服部半蔵が忍者だったのは初代だけ?子孫の職業は?

服部半蔵=松尾芭蕉は都市伝説なのか?!その正体とは!

服部半蔵=松尾芭蕉という都市伝説の根拠とは?

「服部半蔵=忍者」ではなくて「服部半蔵=松尾芭蕉」ってどういうことですか?世の中には、徳川家康の天下統一に多大なる貢献をした忍者部隊の長・服部半蔵が、「奥の細道」などで知られる江戸時代の俳聖・松尾芭蕉だったという都市伝説があるようです。

噂によると、世界初の暗殺部隊とも言われる忍者部隊を仕切っていた服部半蔵。もともと謳うことが大好きで、天下統一後、加齢のために徳川家康に隠居の旅を申し出たことで「松尾芭蕉」になったとされています。その根拠となったのは、「全国を歩き回るという、当時の46歳らしからぬ体力」「関所を難なく通過していること」の他、松尾芭蕉が書いた意味不明な歌「かごめかごめ」。

この歌にはさまざまな解釈がありますが、「服部半蔵=松尾芭蕉」という仮説を頼りにするならば、「徳川埋蔵金のありかを伝える歌」という見方もできるようです。

服部半蔵=松尾芭蕉という都市伝説のココが変!本当の正体とは!

服部半蔵と松尾芭蕉の後世に伝えられている肖像が若干似ていることや、松尾芭蕉が服部家ゆかりの地・伊賀の生まれであるという説も、「服部半蔵=松尾芭蕉」という都市伝説をもっともらしくしています。また、伊賀では優秀な忍者以外は姓を名乗ることができなかったことから、松尾芭蕉が忍者だったという見解も生まれました。

しかし、生年不祥とされている松尾芭蕉ではありますが、旅に出たのは40歳を超えた1680年代と言われています。もし服部半蔵が徳川家康から隠居の旅の許しを得て松尾芭蕉になったのなら、1616年という徳川家康の没年はおかしいですよね。そこで一旦「徳川家康に許されて」説を捨てて考えてみましょう。と言うのも、実は「服部半蔵」は、伊賀忍者・服部一族の役職で、世襲制だから、いずれかの時代の服部半蔵が松尾芭蕉になったという可能性は捨てきれないからです。

ただし、1680年代に40歳台の可能性がある「服部半蔵」は歴史上記述の少ない5代目以降。服部半蔵=松尾芭蕉という都市伝説、解明するには混迷を極めそうですね。

服部半蔵の子孫は忍者ではなかった!末裔の現在は?

服部半蔵の子孫は忍者ではなかった!2代目以降はどんな人?

「服部半蔵」は、伊賀忍者・服部一族の長たる役職。しかし、実際に忍者だったのは、後期室町幕府に仕えた初代・服部半蔵だけでした。今日、皆さんが「服部半蔵」と呼んでいるのは、2代目・服部正成。伊賀忍者の支配役として徳川家康の天下統一に大変に貢献し信頼を得ていたことから、江戸城の門前にあった彼の住居が「半蔵門」と名付けられたことでも有名ですよね。しかし、彼も忍者ではありません。

もちろん伊賀忍者の統率役を担ってはいましたが、自身は、甲冑を着て足軽を率いる武士。武士になったのは、「忍者では出世できない」という父、初代・服部半蔵の助言があったからだそうです。2代目の死後、その息子が3代目を継ぎましたが、やはり忍者ではありませんでした。

そればかりか、家康の姪を嫁に貰ったことで自信過剰になり、部下の妻を次々と手籠めにし、逆らう部下の給金を差し押さえたりするなど、傍若無人な振る舞いが目に余る人物だったそうです。結局、部下たちのストライキによって、服部一族は江戸幕府の任を解かれてしまったのです。

服部半蔵の末裔の現在は?職業は忍者?

「服部半蔵」の世襲は、12代目の服部正義で最期となっています。12代目は戊辰戦争で旧幕府軍として戦い、西南戦争では政府軍新撰旅団中隊長として参戦した、元伊勢桑名藩の家老で、日本の政治家かつ軍人でした。12代目・服部半蔵は、1886(明治19)年に亡くなりましたが、一時は、墓が無縁仏の墓石群の中にあったそうです。そのためか、初代服部半蔵の直系である大服部家の系譜は、12代目を最後に書き足されることはありませんでした。

しかし、2代目・服部半蔵の子孫「服部伊織家」は、現在の愛媛県にあたる伊予松山藩や伊予今治藩の上席家老もなっていたので、現在も愛媛県今治市にはその末裔が暮らし、服部家の墓を守っているそうです。しかし、その「服部伊織家」も、途中で何度が養子が跡目を継いだ形跡があるようなので、服部半蔵との血縁関係の有無は判然としません。もし、服部半蔵の末裔の職業が、忍者修行道場の師範だったなら、外国人も大喜びでしょうに……。

服部半蔵が盛り上げた忍者人気!外国人「日本は忍者が少なくなって悲しい」

服部半蔵の末裔といえば、そういえば「忍者ハットリくん」の主人公・ハットリカンゾウもいましたね。そのように、服部半蔵の名は忍者の代表格として扱われ、多くの作品でも忍者として描かれています。しかし実際は、忍者ではない「服部半蔵」のほうが圧倒的に多いとは……。忍者とは、諜報活動、破壊活動、浸透戦術、暗殺などを超人的な忍びの技で請け負ってきた仕事人のこと。

私たち日本人の中では、時代劇やアニメで、奇術師並みにデフォルメされた忍者のおかげで、その存在自体がすでに”都市伝説”のように聞こえますし、”忍者修行”を謳う施設にも娯楽の要素を感じてしまいがちです。しかし、本気で忍者に憧れて、本気で忍者修行にやってくる外国人は大勢います。

彼らは「日本は昔に比べて忍者が少なくなって悲しい」と嘆き、ネットでは「あんなスゲー部隊、日本の忍者の他にある?」なんて議論も飛び交っています。服部半蔵の故郷である伊賀では、多くの忍者屋敷や忍者博物館が観光スポットとして人気になっており、その特殊な文化には海外の熱狂的ファンが多いようです。

おそらく日本アニメの影響もあるのかもしれませんが、ここまで「忍者」がポピュラーになっていったのは、やはり日本国内で「服部半蔵」が忍者のアイコン的存在として取り上げられ、多くの作品で描かれるようになったからでしょう。そして、現実には今でも忍者は絶滅しておらず、その武術、伝統を受け継ぐ者が道場で立派に活動されています。その中に服部半蔵の子孫がいる!ということになれば、さらに忍者文化も盛り上がりそうですよね。

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