻子。中学生の時には、日本女子サッカーで初となるクラブチーム、東京都リーグの「FCジンナン」に入ります。

高倉麻子は、週末だけ福島から東京に通い、サッカーの練習を続けていったのです。大学に入学するまで、福島と東京の往復を続けていたというのですから、その情熱はスゴイの一言。これだけの人ですから、その後は日テレ・ベレーザに入団し、日本女子代表に選出され、FIFA女子世界選手権とアトランタオリンピックに出場しています。最終的には、アメリカのシリコンバレー・レッドデビルズに入り活躍していた高倉麻子。現役を引退した後は、20歳以下若手代表の監督として活躍してきました。日本の女子サッカー創世記から活躍し続けてきた高倉麻子のサッカー経歴は、素晴らしいですね。

高倉麻子の子供や結婚した夫は?

高倉麻子を支える家族はいるのでしょうか?高倉麻子が結婚した夫は、竹本一彦です。この竹本一彦もまた、サッカー界では有名な人物で、読売サッカークラブユースのコーチや、日テレベレーザ、ガンバ大阪、柏レイソルで指導者もしていたという華麗な経歴を誇ります。

現在は、東京ヴェルディのゼネラルマネージャーに就任している竹本一彦ですから、妻の高倉麻子が今置かれている状況を、誰よりも深く理解していることは間違いありません。そんな2人の間に生まれた子供であれば、サッカーで活躍しないわけがない!とつい期待してしまいますが、残念ながら、2人の間に子供はいないようです。高倉麻子にとっては、教え子たちが子供のようになっているのかもしれません。

高倉麻子講演に見る女子サッカー復活への道!監督力への期待度は?

高倉麻子の講演は大人気!女子サッカー復活への熱い思いを語る!

高倉麻子は、コーチや、監督業など、女子サッカーの第一線で、これまでずっと忙しい毎日を過ごしてきているはず。しかし、そんな日々の中、講演も積極的に受けているようです。高倉麻子の講演テーマは、サッカー指導者としての観点からみた「リーダーシップ」や、「夢を持っている人が、どのようにモチベーションを保てばよいのか」など、夢や目標を持っている人たちの背中を後押しするような内容がほとんど。

講演には、高倉麻子だから言えること、高倉麻子だからこそ気付いたことなどがたくさん含まれていると好評です。中でも、高倉麻子が力強く語るのが「諦めないこと」や「継続は力なり」というメッセージ。その言葉を実践し、日本女子サッカー復活へ向けて一歩一歩進んでいる高倉麻子だからこそ、聴衆の心にまっすぐ伝わるといえそうです。

高倉麻子の監督力への期待度は?澤穂希を指導した実力は本物!

高倉麻子が、監督として求められること……細かいところまで話していくときりがありませんが、現時点で第一に挙げられるのは、間違いなく「東京オリンピック優勝」でしょう。選手の導き方は監督それぞれですが、「現時点で何を重視するか」で、その道筋は大きく変わっていきます。高倉麻子が女子サッカー代表監督として、まさに今、任命されたのは、「この人しかいない!」という意見が多かったためのようです。

日本協会の田嶋幸三会長も、高倉麻子に大きな期待を寄せています。現役時代MFというポジションで活躍していた高倉麻子は、同ポジションだった若かりし澤穂希を親身になって指導してきた人物。その後の澤穂希の活躍を見れば、高倉麻子新監督への期待度がMAXになるのも分かりますね。

高倉麻子に任せて大丈夫か?新生なでしこ!

高倉麻子が日本女子サッカーの監督に就任したことで、男女を通じて、A代表初の女性監督が誕生することにもなりました。「なでしこジャパン」という言葉が広く定着した現在は、新しく就いた女性監督に注目が集まるのも必然です。澤穂希が抜け、低迷しているといわれてしまった「なでしこジャパン」。その後任監督という責任の重さは、私たちには想像できないレベルでしょう。

サッカーの監督は、選手を育てる監督(長期監督タイプ)と、でき上がっている選手を、ベストな状態、ベストなタイミングで起用する志向の監督(短期監督タイプ)とに分かれる気がします。高倉麻子のタイプは、どちらかといえば前者。U-16からU-20まで、若手をずっと育ててきた実績は特筆すべきものです。これからA代表に上がってくる選手には、自分が育ててきた教え子もたくさんいます。選手1人1人の性格やクセ、行動特性、忍耐力など、あらゆる情報が先に入っているので、チーム育成計画をより綿密に立てやすいところは、高倉麻子監督ならではのこと。下の年代、若手の選手たちを知っている監督は強いに違いありません。

高倉麻子が、女子サッカー現役選手だったころ、世間では、女子サッカーなどほとんど認識されていませんでした。しかし高倉麻子は、当初から、「国内リーグのレベルではなく、世界に通じるレベルに引き上げたい」と、世界を目指していたそうです。当時は、選手1人の思いだけではどうにもならない現実もあったことでしょう。

しかし、スタッフなど、周りにいる人たちが海外進出に向けて道を切り開いてくれたことで、自分の成長もあったと語る高倉麻子。決して恵まれていたわけではない環境を、自らの手で切り開いてきた高倉麻子には、技術面だけではない強さが備わっています。すぐに結果がついてこなければ、叩かれることもあるでしょう。しかし、新生なでしこの優勝は、全国民が待ち望んでいます。高倉麻子には、重圧に負けず、自分の方針を貫いていってほしいです。

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