長州力はオリンピックにも出場していた!引退前に出版された「さらば、長州力」は名言だらけ!
長州力は若い頃オリンピックにも出場していた!その実力は?
入場テーマソング「パワーホール」が流れると、会場に嵐のような大長州コールを巻き起こすプロレスラーの長州力。怒りの感情と闘志剥き出しの喧嘩ファイトに心が揺さぶられたファンは皆、長州力の一挙一動に酔いしれます。
長州力が新日本プロレスに入団した頃、若手レスラーは、プロレスの神様カール・ゴッチに指導を受けていました。その中で、「ゴッチ道場の優等生」と呼ばれるほど優秀だったのが長州力です。その下地は、やはりオリンピック出場の実力でしょう。
長州力は、1951年12月3日に山口県で生まれます。本名は吉田光雄で、高校・大学の7年間はレスリング漬けの日々を送りました。大学2年の時には、全日本学生選手権グレコローマン90㎏級で優勝し、1972年のミュンヘンオリンピックに出場。フリースタイル90㎏級で1勝2敗の成績でした。
長州力は、戦いの場が全日本プロレスのリングに変わっても、常に実戦的なスパーリングをしていたと言います。相手は、東京オリンピック出場のマサ斎藤と、モントリオールオリンピック出場の谷津嘉章。こうして、ハイレベルなアマレスのスパーリングで汗を流し、技を磨いていきました。
テレビの特番で異国の地を旅した時に、元オリンピック選手の実力を発揮したこともあります。その地で毎年開催されているアマレスの大会に、長州力が飛び入り参加すると、トーナメント優勝者を約15秒でフォール。前年覇者の最強戦士と対戦しましたが、これまた約17秒でフォール!やはりオリンピック出場の実力は桁違いです。
長州力の名言は「キレちゃいないよ」だけじゃない!引退前に出版したエッセイ「さらば、長州力」に満載
長州力は、「新日本プロレスが本当に危なくなったら戻って来る」という名言を残して、1998年1月4日の東京ドームで引退試合を行い、リングを去りました。その引退前に出版したエッセイが「さらば、長州力」です。
他にも、「俺の心の叫びを聞いてくれ!!」や「長州力の一人一殺」など数多くのエッセイを出版している長州力。「さらば、長州力」の内容は、「アマからプロへ」や「プロデュー戦」「決意、藤波との抗争」「新日本プロレス離脱」など、名場面とともに多くの名言が収録されています。
長州力は「長州語録」と呼ばれるほど色々な名言を残していることでも有名です。正確にいうと、普通の言葉でも、長州力が語ると名言になってしまいます。それがカリスマというものでしょう。
たとえば、「またぐな!」も、長州力の有名な名言です。リングサイドで練習している時、大仁田厚が挑戦状を携えて突如やって来ました。
フェンスをまたごうとした大仁田厚に対して、長州力が「またぐな!」と怒鳴ります。「いいか、またぐな、絶対またぐな」という長州力の殺気に満ちた目と気迫に押されて、大仁田厚はフェンスをまたぐことができませんでした。
他にも、「何がしたいんだ!紙面飾ってこらあ!」「小川、これがお前のやり方か?」「俺をキレさせたら大したもんですよ」「キレちゃいないよ」。あるいは、「藤波にも天龍にもアントニオ猪木にも負けないプロ意識を持ってますよ」など、長州力の名言は数え切れません。
長州力と嫁の復縁には娘たちの努力があった!ブログには貴重なショットが盛りだくさん
長州力は嫁と離婚するも、娘が取り持ってブログで復縁を発表!
長州力は、1987年5月に、12歳年下の一般女性と結婚しました。結婚披露宴では、師匠のアントニオ猪木や心の師・マサ斎藤が祝辞を述べています。しかし、2015年に離婚。理由は明らかにしなかった長州力には、週刊誌に離婚原因を誤報されて否定するなど、心痛の時期もありました。
そんな長州力には3人の娘がいます。長女は、離婚後も長州力と嫁の両方に会いに行き、相手の近況を報告するなどして復縁することを願っていました。娘たちが両親の再会をセッティングした時には、「もう一度家族5人で歩んで行こう」と泣ける言葉をかけたと言います。そして離婚から約2年……長州力夫妻には復縁の兆しが見え始めました。
その後も、娘たちによる復縁に向けた努力が続く中、2018年1月5日付けのブログで、長州力は「家内とぶらり散歩」というタイトルで記事を書きます。ブログにアップされたのは嫁と仲良くお酒を飲んでいる写真で、「家内」という言葉通り、長州力は復縁。まさに娘たちのお陰と言え、「子ができてると親がダメ」というのが彼の率直な思いのようです。
長州力のブログが面白い!現在も更新中
長州力は、結構こまめにブログを更新しています。女子レスリングの騒動や大雪の話などの最新のニュースにも触れますが、やはりプロレスの話題が多いようです。ブログでは、盟友・天龍源一郎の話や、道場で練習している話などを気軽に綴っています。
長州力のブログには多くの写真もアップされていて、新日本プロレスのエース棚橋弘至と、かつての盟友・小林邦昭、長州力の新旧スターの3ショットなど、貴重な記事も盛りだくさん。最近は棚橋弘至が怪我続きなので、本気で心配しているとも綴っています。
新日本プロレスについてもよく登場する話題の1つです。怪我する選手が多いことと、怪我しても休めないプロレスラーのきつい状況を危惧し、後輩思いの一面を覗かせる長州力。「昔のプロレスは良かった」ということを一切口にしない長州力からは、生涯現役の姿勢をひしひしと感じます。
長州力の「噛ませ犬事件」から35年!昭和の革命戦士は今なおリングに立ち続ける
長州力がブレイクするきっかけとなったのは、1982年10月8日、東京・後楽園ホールで起こった「噛ませ犬事件」でした。この時に開催されたのは、アントニオ猪木、藤波辰爾、長州力vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、バット・ニュース・アレン、スペシャル・デリバリー・ジョーンズの6人タッグマッチ。
この日は、試合中から様子がおかしかった長州力。味方の藤波辰巳にいきなり顔面ビンタを炸裂させるや、試合そっちのけで張り手合戦を始めます。試合は、藤波辰巳が回転エビ固めでS.D.ジョーンズをフォールしましたが、その直後に長州力が藤波辰巳を急襲。ボディスラムで叩きつけ、キック連打で場外に転落させました。
長州力の怒りの原因が分からない後楽園ホールのファンは大激怒し、長州力にブーイングを浴びせます。この試合こそが、日本マット界を揺るがした「噛ませ犬事件」です。後日、「俺は噛ませ犬ではない」と発言した長州力に続き、古舘伊知郎アナが、「藤波よ、俺はお前の噛ませ犬ではない」というセリフを繰り返したことから「噛ませ犬事件」と名付けられました。
そんな「噛ませ犬事件」から35年。昭和の革命戦士・長州力のネームバリューとインパクトは衰えを知らず、66歳になる現在もリングの上に立ち続けています。
2018年1月14日も、後楽園ホールで自主興行を開催した長州力は、伊伏幸太と伊橋剛太とタッグを組んで、因縁の藤波辰爾組に快勝しました。続く2月16日も8人タッグマッチに出場。今度は、藤波辰爾、武藤敬司、獣神サンダーライガーとの夢のタッグを実現させています。
バラエティ番組にも頻繁に出演し、ソフトバンクのCMにも出るなど、芸能活動も続けている長州力。しかしもちろん、常に道場で練習してベストコンディションを保ち、いつでもリングに上がれるように肉体を鍛える日々は変わりません。長州力の3大必殺技である、ひねりを加えたバックドロップ、リキラリアット、サソリ固めをいつまでも見ていたいものです。