橋本五郎が地元秋田に「橋本五郎文庫」をオープン!講演会で語る「鳥の目、虫の目」とは?

橋本五郎が地元秋田に「橋本五郎文庫」をオープン!経歴も凄い

橋本五郎が地元秋田に「橋本五郎文庫」をオープン!

橋本五郎(はしもとごろう)は、読売新聞社の特別編集委員です。橋本五郎は、2011年4月に、秋田県三種町みたね鯉川地区交流センター(旧鯉川小学校内)に「橋本五郎文庫」をオープンしました。

過疎化する地域の活性化を常に訴えている橋本五郎が、廃校になった小学校を図書館にしようと2万冊の書籍を贈呈したものです。貸し出しが行われるのは毎週水・土・日で、会議室や体育館もあり、地域を問わず利用することが可能です。「橋本五郎文庫」は、地域の人々の拠り所にもなっています。

戦後の混乱した世相の中で、学生時代に本が読みたくて古本屋を回り、5円や10円の本を買って貪るように読んだ経験を持つ橋本五郎。社会人になってからは、給料の3分の1を本代に当てました。当時は、本を買うと、本の題名や著者名、出版社、購入日をノートに記録していたそうで、この「蔵書目録」は「私の生きた人生の証し」と語っています。

活字の魅力をよく知る橋本五郎によって誕生した「橋本五郎文庫」について、当人は、2万冊もの本を「政治」や「経済」「文学」などとジャンル別に仕分けしてくださった、ボランティアの方々のおかげで完成したとコメント。そんな「橋本五郎文庫」ができるまでの人々の奮闘のドラマは、「廃校が図書館になった!橋本五郎文庫奮戦記」という書籍に記されています。

橋本五郎は読売新聞社の特別編集委員!経歴も凄い

橋本五郎は、1970年に慶応義塾大学法学部政治学科を卒業後、読売新聞社に入社し、浜松支局の配属になりました。1975年に東京にある本社の社会部に異動になると、翌年には本社政治部へ。その後、政治部次長、政治部長などを歴任し、読売新聞の社説を書く論説委員になりました。

1988年からは、読売新聞グループの傘下である日本テレビの「ジパングあさ6」や「ズームイン!!朝!」のコメンテーターとして活躍するように。時事問題を掘り下げる、橋本五郎の姿を記憶されている方もいることでしょう。2001年には読売新聞社の編集委員になり、2006年12月には特別編集委員に就任した橋本五郎は、公安審査委員会や21世紀臨調運営委員、東日本大震災復興構想会議委員など多くの役職を兼務して活動を展開しています。

総理大臣にも直球で物を言う人物で、70歳を過ぎた今も、「いかなる時にも手を抜かず全力で事に当たる」「傲慢になってはいけない。常に謙虚であれ」という母の教えを肝に銘じているそうです。

橋本五郎が胃がんを乗り越えられたワケ!妻の闘病生活も支えていた

橋本五郎は胃がんや病気を乗り越えていた!医師を信頼して前向きに

橋本五郎は、54歳を目前にした2000年に胃がんと宣告されました。食事が喉を通らずおかしいと感じ、病院で検査を受けたところ、噴門部という胃の上部に、ステージ2~3のがんが見つかったと言います。橋本五郎はすぐに手術を受けて胃を全摘出。16キロも痩せた上、腸閉塞を6回もやりましたが、見事に乗り越えました。

橋本五郎は、病気を乗り越えた理由を2つ挙げています。まずは、医師を全面的に信頼することです。もう1つは楽観主義。あまり余計なことを考えないことが病魔に勝つ秘訣で、暗くなると前向きな思考が消されてしまうと言います。橋本五郎自身も、最初は後ろ向きな考え方になりましたが、悲観的になっても良いことはないと気付き、気持ちを前向きにするよう心掛けました。

病気の時に強気になるのも闘いでしょう。橋本五郎は、胃がんを乗り越えた経験から、同じようにがんと闘う人にもエールを送っています。

橋本五郎は妻の闘病生活も支えていた!

橋本五郎には妻や息子がいると伝えられていますが、息子に関しての情報はなく、妻については自身で語っています。2012年4月13日の深夜、橋本五郎の妻が倒れ、病院に搬送されました。妻は、くも膜下出血で意識不明となり、すぐに緊急手術を行って一命を取り留めました。

しかしその後、脳血管攣縮や水頭症、感染症など重い病にかかります。橋本五郎の献身的な看病の甲斐もあってか、妻がリハビリ専門病院へ移ることができたのは1カ月半後のことでした。妻の闘病生活を支える中で、医師と相談した橋本五郎は、ある時期秋田へ駆けつけています。

それは、ちょうど「橋本五郎文庫」の1周年にあたる時期でした。極力仕事をセーブして妻の看病を優先しながらも、外せない仕事はキャンセルしない責任感。知れば知るほどに、橋本五郎が大変な経験をしていることが分かります。

橋本五郎が講演会で語る「鳥の目と虫の目」とは?

日本テレビ「スッキリ!」のレギュラーコメンテーターを務めている橋本五郎。2018年7月の「スッキリ!」に、2020年東京オリンピック・パラリンピックのマスコットである「ミライトワ」と「ソメイティ」が登場しました。「ミライトワ」は、「未来」と「永遠」という意味で、「素晴らしい未来を永遠に」という願いが込められています。

「ソメイティ」の「ソメイ」は桜の「ソメイヨシノ」から来ている他、「so mighty」には「非常に力強い」という意味も。中には「ピンと来ない」と語る人もいますが、同じくコメンテーターとして出演していた杉山愛は、「日本感がある」「これからの日本っていう希望の名前な感じが凄くいい」と肯定的。橋本五郎も、「躍動感がある」「非常に考え抜かれた深みのある名前になっていますね」と賛嘆しました。今、ミライトワとソメイティのぬいぐるみや団扇、Tシャツなどのグッズが飛ぶように売れているそうです。

橋本五郎が、講演や研修会でよく語るのが「鳥の目、虫の目」の話です。全体を見渡す鳥の目と、細部を大事にする虫の目の両方が大事で、特に政治家にはこの資質が求められると主張しています。
このことをさらに詳しく語った橋本五郎は、「中道は時代によって政策が変わる」と指摘。曖昧だと言われることがあっても、決して極端に走らないという意味で中道は大事だと説明し、「不利になっている人はいないか」と思いを巡らせることの必要性を訴えました。

政治を厳しく監視するのがマスコミの本来の使命で、政治が極端な方向へ走らないように目を光らせる橋本五郎のような識者が必要です。言論界で生きているだけに、橋本五郎への批判も激しいですが、これからも信念に忠実に書きに書きまくり、語りに語っていくでしょう。

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