長谷川滋利は知性的プレースタイルで活躍した元メジャーリーガー!ゴルフの腕前も一流だった

長谷川滋利の成績や年俸推移は?球速や球種は?

長谷川滋利のメジャー通算517登板は日本人で抜群の成績!日本人初の金銭トレードも経験!

日米両球界で活躍し、知性的なプレースタイルで活躍した元メジャーリーガーの長谷川滋利(はせがわしげとし)。場面に応じてモーションを使い分け、クイック等に秀でたクレバーなピッチングが持ち味のピッチャーでした。日本通算成績は、142試合登板で、57勝45敗4セーブ、防御率3.33。一方、メジャー通算成績は、517試合登板で、45勝43敗33セーブ61ホールド、防御率3.70を記録しています。

この517試合という数字は、メジャーでプレーした日本人ピッチャー中でも群を抜く登板数です。東洋大姫路高校在学中は、春夏合わせて3回甲子園出場した長谷川滋利。立命館大学に進学すると、関西学生野球連盟で5度最優秀投手に輝き、通算40勝の成績を挙げました。1990年ドラフトで、オリックス・ブルーウェーブから1位指名を受けた長谷川滋利は、年俸840万円でプロ入り。

かつての大エース山田久志の背番号「17」を与えられ、即戦力として大きな期待を寄せられていました。ルーキーイヤーの1991年に12勝で新人王に選出された後、4度の2桁勝利で、日本では年俸1億2000万円にまで上り詰めています。その後、1997年1月に、日本人史上初の金銭トレードで、年俸57万ドルでアナハイム・エンゼルスに移籍します。以後、メジャーでは主としてリリーフとして登板し、2002年1月には、シアトル・マリナーズと1年200万ドルで契約。最後は2年契約630万ドルの年俸でプレーしています。

2005年オフにFA権を取得し、日米数球団が獲得に動いたものの、「マウンド上でのモチベーション維持が難しくなった」ため、2006年1月に引退を表明しました。評論家活動を経て、2016年11月からは、オリックスのシニアアドバイザーとして、外国人選手の獲得などの助言に関わっています。

長谷川滋利の球速はウェイトトレーニングでアップ!多彩な球種とのコンビネーションにも効果?

長谷川滋利は、いわゆるスーパースターではありませんでしたが、努力と高い知性で自分のポジションを築いた稀有な存在です。日本でプレーしていたころは先発の要として活躍していたものの、次第に、試合中盤までにスタミナ切れで連打を浴びるケースが顕著になっていきました。そのため、成績もだんだん尻すぼみに陥ります。

メジャーでは、とうとう先発失格の烙印を押され、リリーフへの転向を言い渡されましたが、リリーバーに活路を見出したことこそが彼の真骨頂です。メジャー入りして試すようになったウェイトトレーニングが功を奏し、球速も、日本時代と比べて10km近くアップすることに成功。スライダーやツーシーム、外角低めへのチェンジアップやシンカーといった多彩な球種を操り、面白いように内野ゴロの山を築くという頭脳的なピッチングで結果を残すようになります。

これは、ウェイトトレーニングで球速が伸びたことにより、多彩な球種とのコンビネーションが存分に生かされるようになった結果と言えます。また、リリーフならば、先発のようにペース配分を考える必要もない点もプラスに働いたに違いありません。この事例が日本でも紹介され、「正しいウェイトトレーニングを積めば、年齢を重ねても球速は速くなる」をプロ野球選手に知らしめた功績は、きわめて大きいものでした。

長谷川滋利の英語勉強法とは?イチローとは現在でも仲良し!?

長谷川滋利の英語勉強法はリスニング!楽しみながらの勉強がポイント!

メジャー時代は、通訳も不要なほど英語が堪能だった長谷川滋利。メジャー挑戦前から英語に興味はあったようで、外国人ピッチングコーチに英語で話しかけたりして、可能な限り英語に触れていたそうです。オフシーズンに、カリフォルニアにあるピッチングコーチ宅へホームステイしていた際には、英語が全然聞き取れなかったそう。簡単な日常英語すら聞き取れなかったことは、彼にとって大きなショックでした。

その時に、日本では、コーチが英語を分かりやすく話してくれていたことを悟らされたと言います。この経験により、一念発起した長谷川滋利が勉強法として取り入れたのはリスニングです。教材も色々と吟味したそうですが、一番力を入れて取り組んだ勉強法が、「映画のセリフを字幕で確認し、使えそうなフレーズを覚える」。

「勉強」と構えてかかるのではなく、好きな映画を教材にして気になるフレーズを繰り返し覚える、という気軽なスタンスでした。長谷川滋利曰く、「ある程度の基礎ができてきたら、楽しみながら遊び感覚で英語学習をするといいですね」とのことです。

長谷川滋利とイチローは現在も仲良しか?ほどよい距離感で適度に交流?

イチローとは、日米通じてチームメイトだった長谷川滋利。とはいえ、2人の交友関係にまつわるエピソードはあまり見られないため、話題に上るほど仲が良いのは疑問です。2人のキャラを見ても、双方ともにクールでマイペース。その様子は、どことなく似通っているとも言えます。

お互いにほどよい距離感を保ちつつ、適度に交流していると結論付けるのが妥当なのではないでしょうか。日米を通じて、入団年は、年長者でもある長谷川滋利が先輩です。プロ入りは、長谷川滋利が1991年で、イチローはその1年後。メジャー挑戦は、長谷川滋利が1997年で、イチローが2001年のことでした。2001年4月13日には、長谷川滋利とイチローがメジャーで初対決。イチローに内野安打を喫したものが、1勝目を挙げています。

その後、2002年1月11日にイチローの在籍するシアトル・マリナーズ入りしたことから、再びチームメイトに。ビジネスマンとしての素養も十分と噂されることの多い長谷川滋利ですが、イチローに言わせると、「長谷川さんは、練習中も株やビジネスの話ばかりだった」とのこと。半ばジョークでしょうが、野球よりビジネスに興味があることがうかがえて興味深い話です。そんなジョークが出るということ自体、やはり2人は、ある程度は仲良しなのでしょう。

長谷川滋利がゴルフ全米アマ出場権獲得!球団内には批判の声も?

プロ野球で活躍した名選手たちの中には、玄人はだしのゴルフの腕前を見せる人が少なくありません。長谷川滋利もその1人と言えるでしょう。なんと、2017年で117回目を迎えるゴルフ「全米アマチュア選手権」予選会に出場し、アメリカ・カリフォルニア州での本大会(8月14~20日)への出場権を獲得しています。

アメリカに活動の軸を置き、永住権も取得している彼は、古巣オリックスのシニアアドバイザーを務める傍らで、ゴルフの腕も磨き続ける日々。本大会で優勝を果たせば、来年のメジャー大会「マスターズ」出場も実現性を帯びてきます。予選会では、第1ラウンドでバーディを連取。ダブルボギーを叩いたものの、2アンダーの69にまとめ上げました。

第2ラウンドも2バーディ、2ボギーのイーブンパー71、通算2アンダーを記録し、2位に食い込み、上位3名に与えられる本大会への出場権を獲得しています。メジャーリーグ時代は「シゲ」のニックネームでファンに愛され、2006年1月の現役引退までリリーバーとして活躍。

その一方で、現役時代からゴルフの腕前も「プロ並み」と噂されるほどだった長谷川滋利。実際、2016年2月に、エンゼルスの春季キャンプに臨時コーチとして参加した際は、「ゴルフと野球のマウンドはメンタル面で相通じる」と説いたほどです。ロサンゼルス地区のアマツアーには2015年から参戦し、今シーズンは7戦で4勝という腕前でした。

この「全米アマ」は、1978年に倉本昌弘が8強入りしたものの、2012年に松山英樹が82位で予選落ちを喫するほどハイレベル。そんな権威ある大会に、元プロ野球選手が出場を決めたことには驚きを隠せません。もちろん、オリックスのシニアアドバイザーという立場にもかかわらず、シーズン中に野球以外のことをしていたと批判する声もあるようです。

球団は、「把握はしていませんでしたがすごいですね。球団の業務以外のことは自由ですので」と表向き寛容なコメントを残していますが、オリックスは、現在42勝52敗で勝率5割を切っています。チームがそのような成績では、内外から批判する声が出てくるのも当然でしょう。

とはいえ、長谷川滋利にすれば、「野球は野球、ゴルフはゴルフ」と割り切ったスタンスだと思われます。一説には、「イチロー監督」招聘を見据えて、長谷川滋利が球団ゼネラルマネージャーに就任するという観測もありますが、アメリカに活動拠点を置く彼がオリックスに固執するかどうかは微妙です。どうせやるならば、メジャー球団のマネージメントを手掛けたいというのが彼の本音ではないでしょうか。

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