ダンディ坂野 結婚相手、家族は?出身はどこ?
ダンディ坂野の気になる結婚相手と家族
「ゲッツ!」のギャグと黄色いスーツ、蝶ネクタイがトレードマークのダンディ坂野。1967年1月16日生まれのAB型です。
体型はブレイクしていた当時からほとんど変わらず、体重は57㎏前後をキープ。ダンディ坂野の結婚相手は13歳も年下の一般人で、一発屋として2003年にピークを迎えた人気が落ち着き始めた2004年の8月に結婚しています。「なつこ」という名前で、結婚当初は夫婦でテレビに出演したという噂もあります。交際のきっかけはブレイク前にダンディ坂野がマクドナルドでバイトをしていた頃、新人で入ってきたなつこさんに一目ぼれしたこと。ダンディ坂野の家族は妻と、2009年7月に生まれた長女と、2014年2月に生まれた長男の4人家族です。47歳の時に長男が誕生とはスゴイですね。
ダンディ坂野の出身地は今話題の北陸
今話題の、北陸は石川県加賀市出身のダンディ坂野。最初はアイドルスターになりたくて高校卒業後に上京を夢見ていましたが、資金の関係でその夢は叶えることができず、地元で26歳まで働いていました。その後、年齢的な問題もありアイドル路線はあきらめ、一転お笑いの道へ。ご存じの通りの一発屋として売れてからも、お盆には妻を連れて地元へ里帰りするごく普通な家庭人としての様子などをブログに綴っています。ブログでは、ダンディ坂野の出身地である石川県のB級グルメのお店なども紹介しています。観光ガイドとしてもぜひチェックを!
ダンディ坂野 ギャラ、年収は?ネタ作りは人任せ?
ダンディ坂野のすご~いギャラや年収
一発屋としての印象が強く、ダンディ坂野の現在を心配している方もいらっしゃるかもしれませんが、心配は無用!それこそが実はダンディ坂野の戦略なのです。「一発屋キャラ」として、ブレイク10年後の2012年にもCM契約件数は8本あり、お笑い芸人としては最高本数を記録しています。昨年2014年にも生命保険のCMで桐谷美玲と共演を果たしており、民放のバラエティ番組に出演していなくても、収入は十分。ちなみにCM一本のダンディ坂野のギャラは300万円以上と言われています。地方への営業で需要もあり、現在でもダンディ坂野の年収は2000万円以上あるとか。全盛期のダンディ坂野の年収は5000万円あったそうですが、現在の2000万円でも十分にすごい金額です。
ダンディ坂野のネタ作りの秘密
「ゲッツ!」というフレーズで大ブレイクしたダンディ坂野。代表作ができてしまうとブームが去ったときに「一発屋」というレッテルを貼られます。しかしダンディ坂野はあえて一発屋のポジションにとどまるためだけに、ゲッツに続く新しいネタ作りはしていません。その結果、10年後も同じフレーズでCMや営業で活躍できるという新しいタイプの一発屋となったダンディ坂野。新しいネタ作らないの?と人に言われても余計なお世話だよ、と返す、人任せにしないというか、ネタを作らないという、逆の発想からなるネタ作り戦略が現在までの成功につながっているようです。
ダンディ坂野が思う一発屋とは
認知度と人気が急上昇した当時のダンディ坂野は、朝の3時に起きて深夜の1時に帰宅するような生活。そんな毎日の連続に、売れた喜びより「このままじゃ体が持たない」という気持ちのほうが強かったといいます。続いて波田陽区やレイザーラモンHGがブレイクしても「お、次が出てきたぞ」と客観視していたほど。実に冷静なそのスタンス!売れた喜びや、ブームが去る焦りという感情が、ダンディ坂野にはそれほどなかったのですね。ブームが終わってテレビでの露出が一気に減っても、それは東京キー局に限ってのお話。今は地方局やCS、BSなどテレビ局も多数あり、地方でのお笑いイベントや営業に呼ばれるなど「一発当たれば、どこかでなんとかやっていける」時代です。これからも「黄色いスーツを着た「ゲッツ!」というおじさん」で頑張りたいというダンディ坂野。「自分以外の一発屋」はみな、時代に合うギャグやネタをきちんと作り上げ、たとえ一年でも世間を盛り上げた人たちなのだから、今後も応援してあげてほしいという謙虚な姿勢もかなり好印象です。「現状維持」をモットーに初代・一発屋であるダンディ坂野は、これからも黄色いスーツを身にまとい、末永く存在し続けるでしょう。