アラン・ドロンの若い頃の美貌がハンパない!恋多き人生と家庭的な不幸

アラン・ドロンの若い頃の美貌がハンパない代表作!日本人気のワケは?

アラン・ドロンが魅せた現代男性のエレガンス

1960年代から1970年代にかけて、外国人俳優の中で、美男子の代表として人気を誇ったのが、フランスの男優アラン・ドロンです。

1970年代には、日本のファッションブランド「ダーバン」のCMキャラクターとして、テレビCMに出演。「D’urban, c’est l’elegance de l’homme moderne.」という決め台詞は、一世を風靡しました。しかし、当時ほとんどの日本人は、「ダーバン」から後ろに続く言葉、「セ・レレガンス・ドゥ・ロム・モデルヌ」の正しい発音や意味など、誰も知りませんでした。

ちなみに日本語のコピーは、「ダーバン、大人の心」。アラン・ドロンによる決め台詞を直訳すると、「現代男性のエレガンス」といったところでしょうか。アロン・ドロンは、1935年生まれ。2017年5月に、81歳で俳優業から引退することを発表し話題になりました。

アラン・ドロンは「太陽がいっぱい」で世界的大スターに!日本での大人気と本国での意外な評価

アラン・ドロンの世界的な出世作は、なんといっても、1960年公開されたルネ・クレマン監督「太陽がいっぱい」でしょう。そして1963年に公開された「地下室のメロディー」で、名優ジャン・ギャバンと共演し、その人気を不動のものとします。その後も「冒険者たち」では、リノ・ヴァンチュラ。「さらば友よ」では、チャールズ・ブロンソン。そして「ボルサリーノ」では、ジャン・ポール・ベルモントと、アロン・ドロンとは全く対照的な骨太で男臭い俳優との共演作がヒットしました。

しかしそれらの映画はどれも、共演者のほうが評価されるばかり。フランス本国では、どちらかというと、ただの垢抜けない二枚目といった感じで、同世代のジャン・ポール・ベルモントのほうが、はるかに人気があったようです。日本では、アラン・ドロンの演技より、いかにも白人の男性らしい端正な容貌ばかりが注目されて、女性たちの間で大人気となり、アラン・ドロンと言えば、男前の代名詞のように言われるようになりました。もしかしたら、アラン・ドロンは、フランスの杉様(杉良太郎)といった存在だったのかもしれません。

アラン・ドロンに波乱万丈の生い立ち!結婚した妻や子供は?

アラン・ドロン青少年期の悲惨な生い立ち

アロン・ドロンは、幼い頃に両親が離婚。母は再婚しますが、新たに生まれた娘ばかりが溺愛され、アラン・ドロンは厄介者扱いでした。やがて彼は非行に走り、少年院、さらには刑務所に入ったこともあるようです。身の置き場を失ったアラン・ドロンは、志願して第一次インドシナ戦争へ従軍。除隊後は、アメリカやメキシコをあてもなく放浪し、フランスへ戻った翌年の1957年、映画祭で沸くカンヌの町を歩いていた時にスカウトされました。

この時、アラン・ドロンは22歳。こうしてアロン・ドロンは、映画俳優という人生を歩み始めることになります。初期の作品には、アロン・ドロンの青年期そのものである、孤独や挫折、そして野望と、女性に対する屈折した愛憎そのままが演じられていたといっても過言ではありません。

だからこそ、その残酷なまでの美貌とナイーブさが、多くの女性たちの心をつかんだのでしょう。人気を得てからというもの、金と権力に固執するようになったとも言われるアロン・ドロンですが、そのワケは恵まれなかった生い立ちにあるのかもしれません。

アラン・ドロンの恋多き人生と家庭的な不幸

アロン・ドロンは、1959年、「恋ひとすじに」で共演したロミー・シュナイダーと同棲し婚約しますが、1963年に婚約を破棄。女優のナタリー・ドロンと結婚し、息子のアンソニー・ドロンが生まれます。しかし、女優を続けたいという彼女と対立し、1966年に離婚しました。その後は、女優のミレーユ・ダルクと長く愛人関係にありましたが、1987年、オランダ人モデルのアラン・ファビアンと出会い、未婚のまま2子をもうけます。

しかし、2002年には別れました。また、ドイツ人のモデル・歌手のニコとの間にも、男の子が1人います。こうしてみると、アロン・ドロンは恋多き人生のようですが、幼児期の母親に対するトラウマを引きずったままなのか、良き家庭を築くことはできなかったようです。

アラン・ドロンの引退・俳優生活60周年を期して映画祭を開催

引退を表明したアラン・ドロンですが、その人気はいまだ衰えることがありません。2017年は、アラン・ドロンの俳優生活60年を迎える節目でもあります。そこで、7月1~14日まで、東京・渋谷のBunkamuraル・シネマで、「アラン・ドロンに魅せられて」が開催されることになりました。「冒険者たち」や「山猫」などはもちろん、「地下室のメロディー」や「太陽が知っている」「スワンの恋」など、近年は、スクリーンで上映されることのなかった貴重な作品群が、2週間限定で上映されます。

期間中は、1959年に、パリでアラン・ドロン本人にインタビューしたことがある映画評論家・秦早穂子のトークイベントも行われる予定です。思えば、1960年代は、新しい映画の動き、ヌーヴェルヴァーグの黄金期であり、発祥の地フランスは、日本人にとって憧れの国でした。アラン・ドロンは、ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」や、ロベール・アンリコの「冒険者たち」など、そのフランスを代表する映画スターと言えます。

映画界はその後、ハリウッド映画が世界を席巻し、日本でフランス映画が見られることも少なくなっていきました。しかし映画を離れ、日本で美男子の代名詞となったアロン・ドロンは、今も日本人の記憶に残る、外国人映画俳優の1人といっても過言ではないでしょう。

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