浜田省吾の結婚馴れ初めがカッコイイ!素顔の謎は解き明かされた?

浜田省吾の結婚馴れ初めがカッコイイ!素顔の謎は解き明かされた?

2022年8月3日 更新

浜田省吾の結婚馴れ初めがカッコイイ!素顔の謎は解き明かされた?

浜田省吾シャイで真面目な男のサングラスと相合傘の彼女

浜田省吾は、さまざまなヒット曲でも知られるシンガーソングライターです。特徴的なのは、デビュー以来、外したことのないサングラス。これといって特長のない穏やかな顔立ちにインパクトをつけるためだけでなく、愚直でシャイな浜田省吾の性格を表してもいるようです。

浜田省吾の恋愛結婚も、真面目そのもの。彼がまだ20歳だった頃、駅で傘がなくて困っている現夫人に、「入りませんか?」と傘をさしかけ、家まで送っていったことが知り合うきっかけだったそうです。1978年、浜田省吾が25歳の時に、相合傘をした彼女と結婚。以来、彼女一筋。浜田省吾を支えてきた糟糠の妻ですが、残念だったのは、子供を授かることができなかったことです。

浜田省吾はニューミュージックの先駆けにして孤高のロックシンガー

浜田省吾は、1952年生まれで、もう63歳になります。1970年代も半ばを過ぎて、地方から都会に出てきた学生や勤労青年たちが、ラジオでふと聞いたこの曲に、どれだけ胸を締めつけられ、涙を流したことでしょうか。それがハマショーこと、浜田省吾のデビュー曲「路地裏の少年」です。

浜田省吾は、同郷である吉田拓郎のバックバンド「AIDO」を経て、1976年に、アルバム「生まれたところを遠く離れて」発売と同時に、シングル「路地裏の少年」でソロデビューしています。ニューミュージックのアーティストとしては比較的早いデビューでした。後の浜田省吾を決定づける印象深い曲でしたが、メジャーヒットにはつながらなかった「路地裏の少年」。ようやく人気が出たのは、1979年、日清カップヌードルCMのタイアップ曲「風を感じて」以後のことです。

浜田省吾は、他のアーティストたちが、テレビに当たり前のように出演するようになってからも、テレビには出ず、ライブを中心に活動するアーティストとして、独自のスタイルを築いてきました。その愚直なまでに音楽に対する生真面目な姿勢を貫いたまま、現在に至ります。

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浜田省吾のアルバムに刻まれたロッカーとして歩み

浜田省吾は、広島出身です。高校生の頃から広島フォーク村に参加し、初期の強いメッセージ性を持った吉田拓郎の楽曲を目の前で聞いて、多大な影響を受けました。他の多くのニューミュージックのアーティストが、J-POPとして大衆化し、埋没していった1980年代。浜田省吾は、身辺に起るさまざまな事象から、日本という社会に対する批判、そして世界へと通じる強いメッセージを、アルバム制作を通じて、表現していくようになります。

浜田省吾は、1970年代の自分の音楽は、まだ確立されていなかったと否定的ですが、デビュー曲と同時に発売された「生まれたところを遠く離れて」は、やはり、浜田省吾の原点。原石としての輝きにあふれたアルバムではなかったでしょうか。すでに、他の歌手たちへの楽曲提供により、メロディメーカーとして認められていた浜田省吾は、1980年、6枚目のアルバム「Home Bound」で、本格的なロックを確立します。

そして、ライブの王者としての浜田省吾を世に知らしめたのが、1982年の武道館ライブアルバム「ON THE ROAD」です。1986年に発売された2枚組アルバム「J.BOY」は、ソロデビュー10年目で、初のオリコン・アルバムチャート第1位に輝き、浜田省吾は、名実ともにトップアーティストに登りつめました。

浜田省吾の一般にはほとんど知られていないファンが選んだヒット曲とは

浜田省吾は、今では日本を代表するロッカーです。しかし、一般の人に知られている楽曲は、1992年、フジテレビのドラマ「愛と言う名のもとに」のタイトル曲として使用された、1981年の楽曲「悲しみは雪のように」ただ1曲といってもいいかもしれません。ファンの間で人気とされている曲には、聞けばこの曲と分かる珠玉のバラード「もうひとつの土曜日」や、POPなラブソング「ラストショー」。

また、故郷である地元を歌ったロック色の強い「J.BOY」や「マイホームタウン」、そしてスケール感の大きな「家路」などがあります。少し変わったところでは、浜田省吾の歌う「アヴェ・マリア」も、一聴の価値があるでしょう。とはいっても、オールドボーイたちにとっては、若かったあの日、ラジオから流れてきた「路地裏の少年」の、衝撃と感傷にまさる曲は他にありません。

浜田省吾が40周年記念全国アリーナツアー開始。その原点は「ON THE ROAD」

浜田省吾が、またツアーに出ました。2016年のツアーは、ソロデビュー40周年目の記念ツアー「ON THE ROAD 2016 “Journey of a songwriter ” since 1976」。9月13日の長野・ビッグハットを手始めに、12月24日まで、全国10カ所のアリーナ会場で、22公演を行い、20万人以上の動員が予定されています。

ツアーは、最新アルバム「Journey of a songwriter~旅するソングライター」収録曲の「光の糸」や「旅するソングライター」をはじめ、ソロデビュー曲「路地裏の少年」やヒット曲「J.BOY」など、新旧の楽曲を織り交ぜた構成で、幅広いファン層の期待に応えています。

浜田省吾のツアーには、かならず「ON THE ROAD」というタイトルがついています。彼の原点は、永い下積み時代に、数十人、数百人単位で行ってきたライブ活動です。自分より後からデビューした同郷の世良公則や原田慎二が、テレビ番組「ベストテン」などに出演し、何万、何十万のセールスを記録する中、浜田省吾は、ライブにきてくれた1人1人のファンを支えとしていました。

浜田省吾は後に、「ライブはカウンターカルチャーだと思う。テレビからこぼれ落ちた大切なものを僕たちは丁寧にすくって、大切に育ててきた」と、インタビューで述べています。また、自らを「ソングライター」と称している浜田省吾。これは、「ミュージシャンといえるほど楽器もうまくないし、シンガーといえるほど歌もうまくない」という自己評価からだそうです。この愚直さ、この一途さ。これこそ、浜田省吾が、孤高のロッカーと賞される所以ではないでしょうか。

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