デヴィ夫人の若さの秘訣は「イッテQ」での過酷なロケ!?ライバルはイモトアヤコ!?
デヴィ夫人の若さの秘訣は「イッテQ」での過酷なロケ!?まだまだやりたいことがたくさんある!
バラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」に出演するなど、タレント活動も順調なデヴィ夫人は、スカルノ元インドネシア大統領の第三夫人で、インドネシア名の本名は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ。元大統領夫人の経歴にふさわしく、セレブな生活を送り、国内外に華麗な人脈を持っていることでも知られています。
80代突入も間近、後期高齢者と言われるお年頃ですが、「イッテQ!」では、芸人の出川哲朗と探検隊のコンビを組んで、毎回過酷なロケに挑むなど、体を張って活躍中です。バイタリティたっぷりなデヴィ夫人は、年齢など一切感じさせません。不眠不休で番組ロケを行うこともあると言いますが、高所恐怖症なのにスカイダイビングに挑戦するなど、その内容は、実際かなりハード。
なぜそこまでチャレンジできるのかと聞くと、「あなたには無理」とか「できないだろう」などと言われると、反対に「絶対にやり切ってみせる」という闘志が湧いてくるからだとか。その負けん気の強さとチャレンジ精神が、若さを保つ秘訣なのでしょう。まだやりたいことがたくさんあるというデヴィ夫人が次に挑戦するのはどのような企画なのか、これからも目が離せません。
デヴィ夫人のライバルはイモトアヤコ!?珍獣ハンターも狙っている?
デヴィ夫人と同じように「イッテQ!」で体を張っている女性タレントと言えば、珍獣ハンターでおなじみのイモトアヤコです。デヴィ夫人は、そんなイモトアヤコのことを芸能界のライバルだと思っていると言います。以前出演したバラエティ番組でも、「珍獣ハンターのコーナーは、自分のほうが合っている」「ぜひ任せて欲しい」と自信たっぷりに語っていたデヴィ夫人。イモトアヤコが、2011年に、一面が氷のロシアのバイカル湖にダイブしたことがありましたが、このロケについても、「自分が適役だったはずだ」と言っています。
デヴィ夫人が挑戦したいこと・挑戦したくないことは?戦友・出川哲朗との本当の仲は?
デヴィ夫人の挑戦したいことがすごすぎる!!挑戦したくないことは?
デヴィ夫人は、常日頃から、「いろいろなことに挑戦する意欲を失わずにいたい」と語ってします。曰く「挑戦する気持ちがなくなったときが年を取ったということだ」。この言葉を聞く限り、デヴィ夫人には、挑戦したいことはたくさんあっても、したくないことはないのかもしれません。
「イッテQ!」では、「デヴィ夫人の死ぬまでにやりたい10のこと」企画がありましたが、中には、空中ブランコや、背負ったジェット機械の噴射で宙に飛ぶジェットパックなどなど。その気持ちは本物のようで、2017年3月に番組が10周年を迎えた時には、「これからもいろいろなことにチャレンジして番組を盛り上げていきたい」と力強くコメントしています。
デヴィ夫人と戦友・出川哲朗との本当の仲は?
デヴィ夫人と出川哲朗……セレブ芸能人とお笑い芸人とは何やらミスマッチな感じがしますが、2人は本当に仲がいいようです。どんなことでも一生懸命にチャレンジするデヴィ夫人は、どれだけ無謀な企画であっても期待に応えようとして頑張る出川哲朗を、「仕事ができる男」だと賞賛。「与えられた仕事を2人で全うし、視聴者にも楽しんでもらいたい」と語ったこともありました。
時には、共演者に辛辣なコメントをするデヴィ夫人ですが、それにはきちんと理由があります。それは、人を傷つけたり、礼節をわきまえない人に、自身の意見をキッパリ言っているだけ。その点、出川哲朗は、人を貶めたりするような発言もしないし、そもそも礼儀正しいということで、その人柄をかなり信頼しているようです。
デヴィ夫人の波瀾万丈人生!あのアラン・ドロンと恋に落ちたこともある?!
スカルノ元インドネシア大統領第三夫人のデヴィ夫人は、エキゾチックな風貌ではありますが、根本七保子という日本名を持つ、東京生まれの生粋の日本人です。舞台女優に憧れて、15歳の時には、エキストラ女優として東宝映画に出演したこともあります。もちろん、生まれながらにセレブだったわけではありません。戦後は、夜間学校に通いながら、昼も夜も働いて、家計を支えていました。
そんなデヴィ夫人は、高級クラブで働いていたときに、来日していたインドネシアのスカルノ大統領に見初められ、愛人の1人としてインドネシアに渡ります。そして、1962年、22歳の時に正式に結婚。第三夫人となりました。しかし、その3年後に、スカルノ大統領が、軍事クーデターで失脚したことから、フランスに亡命したデヴィ夫人。凡人には想像もつかないくらい波瀾万丈な日々を過ごしていたことでしょう。
フランスに亡命したデヴィ夫人は、なんと、美男子の代名詞とまで言われた大スター俳優のアラン・ドロンと恋に落ちたそうです。驚きの秘話が本人によって明かされたのは、2017年5月14日に放送されたフジテレビ系「ワイドナショー」でした。デヴィ夫人がアラン・ドロンと初めて会ったのは、東京オリンピックが開催された1964年のこと。スカルノ大統領と一緒に東京の帝国ホテルに滞在していましたが、ホテルから外出する時も戻ってきた時もアラン・ドロンの姿があったので、デヴィ夫人目当てではないかとスカルノ大統領が嫉妬したと言います。
亡命先のフランスでアラン・ドロンと再会したデヴィ夫人は、「デヴィ」「アラン」と呼び合う仲になり、キスも交わしたとか。俳優引退を発表したかつての恋人アラン・ドロンについて、デヴィ夫人は「もう一度会ってみたい」と語りました。波乱万丈かつ華麗なる人生を歩んできたデヴィ夫人。その気高さと強さは、すべて、これまでの人生が作り上げてきたものなのでしょう。