原田芳雄は最期まで最高の俳優だった!病気を隠し続けた妻と息子
原田芳雄は70年代という時代を体現した俳優であり映画人だった
原田芳雄は、安保闘争や学生運動が、まるで嘘のように終焉していった1970年代初め、生き場を失った若者たちの激しい怒りや喪失感を、その異形ともいうべき強い存在感で体現した俳優です。原田芳雄が出演した映画の多くが、映画産業の斜陽から、苦肉の策で制作された低予算映画であり、また、独立系の制作会社によるものでした。
それらの作品を担ったのは、若い俳優や、スタッフ、大手映画会社に反旗を翻した根っからの映画人たち。原田芳雄は、1970年代の日本映画のシンボルのような存在であり、出演した映画や役者としての評価以上に、映画人1人1人を連帯させる、まさに坂本竜馬のようなトリックスター的存在であったのかもしれません。
やがて、原田芳雄の仲間であった俳優や制作者たちも、1970年代以降の新しい時代の中で、それぞれが映画やテレビに進出し、自らがメジャーな存在となっていきます。しかし原田芳雄だけは、晩年に至るまで、時代や社会に背を向けたアウトローや異人としてのイメージを失うことは決してありませんでした。
原田芳雄が自らの死を賭けて挑んだ遺作ドラマ「火の魚」と映画「大鹿村騒動記」
原田芳雄は、誰よりも肉体を鍛えていたといわれますが、病魔に勝つことはできませんでした。2008年に体調不良を訴えて入院した時は、すでに大腸がんの末期との診断が。告知を受けた原田芳雄の妻と、ミュージシャンの息子・原田喧太は、本人には知らせませんでした。
しかし原田芳雄は、自分の死を、鋭い感性で感じ取っていたいようです。少しの静養の後、現場に復帰した原田芳雄は、2009年には、NHKドラマ「火の魚」で、自らの死をオーバーラップさせる老作家を熱演。さらに、自身がプロデュースした映画「大鹿村騒動記」を、多くの仲間の俳優、スタッフたちの協力によって撮り終え、死の8日前には映画の舞台挨拶に出るという、渾身の役者魂を見せました。そして2011年7月19日、原田芳雄は、まだ71歳の若さで、その生涯を閉じます。
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原田芳雄は閏年生まれ!4年ごとに開かれていた伝説のライブが復活!
原田芳雄は、演じるだけでなく、歌を歌うことも大好きで、閏年の誕生日のたびにライブを行っていました。そんな原田芳雄を偲び、息子でギタリストの原田喧太と、娘で女優の原田麻由が呼びかけて、東京の赤坂BLITZで開催されたのが、閏年の誕生日トリビュートライブ「風来去~そろそろ芳雄の唄が聞きたい~」です。
それは、2016年2月29日、原田芳雄19回目となるライブ。原田芳雄の歌は、決してうまいとはいえませんでしたが、彼が歌う「横浜ホンキートンクブルース」や「プカプカ」などは、これぞブルースという男臭い渋み味にあふれていました。ライブでは、親交のあった宇崎竜童、佐藤浩市、江口洋介、瑛太らが、それぞれの歌声を披露。最後は、原田芳雄が生前歌った「愛の讃歌」の映像が流れて、集まった700人の観客たちの大きな歓声と涙を誘いました。
原田芳雄中年期の映画「鬼火」はB級映画にして70年代の男の孤独と哀愁が切なかった
原田芳雄の中年期の映画には、1970年代の若者が、アウトローとなって社会から孤立しながらも、自らの生き様を変えることなく生きる、男の孤独と悲哀を描いた作品が目立ちました。たとえば、望月六郎監督の「鬼火」は、「悲しきヒットマン」3部作最後の作品。前2作で、三浦友和や石橋凌が、中年俳優としての新境地を開いた中、原田芳雄の出演は、まさに真打登場といった感がありました。
心優しきヒットマンが、一度は足を洗うものの、再び殺人に手を染めなければいけなくなる顛末を描いた本作。しかし、映画の公開は1997年。バブルもはじけ、ヤクザ社会自体が閉塞する中、原田芳雄演ずるヒットマン自体のリアリティもなくなっていて、作品に、時代に風穴を開けるようなパワーはありませんでした。
原田芳雄「われに撃つ用意あり」は鬼才若松孝二による1970年代のオマージュだったか?!
原田芳雄には、バブル崩壊で世の中がささくれ立っていた1990年に制作された、鬼才・若松孝二監督による「われに撃つ用意あり」という作品もあります。「鬼火」の主人公のように、最初からやくざのヒットマンといったアウトローではない原田芳雄演じる主人公は、70年代の全共闘闘士がドロップアウトし、これも70年代を象徴する街、新宿歌舞伎町で、バーを営んでいます。
女性ライターの桃井かおり(彼女もまた1970年代映画のマドンナでした)を筆頭に、いい年になった昔の仲間たちと鬱屈した日々を送る中、やくざに追われる中国人女性を助けたことから、ストーリーは急展開。彼女を追う犯罪組織と全面抗争となり、仲間を撃たれた原田芳雄は、「俺たちに明日はない」のペアよろしく、桃井かおりとともに派手な銃撃戦を演じて、奪われた女性を奪還するというB級アクション映画です。
よく言えば、北方謙三や大沢在昌のようなハードボイルドですが、見ようによっては、1970年代のカルト映画「野良猫ロック」シリーズのオマージュのようなハチャメチャな映画でした。原田芳雄の作品は、映画のストーリーや内容よりも、彼そのものの圧倒的存在感、ライオンの鬣のような髪、鋼のような肉体、吐き出すようなしゃべり方、獣のようにしなやかで暴力的な立ち居振る舞いが、画面からあふれ出てきそうでした。
原田芳雄以降の若手俳優は、原田芳雄の一挙手一投足を真似たものです。中でも、もっとも原田芳雄を尊敬し、敵愾心を燃やしたのが、今や伝説の松田優作でした。松田優作は夭折し、原田芳雄も亡き今、彼らの系統を継ぐ男性俳優は、残念なことにいまだ現れていないようです。