リンカーン大統領はアメリカの偉大なる解放者!あの名言を解説
リンカーン大統領はアメリカの偉大なる解放者!奴隷解放宣言という功績
リンカーンは、第16代アメリカ合衆国大統領です。多大な功績から、偉大な大統領の1人として知られています。素晴らしい演説も、その名文は、今でも子供たちの暗唱教材に用いられることがあるそうです。
偉人の1人にも数えられるエイブラハム・リンカーンが生まれたのは、1809年のアメリカ合衆国ケンタッキー州。弁護士からイリノイ州議員となり、上院議員となった後、1861年に、第16代アメリカ合衆国大統領の座に就きました。当時のアメリカは、南北で争い、黒人の差別も激しい時代でした。そうした中、リンカーン大統領は、アメリカ合衆国南部で特に問題となっていた奴隷を解放し、南北戦争という国家の分裂を収束に向かわせました。
リンカーン大統領のあの名言を解説!たった3分の歴史的名演説の内容
リンカーン大統領の名演説として知られる「ゲティスバーグ演説」は、1863年7月、ゲティスバーグ戦場墓地で行われました。中でも、「人民の、人民による、人民のための政治」という文言はあまりにも有名です。歴史上よく知られるこの演説は、いったい何を語っていたのでしょうか。
リンカーン大統領は、演説のはじめに、アメリカ大陸へ移住してきたアメリカ人の先祖について触れながら、アメリカ合衆国が、自由と平等の理念のもとに誕生したことを述べます。続けて、アメリカ合衆国が、南北戦争という試練を乗り越えて「新しい自由を生み出す」ためには、「人民の、人民による、人民のための政治」が必要であることを聴衆に力強く訴えました。
リンカーン大統領の「ゲティスバーグ演説」は、たった272語、わずか3分間程度の短い演説です。しかし、その内容は、国民が自分たち国民のために政治を行うという民主主義の根本を訴える、アメリカの歴史になくてはならないものとなりました。
リンカーン大統領の最期!暗殺事件の真相とは?
リンカーン大統領の最期!至近距離1.2mからの凶弾
リンカーン大統領は、当選当初から、奴隷制に反対していました。結果として、彼の当選がアメリカを南北戦争に向かわせることになりますが、最終的には、南部の奴隷解放を掲げた北軍を勝利へと導きます。こうして、アメリカ合衆国史上最も偉大な大統領の1人に数えられるようになったリンカーン大統領。
しかし、その死は、決して平和なものではありませんでした。1864年8月、リンカーン大統領は、別荘からホワイトハウスへ出勤するところで狙撃されます。銃弾は帽子を貫通するにとどまりましたが、明らかに暗殺を狙ったものでした。1865年4月には、フォード劇場で喜劇を観劇中に、再び狙撃されます。撃ったのは、北軍であるメリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブース。
1.2mという至近距離から、左耳の後ろ5cmのところを1発撃たれたリンカーン大統領は、ピーターセンハウスに運び込まれますが、1865年4月15日の午前7時22分、その最期が告げられました。リンカーン大統領の遺体は、教会の鐘が鳴り響く中、国旗に包まれてホワイトハウスまで運ばれ、北部の各都市を回って、イリノイ州のスプリングフィールドに埋葬されています。こうしてリンカーンは、「アメリカで暗殺された最初の大統領」となりました。
リンカーン大統領暗殺事件の真相とは?首謀者ブースのその後は?
リンカーン大統領は、ブースの凶弾に倒れましたが、もともとは暗殺ではなく、誘拐計画が立てられていたそうです。犯人は、リンカーン大統領を南部へ連れ去り、捕虜収容所に捕られている南軍捕虜の解放を突きつけるつもりだったと言います。
しかし、誘拐実行を企てた1865年3月17日、リンカーン大統領が犯人の予想とは違う行動をとったため、誘拐計画は頓挫。そこから一気に暗殺へと向かったのは、南北戦争終結の兆しが見えはじめていたことや、リンカーンが行った黒人の参政権を認めたいとする演説が引き金でした。リンカーン大統領の暗殺後、ブースは、かくまわれていた農園で射殺され、他の共謀者のうち4人が絞首刑、3人が終身刑、1人が懲役6年となっています。
リンカーン大統領のしくじりをオリラジ中田敦彦が紹介!悪妻を得て地獄の結婚生活?
リンカーン大統領の激動の生涯には、大小さまざまな成功と失敗がありました。そんなリンカーン大統領を取り上げられたのが、4月16日に放送された「しくじり先生 俺みたいになるな!!2時間スペシャル」です。オリエンタルラジオの中田敦彦が、リンカーン大統領のしくじりを紹介しました。
それによると、リンカーン大統領が人生でしくじったとされるのは、妻メアリーとの関係でした。メアリーの尻に敷かれていたというリンカーン大統領。メアリーと結婚したのは1842年ですが、結婚式の準備中に、どこへ行こうとしているのかを問われたリンカーン大統領は、「地獄へだと思う」と答えています。
実は、リンカーン大統領の妻メアリーは「悪妻」で有名な女性で、浪費癖やヒステリー、今でいうDVなどもあったようです。激昂して夫に当たり散らすこともしばしばで、物理的な暴力も、言葉による暴力もあったと伝えられています。その一方で、メアリーは、夫に寄ってくるさまざまな人物を見分ける目を持っていたそうです。
人はなかなか一面のみで語ることはできませんし、どこに視点を据えるかで見方も変わってきます。妻メアリーの存在が、あのリンカーン大統領をつくったと言うこともできるでしょうし、彼女の存在が、結婚生活を地獄にしたと表現することもできるでしょう。これは、なにもリンカーン大統領に限ったことではなく、自分と身近な人たちの関係性もまた、見方によってはそうなるのかもしれません。その中で自分が何をなせるかという視点で、あらためてリンカーン大統領の生き方を辿ってみるのも面白そうです。