遠藤周作「沈黙」あらすじネタバレ!ハリウッド映画化の期待度は?
遠藤周作の代表作「沈黙」がハリウッド映画化!日本人キャストも出演!
遠藤周作といえば、日本におけるキリスト教文学の第一人者。そして、遠藤周作の代表作といえば、キリシタンの棄教を描いた「沈黙」です。1966年に発表された名作「沈黙」が、50年の時を超えて、ハリウッドで映画化され、ついに今年2016年秋に公開されます。
監督は、巨匠・マーティン・スコセッシ。キャストも豪華で、リーアム・ニーソン、アンドリュー・ガーフィールドを主演に迎え、日本人俳優の浅野忠信や窪塚洋介も、主要な役どころを演じます。映画「沈黙」の撮影はすでに終わり、あとは公開を待つばかり。遠藤周作の原作「沈黙」は、世界的な評価も高いため、映画への期待度も高く、カトリックである巨匠がメガホンをとったことも、その期待を後押ししています。
遠藤周作の代表作にしてキリスト教文学の傑作「沈黙」あらすじネタバレ!
遠藤周作の代表作にして、キリスト教文学の傑作「沈黙」。気になるあらすじをご紹介します。舞台は、キリスト教が禁止された江戸初期の日本。高名な神学者であるフェレイラが、日本において、キリシタン弾圧に屈して棄教したという報せを受け、フェレイラの弟子であるロドリゴが、真相を確かめるため日本へ。隠れキリシタンのキチジローの手引きで日本に潜入し、布教活動を始めます。
しかし、キチジローの裏切りにあい、投獄されてしまうロドリゴ。自身の信仰を守るため、殉教することを考えますが、かつての師・フェレイラにより、自分が棄教しない限り、他の信徒たちが拷問され続けるという残酷な事実を告げられます。ネタバレすると、ロドリゴも踏み絵を踏んで、棄教する道を選択するのですが、そこに真の神の教えがあるという、崇高な作品のテーマが隠されています。
遠藤周作おすすめ作品!「イエスの生涯」「深い河」などキリスト教文学だけではなかった!
遠藤周作おすすめ作品!「イエスの生涯」、「深い河」宇多田ヒカルも愛読!
遠藤周作の代表作といわれる作品は、「沈黙」だけではありません。遠藤周作がさまざまな文献をひもとき、日本人作家の観点からイエス・キリストの生涯を描いた「イエスの生涯」。この作品は、1人の人間としてのイエスの苦悩を描くことで、キリスト教という枠を超えて、普遍的なものを描きだすことに成功しています。
また、1995年に、秋吉久美子主演で映画化もされ、ファンも多い「深い河」。インドへのパッケージツアーに参加した男女が、それぞれに抱えた人生の苦しみと救済が描かれます。宇多田ヒカルはこの小説「深い河」のファンで、3枚目のアルバム「DEEP RIVER」は、この小説に着想を得たそうです。
遠藤周作はキリスト教文学だけじゃない!狐狸庵山人の爆笑ぐうたらエッセイ
遠藤周作が描いたキリスト教文学というと、信仰というものに疎い人間にとっては、少々敷居が高い感じがします。しかし、作家・遠藤周作の魅力はそれだけではありません。「狐狸庵山人」というキャラクターで筆をとった、ユーモアあふれるエッセイも多数発表しています。「ぐうたら」をテーマに、肩の力の抜けた筆致で描かれるエッセイは、思わずくすっと笑ってしまうものばかり。
「ぐうたら人生入門」「ぐうたら人間学 狐狸庵閑話」といったエッセイ本には、秀吉の夫婦喧嘩を仲裁する信長の話や、「人生ケチに徹すべし」、「正義漢面をするな」なといった笑える人生指南も書かれており、楽しく読めます。
遠藤周作のデビュー前の短編がよみがえる!没後20年たっても愛される理由
遠藤周作は、1996年に、73歳で亡くなり、今年で没後20年となります。没後20年というタイミングで、代表作の「沈黙」が映画化されるということで、遠藤周作ファンにとっては、記念すべき年になるでしょう。
2016年6月には、遠藤周作のデビュー前に、伊達龍一郎というペンネームで発表した短編が発見され、書籍「『沈黙』をめぐる短篇集」に収録され、再び世に送り出されました。タイトルは、「アフリカの体臭―魔窟にいたコリンヌ・リュシェール」。フランス留学のために渡航する主人公が、かつての人気女優がアフリカで売春婦をしているという噂をたしかめようとするというあらすじで、1954年に「オール読物」の8月号に掲載されていたそうです。
遠藤周作は、作家の北杜夫との対談の際に、「『オール読物』に伊達龍之介とかなんとかいう変名で、読みものを何回か載せてる」と語っていたことから「発見」されたこの短編。文体やテーマも、後の遠藤周作の作品に通じるものがあり、遠藤周作の筆であることはたしかで、没後20年にして、新たに作品が読めるというのは、なかなかないことでしょうから、ファンには嬉しい出来事でしょう。
没後20年たってもなお、多くの人を惹きつけ続ける作家・遠藤周作。その遠藤周作が、生涯追い続けたのが、キリスト教という大きなテーマです。遠藤周作とキリスト教の出会いは、幼少時代にさかのぼります。
遠藤周作は1923年に、銀行員の遠藤常久と、東京音楽学校ヴァイオリン科に在籍していた郁との間に次男として生まれます。父は大変厳しく、優秀だった長男・正介と常に比較される日々に、遠藤周作は、劣等生として多大なコンプレックスを抱くようになりました。
しかし、10歳の時、両親が離婚。母・郁とともに、叔母(郁の姉)の家で同居することになった遠藤周作は、叔母の影響で、カトリックの教会に通うようになります。そして、1935年に、西宮市にあるカトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で、母と兄とともに洗礼を受けるのです。遠藤周作のキリスト教文学への道の始まりでした。
遠藤周作の文学を支えるものとして、キリスト教という大きなテーマの他に、みじめなもの、弱いものへの温かな視線があります。それらは、幼少期の両親の離婚や、己の人生で味わった挫折、たび重なる病苦によって身につけていったものかもしれません。
遠藤周作は、1939年から1941年にかけて、いくつもの旧制高校や大学予科を受験しますが、ほとんど不合格。身近な存在である兄の正介は、順調に東京帝国大学法学部に入学していただけに、つらい挫折だったことでしょう。同時期に、肺病を患ってもいる遠藤周作。そして、この肺病は、遠藤周作を人生の節目節目で襲い、彼を苦しめます。たとえば、カトリック文学への研究を深めるためのフランスへの留学時代には、肺結核を起こし、帰国を余儀なくされているのです。
帰国後は、講師を務めながら、批評家として活動し、1955年には、「白い人」で芥川賞を受賞した遠藤周作。1957年には、九州大学生体解剖事件から題をとった「海と毒薬」を発表し、小説家としての地位を確固たるものに。「海と毒薬」は、新潮社文学賞、毎日出版文化賞を受賞しています。
しかし、遠藤周作が小説家としてこれからという1960年、肺結核が再発しました。3度にわたる手術の末、一時は生命も危ぶまれる状態にまで陥りますが、奇跡的な回復を見せ、1962年にやっと退院するに至ります。
こうした肺病をはじめ、さまざまな病苦におそわれた遠藤周作は、若いお手伝いさんの死を間近で体験したことをきっかけに、「心あたたかな医療」運動を展開。一患者の立場で経験し、見てきた日本の医療現場に対し、遠藤周作は、「病気にかかった人間は、肉体だけではなく、心にも痛手を負っている。傷は、体と心の両方にある。医療職・医療関係者は患者の心理を専門的に勉強して欲しい」という想いを抱いたといいます。遠藤周作は、作家活動のかたわらで、「心あたたかな医療」運動を、ライフワークとして取り組んでいきました。遠藤周作の没後も、「心あたたかな医療」運動は続き、日本の医療現場に根付きはじめています。
エッセイでも垣間見せる、権力や独善的な態度をばっさりと斬り、弱い人間へは温かいまなざしを向ける遠藤周作のこのような姿勢は、小説家としてだけでなく、一個人としてもっていた特性だったのでしょう。遠藤周作が長く愛される作家である理由の一端を見るようです。