花田虎上の子供は総勢6人!再婚相手から逆プロポーズされ結婚!
花田虎上の前妻・花田美恵子との出会いと離婚の原因は?
第66第横綱・若乃花である花田虎上(はなだまさる)は、1971年1月20日生まれ、東京都出身で、タレント、アメリカンフットボール選手、実業家と多彩な顔を持っています。身長は180センチで、相撲界の中では小兵力士と呼ばれる小さい体ながら、優勝5回を誇る横綱でした。同時代には、小錦や曙、武蔵丸など超重量級力士がいて、まさに体重無差別級の中で闘っていたことを考えると、優勝5回は素晴らしい功績と言えます。
タレントとしてもクイズ番組やバラエティに引っ張りだこの花田虎上には、いつも柔和な笑顔の「お兄ちゃん」というイメージがあります。しかし、現役時代から現在に至るまで、家庭不和という葛藤が続いているのも事実です。
花田虎上は、大関昇進後の1994年6月に、客室乗務員の栗尾美恵子と結婚しました。2人の出会いは、花田美恵子が客室乗務員として勤務していた頃に行われたステイ先の飲み会。花田虎上と結婚してからは、花田美恵子もテレビ出演する頻度が増え、タレントとして活動することになっていきました。
しかし、花田虎上と花田美恵子は、2002年頃からの約5年の別居生活を経て、2007年に離婚しています。離婚の原因については、夫の花田虎上の浮気という話と、妻・花田美恵子の不倫という話と両方あるだけに、真相は夫婦しか分かりません。1男3女が生まれ、4人の子宝に恵まれましたが、親権を持っているのは前妻の花田美恵子で、離婚後は子供4人とハワイへ行きました。離婚後も、子供のために学校行事に参加していた花田虎上ですが、前妻と子供4人がハワイに行ってしまってからは、会うことも簡単ではないようです。
花田虎上が再婚した嫁とは?子供は総勢6人!
花田虎上は、花田美恵子と離婚した後、知人の紹介で、9歳年下の女性と交際を始めます。花田虎上曰く「国仲涼子似の美人」で、元幼稚園教諭のフードコーディネーターだとか。何と、彼女のほうから「守ってあげる」と逆プロポーズがあり、2008年12月12日に再婚しました。
花田虎上が再婚して約1年が経った2010年1月に長女が誕生し、2014年には次女が誕生しています。これにより、花田虎上の子供は、前妻との間に生まれた4人の子供と、再婚した嫁との間に生まれた2人の子供を合わせて、6人になりました。
花田虎上の嫁の倉実(くみ)は、再婚当初は一切表に顔を出しませんでしたが、最近は家族でテレビに出演する機会も増え、花田虎上のブログにも画像がアップされており、綺麗な嫁です。前妻の花田美恵子も美人ですから、巷では、花田虎上は「面食い?」と囁かれています。
花田虎上と弟・貴乃花は現在も絶縁状態?母・藤田紀子の愛情は空回り?
花田虎上と弟・貴乃花は現在も絶縁状態?不仲の原因は兄弟同士の優勝決定戦?
花田虎上と弟の貴乃花親方は、「若貴兄弟」として共に相撲界を盛り上げた立役者同士でありながら、長く不仲が続いています。花田虎上は、表立って弟の貴乃花親方のことを悪くは言いません。バラエティ番組で、トップ騎手・武豊の弟の武幸四郎に、MCの浜田雅功が「兄貴を超えたいという気概はないの?」と聞き、「ないです」と即答したところ、花田虎上が「スポーツ界は次男が強いんですよ」と答えたことも。嫌いであれば口にも出したくと思いますが、花田虎上は常に冷静です。
花田虎上と貴乃花親方の不仲は、好き嫌いという浅いものではないようです。大相撲の裏事情も絡んでいるという人もいれば、兄弟が不仲になったのは、兄弟同士の優勝決定戦からという人もいます。1995年の九州場所では、史上初の兄弟での優勝決定戦が行われました。
若乃花と貴乃花が12勝3敗同士の対決で、どちらを応援して良いか分からないファンは興奮状態に。若乃花が寄ると、強靭な足腰で知られるはずの貴乃花が崩れ落ちて負けました。決まり手は下手投げとされましたが、若乃花はほとんど投げたという感じもないのに、貴乃花があっさり崩れ落ちて敗北を喫することに。
「八百長は死んでもやらない」と断言する若乃花と、優勝決定戦前にある人から「分かってるだろうな」と言われたとワイドショーで口を滑らせた貴乃花。このことから、若乃花は本気だったものの、わざと負けてくれたことを知らされていない「片ヤオ」だったという疑惑は、現在も消えていません。
兄とは違い、弟の貴乃花親方は、ワイドショーなどで不仲のことを聞かれると、包み隠さず花田虎上のことを批判します。もちろんそれには、性格の違いもあるでしょう。しかしある時、知人でもあるタレントから「お互いに謝ったら元通りになるのでは」と言われた花田虎上が、「俺が何で謝らなきゃいけないんだ!」と激高するなど、根はかなり深いようです。
花田虎上は母・藤田紀子とも不仲?改名した理由は?
花田虎上の再婚後、母親の藤田紀子と嫁の倉実は、家族旅行にも一緒に出掛けるなど良好な関係でした。しかし、相撲界が揺れた2018年5月の日馬富士の暴行問題がきっかけで、母親の藤田紀子とも不仲になります。
日馬富士の暴行問題には、貴乃花親方が絡んでいたため、藤田紀子のテレビ出演が一気に増えました。フジテレビの「バイキング」やテレビ朝日の「ワイドスクランブル」など、ワイドショーに頻繁に呼ばれるようになった藤田紀子は、日馬富士の暴行問題を語ります。しかし、息子の貴乃花親方を全面的に庇う藤田紀子のコメントには、多くの人が疑問を持ちました。花田虎上も、ひたすら貴乃花親方を庇ってしまう母・藤田紀子のコメントに、内心穏やかではなかったと言います。
貴乃花親方の母親だからこそ、中立の立場で話してほしいと感じた花田虎上。しかし母は、貴乃花親方のことを庇うだけではなく、白鵬や日馬富士や相撲協会のことを強く批判するように。花田虎上にとって、日本相撲協会には大恩がありますから、母の発言は容認できるものでは無かったでしょう。母親として、子供を無条件に信じるからこその発言とは思いますが、その愛情は空回りしているようにも感じます。
花田虎上は、2011年4月9日に、花田勝から花田虎上に改名しました。「虎上」と書いて「まさる」とはなかなか読めませんが、改名するようにアドバイスをしたのは、風水建築デザイナーの直居由美里です。力士の場合は、「若ノ花」から「若乃花」のように四股名をよく変えますが、「花田虎上」は画数も良いとのことなので、このまま花田虎上で行くのではないでしょうか。
花田虎上が父の壮絶な闘病生活を語った
花田虎上は、2018年5月30日に、「今日は父の命日です。夕食の時に献杯しました」と、偉大な父、二子山親方(元大関の初代貴ノ花)のことを語っています。2005年5月30日に、口腔底癌で帰らぬ人となった二子山親方は、まだ55歳の早過ぎる旅立ちでした。
2003年頃から始まった闘病生活で、モルヒネなどの鎮痛剤で痛みを軽減しながら、壮絶な治療を続けていた二子山親方。花田虎上の印象に残っているのは、晩年ほとんど食べることができなくなった父が、車椅子に乗って病院内にあるレストランのショーケースを眺めていた姿とか。
二子山親方は、初代貴ノ花と名乗っていた現役時代に「角界のプリンス」と呼ばれた大人気の大関でした。今なお相撲ファンの間で語り継がれているのは、1975年春場所の千秋楽です。昭和の大横綱・北の湖との優勝決定戦で、初代貴ノ花が見事に北の湖を寄り切りで破り、悲願の初優勝を飾りました。
同年秋場所も、北の湖を上手投げで破り、2度目の優勝を果たします。この頃、まだ幼い子供だった若貴兄弟も、よくテレビに映っていました。将来は力士になるだろうと言われていた若貴兄弟でしたが、実際に揃って横綱まで上り詰めたのは偉業といえます。
日本テレビの「超問クイズ」にゲスト出演した花田虎上に大相撲の問題が出題され、千代の富士対貴花田の一戦が映像で流れると、笑顔から真顔に変わりました。貴乃花が横綱昇進の時に語った口上にまつわるクイズで、劇団ひとりから「分かりますか?」と聞かれた花田虎上は「かわいい弟ですから、分かりますよ」と笑顔で答えたから皆大笑い。ちなみに、答えは「不惜身命」です。
この日の「超問クイズ」では、花田虎上がキングに輝いたことから、「八百長じゃないよね」とブラックジョークを飛ばしたのは有吉弘行。どんな際どい話題もさらりと受け止める花田虎上は、タレントとしても成功しています。「かわいい弟」とアドリブが出る様子を見ても、タレントとしての柔軟性と適応力があり、トークも巧みですから、今後もオファーは続くでしょう。飾らない人柄の花田虎上は、弟の貴乃花親方とは違う道を歩んでいます。