BOOWYの解散理由に諸説アリ!高橋まことが真相を語った!?

BOOWYの解散理由に諸説アリ!高橋まことが真相を語った!?

BOOWYの解散は氷室京介と布袋寅泰の不仲が原因だった?言い出しっぺはどっち?

BOOWYは、1980年代の日本音楽業界に変革をもたらした伝説のバンドです。今日のロックシーンを作り上げたと言っても過言ではないBOOWYが、突然の解散宣言を行ったのは、人気絶頂だった1987年12月24日のこと。翌年4月の東京ドーム公演「LAST GIGS」で、活動に終止符を打っています。

解散理由については、ギャラのトラブル、それぞれのソロ活動のためなど諸説ありますが、結成当初から囁かれていた、ボーカル氷室京介と、ギター布袋寅泰の不仲も、その一端であろうと考えられていました。しかし、誰がどのような経緯で解散話を持ち出したかは不明のまま。

その疑問に答えるかのように、2006年に出版された布袋寅泰の著書「秘密」には、メンバーの不和に触れると共に、「俺が最後に悪役を買って出た」と記されていました。しかも布袋寅泰には、どうしてもバンドを解散させなければならない事情があったといいます。BOOWYの解散は布袋寅泰が主導した、そんなふうに解釈できる内容です。

BOOWYのカリスマらしからぬ解散理由を高橋まことが暴露した!?

BOOWYの解散理由について、氷室京介は、「メンバー4人でできる音楽を、全て実現してしまったため」と語っています。アルバム「BEAT EMOTION」が、当時のロックバンドとしては異例のミリオンセラー、初登場1位を記録した1986年から、解散に向けて具体的な話が進められていたという噂もありました。

それを言い出したのは布袋寅泰だとも言われており、たしかに、”どうしても解散させなければならない理由”との整合性も。不仲というよりも、音楽の方向性が問題で解散したというならば、伝説のロックバンドに相応しい幕引きといえそうです。しかし、ドラムの高橋まことが、後に音楽雑誌で語った解散理由は、あまりにも拍子抜けしまうようなものでした。

当時の布袋寅泰は、妻で、シンガーソングライターの山下久美子のバックバンドを務めていました。そのバックバンドに、高橋まことと、ベース松井常松を勧誘したことを知った氷室京介が、”来月解散”を言い出したのだとか。これが、布袋寅泰の言う”買って出た悪役”だったとしたら、いささか期待外れな気がしてしまいます。

BOOWY伝説の名曲ランキング!アメトークBOOWY芸人も熱かった!

BOOWY伝説の名曲ランキング!押さえておきたいTOP3はコレだ!

BOOWYの活動期間はわずか6年だったにもかかわらず、その8ビートのタテノリロックサウンドは、強烈なインパクトがありました。ミドルエイジのコピーバンドやカラオケなどで、今もなお歌い継がれる伝説の名曲といえば、まず思い浮かぶのは、イントロのギターリフが何ともカッコイイ「BAD FEELING」です。布袋寅泰の攻撃的な刻みには、ギターのカッティングなど珍しくなくなった今でも、痺れさせられます。

続いて、「CLOUDY HEART」は、偉大なボーカリスト・氷室京介の実体験から生まれた失恋ソングです。クリアなギターの音色に始まり、次第に胸が締め付けられていくようなボーカルラインは、繊細そのもの。「わがままジュリエット」「季節が君だけを変える」以上に、歌を聴かせる名曲と言っても過言ではありません。

BOOWYといえば「ONLY YOU」「B.BLUE」などもカラオケの定番ソングとなっていますが、ロックファン以外から最も高く支持されているのは、やはり「Marionette-マリオネット-」でしょう。ギター初心者が、必ず真似したくなるキャッチーなイントロも有名ですが、実際に練習すれば、ミュート、ハンマリング、グリッサンドといった必須テクニックが身に付く有りがたい曲でもあります。

BOOWYの影響力!「アメトーク」布袋柄のセットに埋もれたBOOWY芸人が羨ましすぎる!

BOOWYへの憧れから、ロックバンドを始めた人は星の数ほどいますが、芸能界には、ミュージシャン以外にも、BOOWYへ魂を捧げた男たちがいました。2007年放送の「アメトーク」”BOOWY芸人”の回では、品川祐、カンニング竹山、バナナマン設楽、アンジャッシュ渡部、原口あきまさ、はなわといった、BOOWYが好き過ぎる芸人たちが大集合。

ベーシストでもあるはなわ以外の全員が、かつての氷室京介を意識した、スタイルで登場し、BOOWYのインディーズ時代や、オフの言動、趣味趣向といったコアな情報や、レアグッズの自慢など、熱い討論が繰り広げました。

そんなネタは、同世代のBOOWY信者たちには、耳新しい話ではありませんでしたが、スタジオセットと小道具が、布袋寅泰のギターと同じ、白黒の幾何学模様で統一されていたことには悶絶したようです。あの模様に埋もれたい……と願ってしまうほど、BOOWYの影響力は強大だったのでしょう。

BOOWYは実力で登りつめた伝説のスーパースター!再結成は叶わない夢か?

BOOWYが登場する前、日本人が知るロックといえば、1960年代から続いたビートルズでした。洋楽のものと思われていたロックを、BOOWYは、日本独自のビートロックに書き換えたのです。ネットが普及していなかったにもかかわらず、インディーズ時代から、ファンが録音したカセットテープが出回り、「凄いバンドがいる!」と、全国に名が知れ渡るようになったBOOWY。

彼らの音楽もさることながら、逆立てたヘアスタイルや、悪ぶったメイクなどの奇抜なファッションは、1990年代に流行したV系バンドにも多大な影響を与えました。現在の日本ロックの大半は、BOOWYなくしては生まれなかったかもしれないと考えると、その偉大さは計り知れません。

2016年12月14日放送の「FNS歌謡祭2016・第2夜」では、BOOWY芸人ならぬ、BOOWYをリスペクトするミュージシャンや俳優らが、コピーセッションを行いました。ボーカルには西川貴教、綾小路翔、DAIGO。ギターはGLAYのHISASHIと山本耕史、ベースはL’Arc~enCielのTETSUYAと、第一線で活躍するアーティストばかり。BOOWYの音楽を追い、今の場所に立つ彼らにとって、その日、元BOOWYのドラム高橋まこととのセッションが叶ったことは、一生の宝となったはずです。

解散から29年近くが経過した今でも、BOOWYの再結成を熱望する声が多く聞かれます。しかし、2016年4月には、耳の不調を理由に、氷室京介がライブ活動を引退したことで、BOOWY復活は完全なる幻となってしまいました。そのラストライブを見て、涙を流したという布袋寅泰。「俺はヒムロックが好きだ。嫌いなヤツの横でギターを弾けるわけがない」と、過去の不仲説も否定しています。

音楽的に尊敬する者同士が真剣にぶつかり合ったからこそ、BOOWYは鮮烈だったのであり、また摩擦を生じる結果ともなったのでしょう。それを聞くにつけ、ステージで共闘する氷室京介と布袋寅泰の姿を、せめてもう一度だけでも……と願わずにはいられません。

関連記事

ページ上部へ戻る