村山聖は羽生善治が恐れた天才将棋棋士!対戦成績は?

2020年5月15日 更新

村山聖は羽生善治が恐れた天才将棋棋士!対戦成績は?

村山聖は羽生善治が恐れた天才将棋棋士!難病を患うも異例のスピードでプロ入り!

村山聖は、日本が誇る将棋棋士の一人。17歳という若さにしてプロ入りを果たし、数々のタイトルを独占してきた名人・羽生善治に並ぶ実力を誇る「羽生世代」の一人で、将棋界に激震を与えた天才将棋棋士です。
村山聖は、「ネフローゼ」という腎臓の病気にかかり、小学生時代は、国立療養所原病院に入院していました。入院中に父から将棋を教えてもらって以来、すっかりハマってしまった村山聖は、体調のことも省みず、朝から夜までずっと将棋を指していたそうです。

その後は、小学生将棋名人戦、中学将棋名人戦などの大会に出場し、数々の好成績を収め、プロを目指すようになります。そして、奨励会に入会し、わずか2年と11カ月でプロ入りを果たしました。村山聖がいかに天才棋士であるかがうかがえるエピソードです。プロ入り後もガンガン勝ち進んでいき、周りからは「東の羽生、西の村山」と称されるように。羽生善治との対戦では、常にどちらが勝ってもおかしくないくらいのせめぎ合いで、白熱した勝負が繰り広げられました。村山聖は、羽生善治が恐れた天才将棋棋士といって間違いありません。

村山聖の対戦成績は?体調不良にも関わらず多くの勝ち星を上げてきた!

村山聖は、17歳でプロ入りを果たし、羽生善治、佐藤康光、森内俊之らと並び称されるほどの実力の持ち主でした。そんな村山聖の対戦成績はどれほどだったのでしょうか?

村山聖の対戦成績は、356勝201敗(うち不戦敗12)。村山聖は持病のため、熱を出すことが頻繁にありました。この体調不良により、不戦敗やミスも多くあったため、対戦成績は、羽生善治らと比べると、少々遅れをとっていた感は否めません。しかし、逆をいうと、体調不良であったにも関わらず、これほどの勝ち星を上げてこられたのは、村山聖の才能と情熱の成せるわざといえるでしょう。

プロ入りを果たした当初の段数は四段。その後、順位戦で順調に勝利を収め、2~3年というスパンで昇級。1995年には見事A級に昇級し、八段へと昇段しました。タイトル戦は、1992年に王将に挑戦しましたが、残念ながら敗退。しかし、若獅子戦や、早指し将棋選手権での優勝経験を持ち、その他にも将棋大賞として、敢闘賞や特別賞を受賞するなど、素晴らしい成績を収めてきた村山聖。その実力から、「病気がなければ、さらなる好成績を収めていたのではないか」と考えてしまう人も多くいるようです。

村山聖を描いた漫画作品とは?あの小池重明を中1の時に破っていた!

村山聖を描いた漫画作品とは?29歳までの激動の人生を描いた名作!

村山聖は、将棋の世界に魅了され、難病を患いながらも、多くの棋士たちと激戦を繰り広げてきました。そんな村山聖の人生を描いた漫画作品が存在するのはご存じでしょうか?

体調不良で苦しみながらも、将棋を指し続けた村山聖の壮絶な人生を描いた漫画作品とは、「聖 -天才・羽生が恐れた男」。山本おさむが作画を務め、なんと村山聖の師匠である森信雄七段が監修を務めた漫画作品です。「聖 -天才・羽生が恐れた男」は、1巻~9巻まであり、村山聖や森信雄をはじめとする実在の人物と、架空の人物が登場するフィクション漫画。フィクションを交えての物語構成にはなっていますが、子供の頃から患っていたネフローゼや膀胱がんについて、そして、29歳という若さで亡くなってしまったことなど、村山聖の生涯をほぼ忠実に描いた作品といえるでしょう。

村山聖が登場する作品は実は他にも。漫画「月下の棋士」の村森聖、漫画「3月のライオン」の二階堂晴信は、いずれも村山聖をモデルとして描かれています。このように漫画の登場人物として取り上げられることが多い村山聖。世間から、村山聖を偲ぶ声がたくさん聞こえてくるようです。

村山聖はあの小池重明を中1の時に破っていた!失いかけた自信を取り戻すきっかけに!

村山聖は天才将棋棋士と誉れ高い存在ですが、プロ入りする前に、挫折しかけたことがあります。小学生時代、中国地方では敵なしと言われるほど強かった村山聖。しかしその後、上京し、中学将棋名人戦に参加しましたが、ベスト8で敗退。全国を相手にしてのベスト8は大健闘といえますが、それまで敵なしといわれてきた村山聖にとっては悔しいこと以外の何物でもありませんでした。将棋で見出した自信が、将棋によって打ちのめされてしまったのです。

帰りの新幹線まで時間ができた村山聖は、西日暮里将棋センターで将棋を指すことに。大会で負けた自分を振り切るかのように、どんどん対戦して勝ちまくりました。村山聖の相手になる人がいなくなった時、現れたのは、小池重明。アマ最強と呼ばれており、その実力は、プロ棋士をも圧倒するほどの人物です。席主から話を聞いた小池重明は、村山聖と一局指すことにしました。

長い激闘の末、勝利を収めたのは村山聖。アマ最強を破ったという事実と、小池重明からの「ぼく、強いんだなあ」と優しい笑顔でかけられた言葉により、村山聖は自信を取り戻し、その後、プロを目指すようになったのです。

村山聖の故郷で天才棋士が夢見た名人戦!生き様を描いた「聖(さとし)の青春」秋公開!

村山聖は、ネフローゼという難病を患うも、多くの対戦の場で、その天賦の才を発揮してきました。異例のスピードでプロ入りを果たした後、体調不良がたびたびあったにも関わらず、天に昇る龍のごとき勢いで頭角を現した村山聖。名棋士・羽生善治と互角の棋力で、世間からは、「東の羽生、西の村山」と期待されました。そんなとき、もともと病身で、他人より生きられる時間が少ないといわれていた村山聖ですが、さらなる病魔が襲います。

1996年に膀胱がんが発覚し、故郷・広島の病院に入院。腎臓の一部と膀胱を摘出するという大手術が行われました。そんな大手術を受けた直後、村山聖はすぐに棋戦に復帰。がんの存在を忘れさせてしまうほど、活躍する姿を世間に見せつけました。しかし、1998年、がんの再発・転移が発覚した村山聖は、1年間休場することを発表。その後、村山聖は再び広島の病院に入院しましたが、1998年8月8日、まだ29歳という若さでこの世を去りました。

村山聖が死去してから今年で18年。現在、急逝の29歳が夢見た名人戦が行われている最中です。この名人戦には、村山聖と縁のある棋士たちが多く集まっており、広島で対局が行われた際は、皆、かの天才棋士に思いを馳せたようです。村山聖の師匠である森信雄は、ただの師弟という関係ではなく、洗濯や入浴などを森信雄が世話をするという、まるで家族のような間柄だったそうです。部屋で一人、病気と闘い続ける村山聖の姿はまさに「静」の一言に尽きると語る森信雄。

しかし、対戦の際には、ためた力を一気に出すような、情熱と勢いのある戦いを見せていたそうです。名人・羽生善治は「将棋への情熱を持ち続けたまま、棋士人生を全うした人だった」と語っています。どんなに体調が悪くても、そんなことは相手に微塵も感じさせず、力強い将棋を指し続けた村山聖の生き様は、森信雄や羽生善治をはじめ、多くの棋士たちの心に残っていることがうかがえます。

2016年秋には、夭折した天才棋士・村山聖の激動の人生を描いたノンフィクション映画「聖(さとし)の青春」が公開されます。本作で、村山聖を演じるのは松山ケンイチ。松山ケンイチは「村山聖という人間に興味を持ち、好きになって、全身全霊で演技をします」とコメントしました。難病のために残された時間が少なく、その限られた時間の中で将棋にすべてを捧げてきた村山聖。その生き様は、自分のことを真剣に考え、日々を懸命に生きることの大切さを物語っているのではないでしょうか。

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